金融における本源的リスクテイクとリスクアペタイトフレームワーク

金融における本源的リスクテイクとリスクアペタイトフレームワーク

森本紀行
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金融機関の経営において、事業目的遂行のために自覚的にとるリスクは明確にされているのか、その本源的リスクテイクは、それに必要とされる自己資本に対して、適正な利潤を生んでいるのか、本源的リスクテイクに付随するリスクは、適切に制御されているのか、本源的リスクテイクからの逸脱を阻止できるガバナンスは確立しているのか、要は、こうした問いに明確な答えを与えるものとして、リスクアペタイトフレームワークは機能しているのか。
 
 金融というよりも、事業一般の本質として、事業目的があり、その目的実現のための自覚的なリスクテイクがあり、リスクテイクのあり方を統制するものとしてのリスク管理がある、この基本構造自体は、変えようがないわけです。
 ここで、重要なことは、事業目的に直結したリスクテイクにおけるリスクは、経営そのものの対象であって、通常のリスク管理の対象とは、全く次元を異にするということです。リスク管理といわれるものは、経営の補佐機能として、事業目的に直結したリスクテイクにおいて、付随的に発生する諸リスクの制御を目指すものと考えられるのです。
 例えば、製造業において、生産しているものにかかわる本源的リスクは、自明のこととして、制御の対象であるはずもなく、自覚的に、意図的に、積極的にリスクテイクされたものであるのに対して、それに付随する生産工程上の諸リスクや、原材料にかかわる諸リスクは、積極的にとられたものではなく、受動的に受け入れざるを得ないものとして、あるいは意図せざるものとして、制御の対象になるのです。
 
本源的リスクがリスク管理の対象でないとしたら、そのリスクが顕在化したときには、どうしようもないということでしょうか。
 
 かつて、タイプライターというものがありましたが、技術的環境の激変により、その社会的需要が完全に消滅したとき、タイプライターにかかわる本源的リスクは顕在化したのですが、それは、もう、どうにもしようのないことで、タイプライター製造を廃業するほかないのです。
 もちろん、この本源的な経営のリスクに対しては、企業として、コンピュータ製造に進出し、さらには、情報サービス業へと脱皮していくなどして、積極的に、能動的に、自覚的に対応するわけですが、それは、経営そのものの高度な戦略判断であって、まさか、経営の補助機能として、リスク管理という名で呼ばれることは、あり得ないでしょう。
 
しかし、本源的リスクに対して、多角化で対抗しようとすることは、一方で、自然な経営行動ですが、他方では、本源的リスクテイクからの逸脱という側面もあるのではないでしょうか。
 
 企業経営において、多角化とは何か、多角化は否定されるべきか、肯定されるべきか、これは、古くからある古典的難問です。
 経営理念的に、あるいは企業文化風土的に、オフィス事務の合理化という事業領域に、企業の本源的な居住地を定めたうえで、技術環境の変化に伴って、タイプライターから情報サービスへと進化していく、これは、多角化とはいわないでしょう。むしろ、徹底した本源的リスクテイクへのこだわりだとみられます。
 同様に、多くの企業は、食べる、住む、着る、移動するなどの人間生活の特定機能に居住地を定めて、それに徹底的にこだわることで、技術や生活の環境変化に対応した新製品開発を進め、また、特定の技術や素材に徹底的にこだわることで、その応用範囲を拡大するなどして、成長を続けてきたのです。
 自分の自然な居住地を定めて、そこにおける本源的リスクテイクに経営資源を集中することで、リスクテイクの能力を向上させて、逆に、本源的リスクを克服していく、これこそ、経営の王道です。それに対して、本源的リスクを、非本源的分野への多角化によって、分散することで、克服しようとすることは、現在では、コーポレートガバナンス上、高く評価されない経営手法です。
 もっとも、どこまでが本源的事業の延長であり、どこからが分散による多角化であるかは、少しも明瞭ではなく、故に、識別は難問だということです。しかし、そうはいっても、その難問を常に自覚的に問い続けることで、本源的リスクテイクからの経営の逸脱を阻止していかなくてはならないのです。
 
企業の本源的リスクは、自己資本によって吸収されるというのが前提ではないでしょうか。
 
 株主の立場として、単なるリスク吸収のためだけの株式に、投資価値を見出すことはできません。株主は、企業が自己の本源的リスクテイクを自覚的に遂行すること、そして、そのリスクテイクがリスクに応じた利潤を生むことを前提にして、投資しているのです。
 本源的リスクテイクは、事業の性質に応じた自己資本の厚みを要求しますから、適正なる利潤は、実金額ではなくて、資本の厚みに対する利潤率の問題として、その達成が企業経営者の責務とされていることについては、論を待ちません。
 そして、その経営の責務を果たすためには、更に、本源的リスクに付随するリスクについて、資本に非効率な負荷がかからないように、適正に制御されていることが必要であり、また、本源的リスクテイクからの逸脱がないように、経営理念が揺るぐことなく貫徹していることが求められるのです。
 特に、この後段について、投資家は、本源的リスクテイクの貫徹を前提にして投資しているのですから、そのことから発生する損失については納得でき、故に許容できても、その逸脱から発生する損失については、期待を裏切るものとして、断じて許容し得ないことに留意されなくてはなりません。
 
では、金融における本源的リスクテイク、例えば、銀行における本源的リスクテイクとは、何でしょうか。
 
 どの事業でも、多くの場合、本源的リスクテイクは自明であって、それが何であるかを問うことは不要でしょうし、問う人もいないでしょう。しかし、銀行については、それが何かと問うてみると、現在では、もはや、少しも自明ではないことがわかります。
 例えば、融資業務という産業金融の社会的機能を本源的リスクテイクと考えるならば、その原資の調達手段である預金の受入れにかかわるリスクは、付随的なものとなるはずで、社債等の発行や、資産流動化等の市場調達手段にかかわるリスクとの相対比較のなかで、適切に制御されるべきものとなるはずです。
 この方向での本源的リスクテイクの徹底は、一つの可能性として、銀行の廃業にもつながり得ます。つまり、現行の銀行規制上、預金取扱金融機関の立場は、あまりにも経営拘束が大きくて、産業金融の本源的リスクテイクの高度化の阻害要因ともなり得る、即ち、付随リスクが制御範囲を超えることもあり得るので、究極の経営行動として、銀行を返上し、ノンバンクとして市場調達に特化する、あるいは、投資運用業として直接に投資家から資金を募る等の大胆な経営行動もあり得るということです。
 逆に、本源的リスクテイクの対象として、預金の受入れという個人金融サービスを位置付けるならば、融資業務は、様々な資産運用の選択肢の一つとして相対化され、そのリスクは、付随リスクとして、資産運用にかかわる総合的なリスク管理のなかに吸収されることになります。
 また、預金は、個人金融サービスの小さな一部にすぎないのですから、本源的リスクテイクのあり方として、投資信託、保険、消費者ローン、住宅ローン等の総合的サービス体制の構築がなされていくことになります。この方向の徹底も、最終的には、脱銀行に帰結する可能性を否定できません。
 
伝統的な銀行の本源的リスクが顕在化しているのですね。
 
 長期にわたる超低金利から、ついに、マイナス金利に突入するなかで、調達と運用の利鞘を本源的リスクテイクの対象としてきた銀行は、その本源的な対象を喪失した、つまり、銀行の本源的リスクが顕在化したといえます。これは、銀行の究極の危機です。今、改めて、本源的リスクテイクの再定義が強く求められている所以です。
 産業金融機能にしろ、個人金融サービス機能にしろ、銀行が自覚的に本源的リスクテイクを再定義し、その追求を徹底していけば、程度の差こそあれ、伝統的な意味での銀行から離れていく傾向は、次第に、鮮明になっていくのでしょう。これは、不可避のことかと思われます。
 伝統的銀行の延長において打開策を模索するにしても、産業金融機能と個人金融サービス機能の均衡を図ることは、おそらくは、両者を無自覚的に並列するだけでは不可能で、どちらかに自覚的な優先順位をつけざるを得ない、つまり、一方が本源的リスクテイクとして経営の対象なら、他方は、付随的リスクとして、リスク管理の対象となるというように、です。
 また、銀行を超えた金融持株会社の次元において、投資運用業、証券業、信託業、リース業等を含めて、それぞれの事業の本源的リスクテイクのあり方を再構築し、更に、それを統合するものとしての持株会社固有の本源的リスクテイクのあり方を構築していく、これこそ、金融持株会社の業務範囲の見直しの中核的課題でなくてはなりません。
 
保険における資産運用の問題も同じですね。
 
 保険にとって、負債に対応する資産の運用を、経営のなかで、どのように位置づけるかは、根本的な問題です。一つの方向には、保険のリスクそのものを本源的リスクテイクの対象とし、資産運用にかかわるリスクを付随リスクとして厳格な制御下におくという考え方があり、別の方向に、資産運用にかかわるリスクを本源的リスクテイクの対象に位置付ける考え方があります。
 ただし、保険の特性として、保険固有リスクは、経営能力によってというよりも、確率統計的に制御されていることからすれば、保険固有リスクを本源的リスクテイクの対象とすることで、そもそも、収益事業としての保険がなりたつかという究極の問いが生まれるでしょう。
 おそらくは、この難問の解は、保険業にではなくて、保険を利用する顧客の視点にたった総合的リスクマネジメント代行業に存するのではないでしょうか。例えば、生命保険ならば、ライフサイクル全体を対象とし、生存と死亡の両方を含む超長期生活保障総合サービスという方向です。
 逆に、資産運用に本源的リスクテイクを見出すならば、自己の保険債務特性を活かした独自の運用戦略を開発し、そこに、自己資本や人的資源などの経営資源を配置することは不可欠です。
 今、保険会社に求められていることは、どちらにしても、そうした本源的リスクテイクの自覚的な再構築なのであり、それに対応した経営資源の再配置なのです。
 
銀行にしても、保険会社にしても、本源的リスクテイクからの逸脱の可能性が深刻な問題ですね。
 
 本源的リスクテイクからの逸脱が問題となるのは、実は、自覚的な本源的リスクテイクが確立した後です。本源的リスクテイクについて、何らの反省的思考がないなかでは、どのリスクテイクも、無自覚な統制なきものとならざるを得ないのです。
 例えば、銀行と保険に跨ることとして、現在、非常に大きな問題となっているのは、外貨建て等の貯蓄性保険の銀行を経由した販売です。銀行にしても、保険会社にしても、どのような経営の自覚的判断のもとで、このようなことがなされているのか、それは、自覚的な本源的リスクテイクとしてなされているのか。
 おそらくは、そうではなくて、銀行にしても、保険にしても、伝統的に本源的リスクテイクの対象とみなされてきた領域において収益構造が崩壊の危機に瀕するなか、改めて自覚的に本源的リスクテイクの領域を再定義する経営努力をなすことなく、漫然と目先の収益を追いかけているだけなのではないのか。
 
金融庁が問題にしているのは、手数料の水準というような表層的なことではないのですね。
 
 金融庁が求めていることは、本源的リスクテイクの領域の再定義です。そして、自覚的な本源的リスクテイクを頂点とした経営執行態勢の構築、付随的リスク管理の高度化、本源的リスクテイクからの逸脱を阻止するガバナンス態勢の構築、そうした一連の経営改革です。これを、金融の専門用語でいうならばリスクアペタイトフレームワークの構築と、そのフレームワークに基づく経営執行です。
 
以上

 
 次回更新は7月14日(木)になります。
≪ アーカイブから今回に関連した論考 ≫
2016/06/30掲載「リスクに、おいしい、まずい、はあるのか
2016/06/23掲載「金融におけるディリスキングとリスクシェアリング
2016/06/16掲載「金融における「動的な監督」とリスクアペタイトフレームワーク
2016/02/10掲載「資産運用に携わる君よ、組織の反対を押し切れるか
2016/01/28掲載「資産運用に携わる君よ、賭けているか
森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。