日産自動車のゴーン氏の事件は、同氏が実質的な報酬として受領していた金額についての争いです。ゴーン氏が自分の所得だと主張している金額は、有価証券報告書に適正に記載されていたはずですが、検察が有価証券報告書に記載されるべきゴーン氏の所得だと主張している金額は、その額よりも大きいのです。要は、事案の本質は、このゴーン氏と検察との間の認識の不一致に帰着するわけです。
しかし、検察は、単なる認識の不一致ととらえているわけではありません。それだけのことなら、ゴーン氏を逮捕するというような衝撃的な行動につながったはずはないからです。検察は、ゴーン氏が意図的に所得額を過少に報告していたと判断していて、そこに悪意ある隠蔽等の操作を認定しているのです。
また、検察は有価証券報告書虚偽記載容疑から切り込んでいるのですが、報酬として認定されるものの範囲が拡大されていくにつれて、なかには報酬の支払われ方そのものに関しても法律上の疑義が生じる可能性があります。そして、当然のこととして、ゴーン氏の報酬額が過少に報告されていたことになれば、所得税も過少に納付されていたこととなり、そこにゴーン氏の悪意が認定されれば、脱税事件にも発展していくでしょう。
つまり、当該事案の本質は、有価証券報告書虚偽記載事件という表面の体裁をとれば、報酬の定義、報酬の支払方法の妥当性、報酬にかかわる適正な税務処理について、違法と適法の微妙な境界が争われているにほかならず、特に珍しくもない古典的問題なのです。ただし、超巨大企業の超著名な経営者に関して、検察が逮捕という強硬な手法をとって問題提起したが故に、世間の注目を集めただけのことです。
珍しくもない古典的問題とは、どういう意味でしょうか。ゴーン氏の行為は、報道によれば、かなり異常なようですが。
企業の報酬制度については、経営者だろうが、一般の従業員だろうが、誰にしても、報酬は多いほうが望ましいと思うのであって、そう思わないほうが異常ですから、その点、ゴーン氏は普通の人です。しかし、報酬額の大きさは、当該事件の本質とは関係ありません。
ここで問題にすべきは、次の三つの願望についても一般的に妥当するということです。即ち、第一に、自分の報酬は他人に知られたくない、第二に、同じ報酬額ならば、納付すべき税金を最小化できる方法で受け取りたい、第三に、同じ報酬額ならば、その一部について、金銭ではなくて自分の好みや都合に合わせた実物形態で受け取りたい、この三つです。
ところが、これらの願望は容易には実現できないもので、実現させるためには、多くの制約条件を充足しなければなりませんが、願望の実現度を高めようとすれば、制約条件の充足は極めて微妙な問題になってしまうのです。
ゴーン氏の場合、人間として極めて素直に願望の実現を志向し、強権をもつ経営者として、それが可能であったことから、制約条件の限界について挑戦的なまでに大胆な多数の手法を試みたのです。ここに普通の域を超えたゴーン氏の異常さがあり、その手法は、検察の目に、限界を逸脱していて社会的制裁に値するものと映じてしまったのです。
制約条件とは、どういうことでしょうか。
例えば、ゴーン氏の立場のように有価証券報告書に報酬額が記載される場合には、不十分な記載と違法な記載との間の微妙な境界が、税制上の制約についていえば、節税と脱税との間の微妙な境界が、住宅、交際費、旅費等の現物給付については、実質的な個人所得と企業の正当な経費との間の微妙な境界が非常に深刻な問題になり得ます。
このとき、企業経営の健全な常識のもとでは、安全圏にとどまるようにする、即ち、違法行為、脱税、不正経理等の疑念が決して生じ得ないように処理するのが普通です。制約条件とは、そうした安全圏での処理の必要性が制約となって、処遇制度としての魅力度が低下する、即ち報酬を受け取る側の満足度が低下するかもしれないということです。
企業の報酬制度について、報酬を受ける側の願望は理解できるとして、その願望を満たしてあげようとする企業側の利益は何でしょうか。
例えば、ゴーン氏が得ようとしていた利益は、より大きな報酬額であるよりも、有価証券報告書に記載されない方法で支払われることにあったわけです。つまり、ゴーン氏が得ていたと検察が主張する報酬総額について、ある種の工夫、ゴーン氏の自己評価では正当な工夫によって、記載金額を小さくしていたことがゴーン氏の得た利益だったということです。
また、報道によれば、海外の高級住宅の取得など、ゴーン氏の個人的利益を目的としたとされる不適切な取引等があり、それらの取引等の経済価値は、検察によって、ゴーン氏の実質的報酬に含まれると認定される可能性があるわけですが、実は、ゴーン氏自身の認識においても、実質的報酬であったと思われます。ただし、ゴーン氏の希望は、それを、報酬に該当しない形態で、虚飾を満足させる方法で受領することだったに違いないのです。
要は、検察が立証するはずの報酬総額は、いかに巨額であろうとも、ゴーン氏にとっては、自己の業績の正当な評価に関する正当な対価にすぎず、受領して当然という認識であったのであろうと考えられ、その報酬総額自体に満足を感じていたわけではないのでしょう。むしろ、有価証券報告書に記載されない方法で、報酬に該当しない方法で、自己の権勢を誇示する方法で受領することが重要だったのです。
理屈上、ゴーン氏の実質的な報酬がいかに巨額でも、その金額以上の満足をゴーン氏が得ていたとしたら、日産自動車としては、あるいはゴーン氏の自己評価としては、より少ない金額で、より大きな満足を経営者に与えていたことになるので、そこに企業の利益があったということでしょう。
ゴーン氏を離れて一般化すると、同じ金額なら、より大きな人事政策上の効果を生むように工夫し、人事政策上の効果が同じなら、より少ない金額で済むように工夫する、それが企業の報酬制度の要諦だということですか。
例えば、退職金を考えれば、わかることです。従業員の生涯所得を一定にして、その一部を退職金にすれば、従業員が支払う生涯所得税額を小さくすることができます。つまり、企業は、人件費負担を変えることなく、従業員の税引き後所得を大きくすることができるわけです。
背景としては、退職金は、老後生活資金の形成において重要な役割を担うが故に、従業員から支持されるものであり、その支持を前提にして企業処遇制度として確立したものとなり、重要な処遇制度として確立しているからこそ、優遇税制が認められているという事実があります。
ここで決定的に重要なことは、原点にある従業員本位な考え方です。従業員の利益になるから、企業の利益になる、そして双方の利益を守るように税の優遇措置が講じられる、この仕組みの基本は動かし得ないことです。今日、退職金制度の多くは企業年金制度に改組されていますが、この基本が維持されていない限り、企業年金の人事政策上の効果は得られないのです。
報酬を受ける側の立場で、報酬の支払い方法や支払い形態を工夫することが人事政策の基本だということでしょうか。
例えば、退職金や企業年金制度を廃止し、その価値に相当する金額を税制上の不利益も考慮したうえで算出して月例給与に加算することは、完全な等価交換として経済的には無意味でも、人事政策的には極めて重要な意味をもちます。
この変更は、企業の利益の立場、例えば企業年金の資産運用にかかわる不確実性の除去という理由でなされるのならば、人事政策上の効果を破壊することになります。では、従業員の立場でなされるとして、どこに従業員の利益があるのでしょうか。
同じことは、確定給付企業年金から確定拠出企業年金への移行についてもいえるわけで、そこに資産運用にかかわる不確実性の除去という企業の利益のあることが明白なだけに、それを上回る従業員の利益を提示できない限り、人事政策としては稚拙な施策になるのです。
働き方改革というのも、同じ方向にある考え方ですか。
働き方改革は、働く人が主語になっている点で、政府の施策としては画期的な意義を有するものです。これは企業を主語にした雇用改革ではないのです。そして、働き方の自由度を高めるということは、働く人の利益の視点に立った企業の処遇制度改革にほかならないわけです。
働き方改革において重要な機能を演じるものは、多様な人の多様な働き方に応じた働く環境の整備です。環境の整備には一定の企業の負担があるでしょうが、同時に、多様な人材の潜在的能力を開発することで得られる企業の利益もあるのです。金銭としての報酬ではなく金銭ではない処遇を与えることで、金銭を超えた価値を創造し、その価値を働く人と企業とで共有する、それが働き方改革の本質です。
もしかすると、ゴーン氏の問題の本質は、経営者としての働き方の自由度にあったのかもしれませんね。
例えば、経費支出の自由度を大きく認めることも、一つの処遇のあり方です。おそらくは、個人経営に近いような企業では、経営者が自分を処遇する通常の方法は公私混同の経費支出です。ゴーン氏については、超巨大企業の偉大なる経営者にして、どこにでもいる凡庸な小企業の経営者と同一次元の行動をしていたことに大きな違和感があるわけでしょう。
いずれにしても、自由と逸脱は背中合わせであって、自由は容易に逸脱へ流れるであろうことに留意しなくてはいけません。ゴーン氏の問題は、実例をもって、そのことを明瞭に示しているだけです。
以上
次回更新は、年末年始の休載を挟んで、2019年1月10日(木)になります。
2018/12/06掲載「日産自動車のゴーン氏が虚偽記載を指示したはずはない」
2017/05/11掲載「お金の貯め方改革と生き方改革」
2016/04/21掲載「弁護士はフィデューシャリーとして喜んで成仏すべきか」
森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。