投資運用業者の質の「見える化」

投資運用業者の質の「見える化」

森本紀行
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金融庁は、10月21日に、2016事務年度の金融行政方針を公表しましたが、そのなかで、投資運用業者のモニタリングを効果的に行うために、ベンチマークを策定するとしています。モニタリングの究極の目的は、運用の質を高めることになるはずですから、ベンチマークは運用の質を測定するものでなければならないはずです。さて、そのような便利なものができたら、顧客の運用会社選択は、激変するのではないでしょうか。
 
 昨年度の金融行政方針も画期的なものでしたが、今年度のものは、また一段と進化を遂げています。森信親長官が強力に進める金融庁自身と金融機関の一体改革、その深さと広さもさることながら、何よりも、その速さには、驚かされます。
 そのなかで、今年度の金融行政方針の最大の眼目は、「見える化」です。そこでは、「金融機関が、顧客との関係において、主体的に創意工夫を発揮し、顧客本位の良質な金融商品・サービスの提供を競い合うインセンティブを高めるような環境整備を行うというアプローチが重要となってくる」と述べられているのです。
 そして、その環境整備ついては、「顧客が、自らのニーズや課題解決に応えてくれる金融機関を主体的に選択できるようにするため、顧客から金融機関の行動や取組みがより良く見えるようにする、「見える化」を進めていく」とされ、さらに、「「見える化」を通じて、金融機関の取組みが顧客から正当に評価され、より良い取組みを行う金融機関が顧客に選択されていくメカニズムの実現を目指す」とされています。
 
「見える化」というのは、要は、金融機関に対して、自主的な開示を強化するように求めるということですね。
 
 開示の強化には違いないのですが、それは、規制によるものではない、即ち、金融庁が開示ルールのミニマムスタンダード(最低基準)を定めるものではないのです。そもそも、事業会社にとって、営業の基本とは、顧客に対して、自己の良さ、優れたところ、他社との差別性など、要は、金融庁がいう自己のベストプラクティスを積極的に説くことですから、金融庁は、金融機関に対して、単に、この商業の基本に忠実であることを求めているだけのことです。
 革新と創造は、各金融機関が顧客の視点でベストを尽くすことによってのみ、起き得る、森信親長官の改革は、まさに、この点を突いたものです。真に顧客の利益を保護するためには、各金融機関は、顧客の視点にたち、創意工夫のベストを尽くし、かつ、ベストを尽くしていることを顧客に訴えていく必要がある、そうすることで、ベストを競う質の高い競争環境を整備していく、これが当年度の金融庁の最重点課題であるわけです。
 
投資運用業者についても、運用の質を競う環境を整備するということでしょうが、それと、施策として掲げられているベンチマークの策定とは、どのような関係があるのでしょうか。
 
 ベンチマークというのは、ベストプラクティスの追求について、その深度と成果を測定し、また、課題を発見して改善につなげるための経営指標のことです。故に、自明極まりなきことに、ベンチマークよりも先に、ベンチマークによって測定されるべきベストプラクティスがなければなりません。
 ベンチマークは、ベストプラクティスの追求において、金融機関が自己点検を行うための道具であって、それによって、顧客に対して、どれだけの付加価値を創造できているか、また、そのことの結果として、どのように自己の利益につながっているかを測定し、業務の改善に活かしていくものなのです。
 また、金融行政の目的は、顧客が投資運用業者を選択するに際して、その運用の質の差を評価できるようにすることですから、横断的比較が可能なように、指標が統一的に設定される必要があります。そこに、金融庁主導でベンチマークが策定される意義があるのです。
 
しかし、ベンチマークが金融庁策定による統一的指標ならば、それは、ミニマムスタンダードの設定と、どこが違うのでしょうか。
 
 金融庁の視点でのミニマムスタンダードの受動的遵守にとどまるのか、顧客の視点でのベストプラクティスの積極的追求を行うかは、投資運用業者の行動原理というか、経営者の見識の問題ですから、今の金融庁にとっては、どうでもいいことです。
 ミニマムスタンダードの遵守にとどまるような投資運用業者は、得てして、その遵守すら覚束ない場合が多いのですが、そのようなものは、顧客から見放されて淘汰されていけばいいだけのことで、金融庁にとって決定的に重要なことは、淘汰が実現するような質の高い競争環境を作り出すことなのです。ベンチマークは、その競争環境を作るための道具にすぎません。
 ベンチマークがどのようなものであれ、それは、顧客の利益の視点でのベストプラクティスの追求の結果を測定し、改善に活かすものですから、逆に、ベンチマークの指標を、ある水準以上に保とうとするミニマムスタンダードの視点では、全く意味がないわけです。ベンチマークをミニマムスタンダードとしてしか理解できないような投資運用業者は、その段階において既に、質の劣悪な業者なのです。
 
フィデューシャリー・デューティーとの関係は、どうなるのでしょうか。
 
 金融行政の目的は、「企業・経済の持続的成長と安定的な資産形成等による国民の厚生の増大を目指す」ことと、改めて確認されていますが、そのなかで、「国民の安定的な資産形成を実現する資金の流れへの転換」が目指されていて、主として、資産形成の代表的な受け皿である投資信託を念頭に置いて、その販売と運用にかかわる金融機関に対して、「顧客本位の業務運営(フィデューシャリー・デューティー)」の徹底を求めています。フィデューシャリー・デューティーは、こうして、「顧客本位の業務運営」という明確な日本語の定義を得たのです。
 いうまでもなく、フィデューシャリー・デューティーの徹底は、各投資運用業者のベストプラクティスの追求として、自主自律による創意工夫の発現として位置づけられています。ベンチマークは、当然のこととして、フィデューシャリー・デューティーの履行状況を客観的に測定するものとして、策定されるはずです。
 
「フィデューシャリー宣言」も、宣言の履行状況を測定するベンチマークがなければ、機能し得ないということですね。
 
 顧客の資産を運用するものとして、金融庁のいう「顧客本位の業務運営(フィデューシャリー・デューティー)」の自主的な取り組みの徹底を、顧客に約束したものが投資運用業者の「フィデューシャリー宣言」であって、現在では、少なからざる会社が宣言を公表していますが、口先だけで中身のないものもあるようにみうけます。
 金融庁の施策の方向性からは、そのような偽りの宣言をする会社を、顧客の選択行動によって排除し、淘汰していく必要があるのです。だからこそ、ベンチマークによって、「顧客本位の業務運営(フィデューシャリー・デューティー)」の履行状況を測定し、各投資運用業者は、結果を顧客に開示しなければならないわけです。
 きちんとした取り組みができている会社は、喜んで積極的に開示し、自社の差別優位を顧客に訴えるに決まっていますが、開示できないような会社、ましてや、宣言自体もできないような会社は、そのこと自体において、顧客から見放されていきます。見放されて淘汰されてしまっても、見放されまいとして改革に踏み切っても、顧客の立場からも、金融庁の立場からも、どうでもいいことです。
 要は、「顧客本位の業務運営(フィデューシャリー・デューティー)」の視点で、投資運用業界内に、健全なる競争が生じさえすれば、そして、その競争を通じて、資産運用の質が向上しさえすれば、それで、金融行政の目的は果たされるのです。ベンチマークは、その競争環境の設定のためだけの技術的工夫にすぎません。
 
では、投資運用業者のベンチマークは、どのようにして、策定されるのでしょうか。
 
 最初から優れたベンチマークができるとは、到底、思えません。現実的には、まずは、仮説の設定があって、仮説を検証する指標の工夫がなされる、それが最初のベンチマークであろうと思われます。その後、仮説の検証が進むとともに、ベンチマークも、精緻化され、進化していくのです。
 今の金融庁は、とにかく、森信親長官のもと、徹底的に科学的な行政手法に努めているわけです。仮説を設定し、その仮説を検証して、検証結果を具体的な施策に落とす、金融行政方針のなかでは、その方法を、計画(Plan)、実行(Do)、評価(Check)、改善(Act)のPDCAサイクルの徹底と呼んでいます。この金融行政方針自体が確実に実行され、精密に評価され、次の改善につながり得るものとして、策定されているのです。
 
どのようなベンチマークになるのか、いいかえれば、最初に設定される仮説は、どのようなものになるでしょうか。
 
 現段階では、詳論は避けますが、ベンチマークは、間違いなく、投資運用業者の経営管理指標として、数値化されたものです。しかも、それは、「顧客本位の業務運営(フィデューシャリー・デューティー)」の視点で、自社の経営指標に表れた顧客のために創出した付加価値を、直接に、また間接に、指標化したものです。
 具体的方法論として、最初に仮説がなければなりません。つまり、「顧客本位の業務運営(フィデューシャリー・デューティー)」に徹している場合においては、経営指標に、ある固有の傾向があるはずだとの仮説から、その仮説に基づく特性をベンチマーク化するわけです。
 例えば、新しい顧客の獲得のために支出している経費と、既存の顧客のために支出している経費を比較したとき、前者が後者を大きく上回るような会社は、多くの場合、「顧客本位の業務運営(フィデューシャリー・デューティー)」に疑義があるでしょう。
 また、契約残高の純増減をとってみても、純減傾向にある場合、純増傾向にある場合、大きな解約を、より大きな新契約で埋めている場合、あまり解約をともなわずに、安定的な新契約を得ている場合、同じ新契約でも、既存の顧客の増額が多い場合などを比較すれば、そこに、「顧客本位の業務運営(フィデューシャリー・デューティー)」の履行状況の差をみてとることは、容易です。ベンチマークは、このような仮説構築の作業手順で、作られていくはずです。
 
運用の質の競争に関連して、ベンチマークと並んで、金融行政方針には、投資信託を比較できるウェブサイトの構築についても、言及がありますね。
 
 確かに、「家計による資産形成の有力なツールである投資信託等について、投資家が個々の商品を比較・検討し、良質な商品を選択することが容易になるよう、商品比較情報等を判り易く提供するウェブサイトの構築等を検討する」という記述があります。
 単なる数字の比較のためのウェブサイトなら、民間にいくらもあります。ただし、ウェブサイト自体の質が問題であって、数字の羅列は、かえって、「良質な商品を選択すること」を困難にしているかもしれません。金融庁がいうように、顧客の視点にたった情報提供のあり方は、今後、真剣に検討されなければなりません。
 それにしても、金融庁自身が運営するウェブサイトというのも考えにくいので、この施策の具体化については、かなり興味をそそられます。
≪ アーカイブから今回に関連した論考 ≫
2016/11/24掲載「長生きしすぎた昭和金融、ついに死す
2016/11/17掲載「森信親長官らしい金融再編論
2016/11/10掲載「金融庁のいう「日本型金融排除」とは何か
2016/09/08掲載「銀行の食文化革命
2016/09/01掲載「銀行よ、カネに豊かな色をつけてみよ
2016/07/28掲載「創造的な闘争としての金融のリスクテイク
2016/07/07掲載「金融における本源的リスクテイクとリスクアペタイトフレームワーク
森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。