野村證券の行政処分の対象となった事案は、不正に入手された非開示情報が営業現場に伝達され、更に具体的な取引提案に加工されて、一部の顧客に提供されたというものです。ただし、その情報は東京証券取引所内部でなされている市場区分見直しに関する検討内容にかかわるもので、法律で規制されている法人関係情報に該当しないとみなされたことから、野村證券の行為は法令違反ではないとされたのです。
しかしながら、当該情報は、決定事実として開示されれば株価形成に大きな影響を与える可能性があり、インサイダー取引と同様の不正な利益機会を生じさせるものと考えられます。故に、金融庁は、金融商品取引法第51条を援用することにより、法人関係情報に準じた厳格な管理態勢が求められるとして、その管理態勢不備を理由に行政処分に踏み切ったわけです。つまり、形式的には法令違反ではないが、実質的には法令違反に準じた扱いが妥当だとしたのです。
コンプライアンス違反ではないが、「コンプライアンスの本質」には違反するということですか。
金融庁は、既に2017事務年度の金融行政方針において、「新たなコンプライアンス分野への対応」という項目をたてて、「利用者の保護・利便や市場の公正性・透明性の確保に積極的に寄与することが重要であり、これは金融機関自身の企業価値やレピュテーションの維持・向上にも資するものといえる」と述べていました。
つまり、金融庁のいう「新たなコンプライアンス」とは、法令等の字句を遵守するというだけのコンプライアンスではなく、利用者の利益の保護、利用者の利便性の向上、市場の公正性と透明性の確保など、法令等の字句の背後にある主旨に忠実であることを求めるものだと考えられるのです。
さて、今回の野村證券に対する行政処分においては、新たに「コンプライアンスの本質」という言葉が使われました。実は、この言葉には明確な定義が与えられていないのですが、「市場の公正性・公平性の確保という証券会社にとって重要な役割に対する意識が不十分であるなど、証券会社の社員として求められる水準のコンプライアンス意識が欠如していた」、「コンプライアンスを法令遵守に限定して捉え」ていた等の事態をもって、「コンプライアンスの本質」に対する無理解としていることからすれば、「新たなコンプライアンス」と全く同じものと解していいでしょう。
「コンプライアンスの本質」に対する違反でも、行政処分は可能なのでしょうか。
コンプライアンスから「新たなコンプライアンス」への、あるいは「コンプライアンスの本質」への高度化は、実は、近時の金融行政の一貫した流れに即しています。つまり、ルールからプリンシプルへ、ミニマムスタンダードの徹底からベストプラクティスの追求へという金融行政の抜本的転換の先に、「コンプライアンスの本質」があったということなのです。
まず、ルール遵守は、法令等の遵守という最低限のことにすぎないので、ミニマムスタンダードと呼ばれますが、プリンシプル、即ち金融機関自身の経営原則に基づく自己規範に従って顧客の利益のために最善をつくすことは、ミニマムを超えてベストを目指すこととして、ベストプラクティスの追求といわれるのです。
また、ルールというのは、いうまでもなく、全ての金融機関に適用される法令等のことですから、ルール遵守がコンプライアンスに対応します。それに対して、プリンシプルは、個々の金融機関が自律的に自分に課す行動原則のことであって、法令等の定めるミニマムを超えて、その主旨に忠実であるようにベストを追求することであり、法令等の字句よりも厳格な内部規範として機能するものですから、「コンプライアンスの本質」に対応します。
では、野村證券は、ルールを遵守していてミニマムスタンダードを達成していたけれども、ベストプラクティスを追求するべく自己に課していたプリンシプルには反していたために、行政処分を受けたのでしょうか。
野村證券は行政処分を受けた後に経営態勢の改善策を公表したのですが、そこには、「市場の公正性・公平性の確保という証券会社にとって重要な役割に対する意識が不十分であったことについては、極めて重く受け止めております」とあります。つまり、金融庁のいう「コンプライアンスの本質」についての経営者の認識が不十分だったことを認めているのです。
ならば、論理的にいって、「コンプライアンスの本質」についての経営のプリンシプルが不在であったのですから、存在しないプリンシプルに違反することはあり得ず、故に、プリンシプル違反に基づく行政処分もあり得ないことになるはずです。そこで更に論理を進めて金融庁の行政処分の根拠を考えると、「コンプライアンスの本質」を浸透させることについての経営者の職務懈怠、即ちプリンシプル違反ではなくてプリンシプル不在にならざるを得ないでしょう。
さて、ここで生じる難問は、プリンシプル不在を問題視するということは、金融庁がプリンシプルの確立を要求するのと同じことになるのではないのか、それではプリンシプルが自主自律のものだという根本原則に反してしまうのではないのかということです。
行政処分の直接の対象である内部統制の不備との関係は、どうなっているのでしょうか。
法令等のルールについては、当然のことながら、法令遵守の実効性を確保するために、厳格な内部管理態勢の整備が求められますから、金融庁は、法令違反の事案については、法令違反そのものよりも、違反を防止できなかった内部管理態勢の不備を理由にして、その早急なる是正を目的とした業務改善命令を発することができるわけです。
プリンシプルに基づく自己規範についても、自己規範といえども規範である以上は、法令等のルールと全く同じことで、その遵守の実効性を確保するための厳格な内部管理態勢の整備が求められます。しかし、規範が不在のところに遵守態勢が不在なのは当然で、その不在から内部管理態勢の不備を導出し、それを理由に行政処分を行うことは論理矛盾だと考えられます。
では、金融庁の行政処分は不当なのでしょうか。
野村證券の事案の悪質性からすれば、行政処分の内容は妥当なものだったと考えられますが、形式については、金融商品取引法第51条を援用するための論理構成が十分ではありません。行政処分という強権を発動するからには、そしてまた、「コンプライアンスの本質」という新たな概念を導入するからには、もう少し慎重な姿勢が必要だったのです。
つまり、問題の根底にあるのは、野村證券の経営における「市場の公正性・公平性の確保という証券会社にとって重要な役割に対する意識」の欠如という金融庁の事実認識なのであり、その認識事態は野村證券も自認したところですが、それを行政処分の根拠とするためには、「コンプライアンスの本質」を、個々の金融機関のプリンシプルの次元にではなく、市場関係者のなかに客観的に成立している規範として構成しなければならなかったということです。
「コンプライアンスの本質」は客観的なルールだということでしょうか。
2017事務年度における「新たなコンプライアンス」は、「市場の公正性・透明性の確保に積極的に寄与すること」とされていて、明らかにベストプラクティスの追求を意味していました。故に、「積極的に」寄与することをプリンシプルにおいて自己規範化し、その遵守態勢を整備しない限り、「積極的に」寄与しなかったことをもって、行政処分の根拠にはできなかったはずです。
ところが、行政処分の根拠になった「コンプライアンスの本質」においては、端的に「市場の公正性・公平性の確保」となっていて、「積極的に」が脱落しており、市場関係者の誰もが従うべき客観的なルールの位置づけになっています。つまり、法律の字句としてルール化されていなくとも、法律の主旨から論理的に演繹できることは同じくルールなのだ、これが金融庁の適用した論理構成かと思われます。
論理が強引すぎて、行政処分の根拠としては脆弱ではないでしょうか。
脆弱なのですが、被処分者の野村證券が金融庁と同じ認識を示し、争う姿勢を全く示していないのですから、脆弱でも構いません。なにしろ、事案は、5月24日に野村ホールディングスが子会社である野村證券の「不適切な情報伝達事案」に関する調査結果を公表し、同28日に金融庁が両社に対する行政処分を行い、6月3に両社が金融庁に改善報告書を提出するというように、円滑極まりなく推移しており、関係者合意のうえで即時収束を目指す儀式にすぎなかったことが明瞭なのですから。
背景には、いうまでもなく、東京証券取引所で検討が進む市場区分の見直しについて、影響を最小化しようとする思惑があるのでしょう。故に、今回の行政処分は高度に政治的なものであって、「コンプライアンスの本質」は、これによって新しい意味を付与されたのではなく、依然として2017事務年度の「新たなコンプライアンス」と同じく、プリンシプルという自己規範の領域にとどまるものだと考えるべきです。
そうはいっても、今回の事案をきっかけに、法令等の字句と主旨の関係についての議論が高度化すればいいですね。
金融庁の行政目的が法令等の字句の適用ではなく、その主旨の適用であるべきことは、現在の金融庁において揺るぎない理念として確立していることです。実際、従来は、法令等の主旨に反することでも、その字句に忠実であることによって正当化されるという不合理が横行していたのですが、現在では、法令等の主旨に忠実なプリンシプルが普及することで、是正が進んできているのです。
法律等を改正して字句と主旨を一致させることは、字句の解釈を主旨に合わせる現場の法創造を前提にしています。日本の場合、裁判を通じた判例による法創造が必ずしも活発ではないのですから、金融機関のプリンシプルによる法創造は重要な意義を担っています。故に、今回、最大手の証券会社である野村證券が金融庁のいう「コンプライアンスの本質」を自己規範として受け入れた意味は大きく、ここに一つの法創造がなされたというべきです。
以上
次回更新は、7月18日(木)になります。
2019/02/28掲載「不正のなかに創造の芽がある」
2018/11/08掲載「金融庁は金融育成庁として何を育成するのか」
2018/08/09掲載「なぜ野村證券はETNの早期償還を謝罪したのか」
森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。