事業を行うからには、その事業に固有のリスクを避けることはできません。そのリスクは、事業にとって本源的なものであって、避けるべき否定的なものとしてではなく、とるべき肯定的なものとして、あるいは、とりたい魅力的なものとして、リスクというよりは、チャンス、即ち、機会、もしくは商機と呼ばれるべきものです。
つまり、リスクは、損失にも利益にもなるものとして、不確実性であるわけですが、事業者の企図においては、利益になる可能性としてのチャンスしかなく、損失になる可能性としてのリスクは捨象されているわけです。その意味で、事業における本源的リスクテイクは、商機を捉えることであり、チャンスを掴み、活かすことなのです。
しかし、本源的リスクテイクにおいては、様々な付随リスクが生起します。それらの付随リスクは、意図せざるもの、不要なもの、余計なものとして、制御される必要があります。また、経営の揺らぎや弛緩のなかで、事業目的から逸脱したリスクをとってしまう可能性もあります。故に、そのような非本源的リスクをとることのないように、経営は統制される必要があります。
リスク管理とは、事業目的遂行のための本源的リスクテイクの貫徹を前提としたうえで、付随リスクを制御するために、また、事業目的から逸脱した非本源的リスクテイクを排除するために、経営統制としてなされる機能のことです。このリスク管理の機能は、どの事業にも共通であり、金融においても、何ら、変わりはないはずです。
しかし、金融においては、リスク管理は極めて重要なものとされ、事実上、経営と同義に見做されてはいないでしょうか。
通常は、どの事業においても、事業の目的と内容は明確であって、本源的リスクと付随リスクの差も明らかです。例えば、製造業において、作っているもの自体の社会的価値にかかわるリスクと、製造過程における技術的なリスクとは、はっきりと区別できます。また、事業目的から逸脱した非本源的リスクテイクは、事業目的の自然な延長にないもの、本源的リスクテイクに含まれていないものとして、明瞭に認識されます。
従って、経営そのものである本源的リスクテイクと、経営統制の一つの機能でしかないリスク管理とを、混同することはあり得ません。二つは、次元を異にするものとして、常に、明確に区分されます。
ところが、金融においては、何が事業の目的と内容であるのかは、必ずしも明確ではありません。実際、少なくとも、今の日本の金融機関で、経営者が自己の事業目的を明確に認識し、自覚的にとるべき本源的リスクを正確に定義できているようなところは、ほんの少数にとどまるでしょう。
経営としての本源的リスクテイクが確立していなければ、とるべきリスクも、付随するリスクも、とってはならないリスクも、明確には定義されません。それでも、経営している以上、総体としてのリスクは負うので、経営とリスク管理は、混然として、一体化してしまうのです。
金融の場合、規制により業務の内容が定まっているのですから、経営としての本源的リスクテイクは明確なのではないでしょうか。
業務の内容を、経営ではなく、金融規制が定めていることに、根本的問題があります。金融機関の経営の実態は、規制が固有業務として定めた領域で、とるべきリスクというよりも、規制上、とることのできるリスクを、とることのできる範囲で、受動的に、あるいは、より強い表現を用いれば、単なる過去からの延長として、無自覚的に、とっているにすぎないのです。
金融も事業なのですから、事業の常識からすれば、金融機関の経営においては、本来は、自己固有の差別化された業務内容を定め、重点顧客を特定し、顧客の視点における価値創造のために、とるべきリスクを厳格に定義して、自覚的にリスクテイクしなければならないのですが、残念ながら、そのような例は、極めて稀なのです。
金融機関では、表面的には、厳格なリスク管理のもとに、経営統制されているようにみえますが、リスク管理の前提となる本源的リスクテイクが自覚的になされていない以上、実態は、経営なき表層的なリスク管理の横行、もしくは、形式的なリスク管理のもとでの経営の崩壊なのです。
こうした事態に陥る背景として、金融は、規制により厳格に定められた業務であることの反射効果として、参入障壁が築かれて保護された分野になってしまい、しかも、規制による保護の前提として、社会的必需性があるものですから、経営不在でもなりたってしまう、あるいは、少なくとも今日までは、なりたってしまっていたことがあります。
もはや、金融は、事業として、なりたたないということでしょうか。
金融は、今、究極の危機にあるのです。しかし、危機は、マイナス金利等の外部要因によって招来されたのではありません。
そうではなく、金融としての自覚的な本源的リスクテイクを喪失したままで、不毛な金利競争、顧客の視点から乖離した投資信託や保険の販売、戦略なき経費削減等に明け暮れた結果として、本源的リスクテイクの能力が一貫して低下してきたことにより、時間の問題として、来るべきものが来たにすぎないのです。もっとも、外部環境は、確かに、危機を加速させはしたのですが。
金融界には、危機の自覚など、ないようですが。
表面的には、金融界の危機意識は希薄なようにみえます。しかし、ここ数年、金融庁は、森長官のもと、金融機関に対して、強く、自覚的な本源的リスクテイクを求めていて、その長官の思いは、深く、静かに、金融界に浸透してきています。明らかに、金融庁と金融界には、危機意識の共有があるのです。
どうすれば、危機から脱却できるのでしょうか。
森長官は、例えば、銀行のあり方については、「顧客との共通価値の創造」といわれ、投資信託等の資産運用関連業務については、フィデューシャリー・デューティーの徹底、即ち、顧客の利益の視点で最善を尽くす義務の徹底といわれるように、一貫して、顧客の視点を強調されています。
また、銀行規制のあり方については、従来の「静的な規制」、即ち、数値的に一元化された諸リスクの集計値に対して、それを吸収するに足る自己資本等の維持を求める手法から、新しい「動的な監督」、即ち、「顧客との共通価値の創造」を促す対話への革命的な転換を志向されています。
これらの意図するところは非常に明瞭で、金融機関に対して、顧客の視点での価値創造を本源的リスクテイクの対象に位置づけ、経営の最高の次元において、その具体的内容を自覚的に定義することを求め、その結果、リスクの管理の機能を、一つ下の次元の従属的経営統制機能として、再構成するように促すものだと思われます。
要は、危機からの脱却の道は、顧客への回帰しかないのです。これは、金融も事業であってみれば、事業の本質として、当然のことなのです。つまり、規制のなかで見失われた事業の本質への回帰です。
もしも、顧客の視点での価値創造ができないということならば、金融には、社会的存立基盤がないということであり、逆に、金融に社会的存立基盤があるのなら、必ずや、顧客の視点での価値創造ができる、つまり、事業として、なりたつということです。故に、今、経営者が早急にしなくてはならないことは、本源的リスクテイクの対象として、自己の存立基盤である顧客の再定義と再発見を行うことです。
経営においては、顧客との距離が遠くなっていたかもしれませんが、現場においては、常に、顧客の視点での価値創造への努力があったのではないでしょうか。
本源的リスクテイクの対象を見失ってきたことは、本源的リスクをも、技術的なリスク管理の対象としてしまい、顧客の視点での能動的リスクテイクを抑圧し、場合によっては否定してしまうという根源的な誤謬を招いてしまいました。
そのなかで、現場には、越権し、統制を強めてくるリスク管理に対して、強い批判と不満があったはずです。しかし、その批判と不満も、次第に、弱まり、今は、消えつつあるのでしょう。この消えつつあることが危機なのです。従って、危機脱却の鍵は、現場の復権です。
そもそも、顧客の視点での価値創造は、現場においてしかなされ得ないのです。その現場の創造的活動を、リスク管理の名のもとに、本部統制下においたことが問題だったのです。
もちろん、リスク管理の健全なる牽制機能は必要ですが、決定はあくまでも現場のものであり、リスク管理は意見にとどまるべきものです。現場は、リスク管理の意見に対して、闘争心をもって反論していく過程で、リスクの所在について、より深い認識をもっていく、この動態こそ、価値創造であり、活きたリスク管理なのです。
本源的リスクテイクにおけるリスク管理の越権を抑止することと並んで、非本源的リスクテイクを許容してきたリスク管理の欠陥も是正しなくてはいけませんね。
本源的リスクテイクの能力の低下は、収益性の低下に直結してきました。それに対して、金融機関は、本源的リスクテイクの再強化で対応すべきところ、逆に、そこからの逸脱として、非本源的リスクテイクによる利益獲得に傾斜していったのです。ところが、従来のリスク管理は、この防止に全く無力でした。
こうした逸脱の事例は、残念なことに、たくさんあります。なかでも、金融庁が特別に問題視している代表的な事案として、顧客の利益に反した投資信託の販売、もはや保険とはいえない外貨建て貯蓄性保険の販売などがあります。
こうした事案は、表面的には、現場からの提案で行われたのでしょうが、より根源的な理由は、収益の辻褄合わせを強力に主導した経営のあり方です。現場の潜在的能力を、こうした逸脱のために濫用してきた経営のあり方について、金融庁の森長官は、「もったいない」といわれています。
確かに、もったいないことですが、では、自己の能力を金融の社会的機能からの逸脱に浪費していることにつき、現場は疑問を抱かないのでしょうか。疑問をもつなら、経営に対する批判の声をあげるのではないでしょうか。
もしも、経営者から末端の職員まで、金融の社会的機能の実現に人間としての誇りを感じるなら、誇りを傷つける逸脱に対しては、必ず、どこかで、誰かが、誇りを守り、自己実現するために、闘争を起こすはずです。そのような緊張感ある組織でない限り、逸脱は阻止できないでしょう。
まさに、リスクカルチャーの醸成ですね。
金融においては、これまでのリスク管理は廃棄されて、いわゆるリスクアペタイトフレームワーク、あるいは、その理念に基づく何か新しいものに置き換わるはずです。
その要諦は、とるべき本源的リスク、最小化すべき付随リスク、決してとってはいけない非本源的リスクについて、組織の全体において、空気のようなものとして、組織風土として、共通の認識が確立していること、即ち、リスクカルチャーが確立していることです。
そして、リスクカルチャーを常に活きたものとして醸成する鍵は、顧客の利益のために、誇りを守るために、自己実現のために闘争する精神を、構成員が共有していることです。
以上
次回更新は8月4日(木)になります。
2016/07/14掲載「金融におけるリスクカルチャーの醸成」
2016/07/07掲載「金融における本源的リスクテイクとリスクアペタイトフレームワーク」
2016/06/30掲載「リスクに、おいしい、まずい、はあるのか」
2016/06/23掲載「金融におけるディリスキングとリスクシェアリング」
2016/06/16掲載「金融における「動的な監督」とリスクアペタイトフレームワーク」
2016/02/10掲載「資産運用に携わる君よ、組織の反対を押し切れるか」
2016/01/28掲載「資産運用に携わる君よ、賭けているか」
森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。