日本銀行が「マイナス金利付き量的・質的金融緩和」に踏み切った背景には、「企業コンフィデンスの改善や人々のデフレマインドの転換が遅延し、物価の基調に悪影響が及ぶリスクが増大している」との環境認識がありますが、「企業コンフィデンスの改善や人々のデフレマインドの転換」自体は、金融政策によって実現するものではあり得ません。
今回の金融政策の目的は、単に、「企業コンフィデンスの改善や人々のデフレマインドの転換が遅延する」リスクの「顕在化を未然に防ぐ」ためのものにすぎないのです。これは、金融政策としては、当然のことであって、「原油価格の一段の下落に加え、中国をはじめとする新興国・資源国経済に対する先行き不透明感などから、金融市場は世界的に不安定な動きとなっている」現状に対して、防御的に可能な最善の策を実施するにとどまるのです。
従って、金融政策が有効であるためには、産業界において、「企業コンフィデンスの改善」が後退することなく継続し、また、消費者においても、「デフレマインドの転換」が進み、インフレ期待が定着してくることが必須なのであって、故に、仮に、デフレマインドからの脱却に成功したとしても、それは、金融政策の結果ではなくて、実体経済の内在的転換なのであって、金融政策の効果は、補助的なものにととどまるのです。
ならば、逆に、不幸にして、金融政策が効果を生まないとしても、それは、金融政策の問題ではなくて、実体経済自体の問題なのであって、別途、緊急に、経済構造改革等の金融政策によらない本質的な対策が講じられなければならないのです。
今回のマイナス金利政策は、政策の本質的転換ではなくて、従来からの金融緩和政策の程度の強化にすぎないと思われますが、逆にいえば、それだけ、長期にわたって、金融政策の効果がなかったということではないでしょうか。
実に、未だに、「20年間も続いている低金利環境から脱却」できていないわけで、その長期間、ずっと、「企業コンフィデンスの改善や人々のデフレマインドの転換」は、遅延し続けてきたことになります。
いうまでもなく、こうした事態に陥ったのは、金融政策の失敗なのではなくて、実体経済のなかから、「企業コンフィデンスの改善や人々のデフレマインドの転換」を示す顕著な改善傾向が生じなかったからで、金融政策としては、少なくとも悪化を阻止しなければならない以上、緩和政策を止めるわけにはいかなかったのです。こうなれば、もはや、政策転換は不可能なのであって、やり切るしかないのです。
そこで、政策課題が実現するまでは、どこまでも、どこまでも、徹底的に、緩和政策の継続を図るほかなく、今回の措置に及んだわけです。金利の下限を取り払い、マイナス金利を許容したことは、まさに、日本銀行の不退転の覚悟を示すことに、最大の眼目があるのでしょう。
しかし、金融緩和の長期的継続には、弊害もあるのではないでしょうか。
その点は、非常に微妙なところだと思われますが、敢えて喩えを用いれば、薬の効果と似たようなもので、薬効が強ければ、それなりに強い副作用もあるでしょうが、薬効が弱いということは、副作用も弱いということではないでしょうか。
ただし、銀行等に与える影響は、別途、検討する必要があります。というのも、金利水準の絶対的な低下は、銀行等の利鞘の圧縮につながっているからです。つまり、銀行等の本源的利益は、調達費用と運用収益の差である利鞘なのですが、金利が低下していけば、調達費用の低下が下方硬直するなかで、運用収益の減少は続くので、利鞘がゼロに限りなく接近してしまうのです。
現状、既に、調達費用に占める金利費用は、限りなくゼロに近いのですが、店舗経費や人件費の削減には限界があるのであって、これ以上の経費の合理化は、顧客サービスの悪化を意味するでしょうから、もはや、調達費用は下がり得ないのです。
運用収益のほうは、「企業コンフィデンスの改善や人々のデフレマインドの転換」がない限り、産業界の資金需要は拡大していませんから、融資は量的に伸びず、金利だけが下がるので、金利収入の減少が続いています。加えて、より深刻な問題は、国債等の保有債券の利回り低下です。
金融緩和政策のなかで、巨大な流動性が供給され続けてきたのですが、それが銀行等の預金に滞留する一方で、融資が伸びなければ、国債等の債券への運用が増加するほかありません。ところが、その利回りは、低金利政策の徹底によって、限りなくゼロに接近し、とうとう、マイナス金利政策によって、一部は、マイナスに転じてしまったのです。
結果として、銀行等の総調達費用は下限に達し、総資産の運用利回りの低下は止まらず、利鞘の逆転まで、もう一息というところまできてしまったのです。利鞘の逆転とは、銀行等の事業基盤が構造的に崩壊することを意味しますから、これは、極めて深刻な事態です。
日本銀行は、金融政策の実施に当たっては、銀行等の経営に、十分に配慮しているのではないでしょうか。
金融緩和政策は、その実行過程において、銀行等の収益を圧迫するものであることは、最初から予定されていたのでしょう。むしろ、銀行等の運用収益が低下すればするほど、調達費用を低下させる必要を生じ、結果的に、更なる金融緩和を招いてきた側面も、否定できません。
しかも、日本銀行は、更に、二つの方法を通じて、銀行等を支援してきています。一つは、巨額な国債の買い入れです。確かに、国債利回りの低下は、一方では、銀行等の経営を圧迫しますが、他方では、高い価格で日本銀行が買ってくれることは、確実な出口の確保という機能も果たしてきたのです。加えて、日本銀行は、自ら供給した流動性を、当座預金として、銀行等から吸い上げてきました。この当座預金には、これまで、0.1%という相対的に高い金利が付されてきたのです。
こうして、日本銀行の金融政策は、表面的には、銀行等の経営を圧迫するようでいて、裏では、日本銀行の犠牲において、銀行等の経営への影響を限定的なものとしてきたのです。日本銀行の犠牲という意味では、特に、高値で買い続けられている国債について、遠くない将来、日本銀行に巨額な償還損を発生させるものとして、懸念されているわけです。
今回のマイナス金利政策は、銀行等の保護を撤廃するものでしょうか。
実は、依然として、マイナス金利のもとでも、銀行等の経営への影響は限定的となるように、工夫されているのです。実際、銀行等が日本銀行に有する当座預金のうち、マイナス金利が適用となる政策金利残高は、小さな部分にすぎないのです。多くの部分は、基礎残高と呼ばれて、従来通りに、0.1%の付利がなされます。
今後、当座預金が増加すると(当然、増加が予想されます)、0.1%付利される基礎残高は維持されるものの、当座預金に占める比率としては、減少していきます。しかし、増加分の多くは、少なくとも現在の見通しでは、マクロ加算残高として、マイナスではなくて、0%の金利が適用される見込みです。
しかも、国債買い入れも、従来通りに継続されます。よって、今回の措置における銀行等への影響は、限定的なのです。というよりも、銀行等への影響が限定的となるように高度に配慮されたうえで、実施された政策というべきでしょう。なにしろ、銀行等を危機的状況に追い込むことは、金融政策の目的に反するからです。
では、今回の措置は、持久戦的様相を呈する金融政策について、時間の猶予を確保したにすぎないのでしょうか。
日本銀行としては、マイナス金利という選択肢を得たわけですから、状況によっては、マイナス幅の拡大も、適用範囲の拡大も、理論的な可能性として、市場に認知せしめたということです。
もしも、実際に、マイナス金利政策を強化すれば、銀行等としては、実質的なマイナス金利を顧客に課す方法として、口座管理手数料の徴収に踏み切らざるを得なくなります。そのとき、依然として、「企業コンフィデンスの改善や人々のデフレマインドの転換」が実現していないとしたら、個人においては、現金保有を選好する動きを生じ、企業においては、預金を引き出して得られる期待収益がマイナスである限りは、預金を据え置くでしょうから、どちらにしても、金融政策は十分な効果を生まないでしょう。
しかし、そのような事態の生起は、日本銀行においては、客観的な可能性としてはともかくも、主観的な政策の強い意図としては、全く想定されていないのでしょう。つまり、今回の政策は、持久戦を意図したものではなくて、短期決戦を意図したものでなければならないのです。
つまり、表題にあるように、産業界として、また個人として、カネを使い切るということですか。
結局、事実として、「企業コンフィデンスの改善や人々のデフレマインドの転換」が生じないなかでは、止められない政策の継続として、マイナス金利に至るまで金融緩和政策を徹底しても、効果はないのですし、最終的には、遠くない将来において、政策の限界に達するのです。
今、ここで、「企業コンフィデンスの改善や人々のデフレマインドの転換」を実現しない限り、無理に無理を重ねてきた金融政策と財政政策のもとでは、日本経済の将来を見通せなくなってしまいます。まさに、日本の危機は、極致に達したのです。しかし、危機は、常に、機会であるわけですから、ここは、日本経済が再成長軌道に乗る絶好の機会ととらえるべきところです。絶好にして、最後の機会です。
要は、デフレマインドの転換とは、インフレマインドのことでなければならない以上、巨額に滞留したカネは、モノに転換されなければならないということです。資本主義経済の根底には、一種の投機的冒険心がなければならないのですから、物価が下がる、例えば、資源価格が下落するのならば、反転を期待して、買い上げる力が働かなければ、経済は機能しないのです。
つまり、物価が下がることで、より下落するとの期待形成がなされることがデフレマインドなのであって、それは、資本主義経済のもとでは、本来、あり得ないことなのです。物価が下がれば、反転して上昇するとの期待形成がなされる、即ち、インフレマインドこそ、資本主義を支えるマインドなのです。
どうしたら、忘れられた資本主義のマインドが復興するのでしょうか。
資本主義経済の原理として、経済財政政策主導でも、金融政策主導でも、「企業コンフィデンスの改善や人々のデフレマインドの転換」を促すことはできないでしょう。政策は、どこまでいっても、補助的機能であって、経済の動態に作用する主因ではあり得ないのです。
主因は、産業界の決断です。カネを使い切る決断です。靴商人が南洋の島に営業にいったとき、誰も靴を履いていない状況に対して、故に靴は売れないと考えるようでは、商業はなりたちません。これらの人が全員靴を履くようになったら、大きな商売になると考えてこそ、商業です。
カネは、先に使う、そうすると、必ず太って戻ってくる。これが資本主義の基本的発想です。カネは、使わない限り、やせ細る。これは、マイナス金利政策が象徴する反資本主義の帰結です。なお、カネは、先に使う、そうすると、必ず太って戻ってくるというのは、アベノミクスがいう好循環のことです。
以上
次回更新は3月24日(木)になります。
2016/02/04掲載「銀行は、ヒトにではなく、モノとコトに貸したらどうだ」
2016/01/21掲載「いっそ銀行に住宅仲介をやらせるか」
2016/01/14掲載「決して潰しませんという銀行の確約」
2016/01/07掲載「銀行は、カネではなくて、モノを貸したらどうだ」
2015/12/10掲載「雨が降ったら傘を差し出す金融へ」
2015/07/09掲載「原子力損害賠償制度と金融」
2014/07/17掲載「オブジェクトへの金融」
2014/06/26掲載「公共ファイナンスの視座」
2012/11/08掲載「貸せない先に貸してこその銀行」
森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。