レガシーを上手に使わないと未来はないぞ

レガシーを上手に使わないと未来はないぞ

森本紀行
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レガシー、即ち、過去から承継される遺産は、未来への連続的成長のために活用されるべきあり、未来が過去からの断絶だとしても、変革の阻害要因として捨て去られるべきではなく、全く異なるものに変形されて、全く異なる価値を生み続けるものとして、全く新たな環境に移植されるべきです。
 
 レガシー(legacy)は遺産のことですが、故人が遺族に残す財産だけでなく、企業等の組織において前任者から引き継がれる様々な事物をも意味し、特に負の遺産という表現のもとでは、承継されるべきではない悪しき慣習等を指します。そこから承継されないことに重点が移って、レガシーは、新旧の交替において、消え去るべき旧いものを意味することとなり、更には、何ごとであれ、除却には一定の費用を要することから、損失を暗示するに至るのです。
 つまり、レガシー、即ち、過去から承継されるものには、未来に向けて価値を生み続けるもの、即ち、利益を内包しているものと、未来に向けて価値を毀損するもの、即ち、損失を内包しているものがあるわけですが、企業経営においては、多くの場合、レガシーは後者の意味で使われます。
 それは当然で、企業経営の永続性を前提とする限り、過去は未来に自然に連続的に継受されていくのでレガシーとして認知されることはなく、過去がレガシーとして意識されるときは、永続性に疑義が生じたとき、即ち、経営の危機的転換点において、レガシーを捨てて、新しいものの創造に賭けざるを得ない状況だからです。
 
ディスラプトとは、レガシーを捨てることでしょうか。
 
 企業経営において、ディスラプト(disrupt)とは、自然な連続的展開に非連続、即ち断絶を設けることですから、一方で、断絶前のレガシーを捨てることとなり、その意味で破壊的側面をもつわけですが、他方で、単なる破壊ではなくて、創造的破壊といわれるように、断絶後の新たなものの創造を内包するわけです。つまり、レガシーは、単に捨てられ、あるいは破壊されたのでは、新しいものの創造につながらず、新しいものが創造されるためには、レガシーは、何らかの方法で活用されなくてはならないのです。
 その活用方法としては、非連続な局面における活用である以上は、多くの場合、レガシーを売却することとなり、更に、より優れた活用方法は、レガシーを単に売却するのではなく、より高い価格で売却し、より多くの現金を創出して、新しいものの創造に対して、より大きな投資を可能にすることになります。高く売るとは、適切な時点で、適切な相手に、適切な方法で売却することであり、要は上手に売ることであって、それが新しいものの創造の前提になるわけです。
 
そもそも、売れるのは価値があるからですが、レガシーに価値があるのでしょうか。
 
 社会構造や技術条件が変化すれば、必ず、どこかの場所で何らかの新旧交代が生じて、何かがレガシーになるわけですが、レガシーは直ちに淘汰されるのではなく、一定の時間をかけて縮小していき、その間、収益を生み続け、費用が適切に管理されている限り、利益を生み続けるのですから、利益がなくなる時点までの将来利益の現在価値として、事業価値が算定され得ます。故に、レガシーは売れるのです。
 そして、高く売れるのは、買い手が高い価格をつけるからであり、買い手が高い価格をつけるのは、買収後に、何らかの改善を行うことにより、事業価値を高め得る自信があるからです。実際、収益の拡大については、同業の吸収合併によって、費用の削減については、生産から販売までの業務全体の構造改革によって、実現できる可能性があるのです。
 
事業の買い手に可能なことは、売り手自身にも可能なのではないでしょうか。
 
 社会構造や技術条件等の経営環境の変化が連続的である限り、レガシーは発生しないのですから、どの企業においても、過去から承継した古いものを改善しつつ、未来に向けて小さな創造を積み重ねていくことは可能であり、事実として、それが企業と産業の成長の基本形であったわけです。
 しかし、今や、ディスラプトという言葉が用いられるように、いたるところで、経営環境の変化が非連続になって断絶を生じつつある、即ち、レガシーを生みつつあるなかでは、一つの企業において、レガシーの価値を高めつつ、同時に全く新しいものの創造を行うことは、極めて困難になっています。つまり、レガシーの価値を高める経営能力のもとでは、全く新しいものの創造はなされ得ず、全く新しいものを創造する経営能力のもとでは、レガシーの価値を高めることはできないということです。
 
レガシーの価値を高める経営能力は、何か特殊なものでしょうか。
 
 かつて、日本には世界有数の造船業がありましたが、大手の事業者は、いわゆる総合重工や総合重機と呼ばれる複合事業体の巨大企業でした。今では、造船業は、中国や韓国等の企業に押されるなかで、総合重工にとって典型的なレガシーとなり、各社の造船部門の再編が進み始めたわけですが、再編の中核になっているのは、かつての中堅であり、総合重工とは全く異なった経営風土をもつ専業の造船会社なのです。
 では、なぜ専業各社は造船業の事業価値を高めることができるのか、なぜ総合重工のなかから他社の事業を買収することで再編の中核になる企業が生まれなかったのか、総合重工は、事実上の撤退という容貌を呈するなかで、レガシーに内包していたはずの価値を実現できているのか、なぜ、今、再編が本格化するのか、もっと早い時期に再編を完了させていれば、日本の造船業の国際的地位は違っていたのではないのか等々、ここには多くの疑問が生じます。
 
造船業自体はレガシーでない、これが重要な論点ではないでしょうか。
 
 造船業は、巨大な総合重工の企業にとってはレガシーでも、産業構造的には未だディスラプトされているわけではなく、故に、専業各社にとってはレガシーではなく、また、現時点で技術的にディスラプトされていないのならば、未来においては、本質的な技術革新によってディスラプトされ得る大きな可能性を秘めている、即ち、水上輸送用機器の全く新しい形態を創出し得るということです。
 また、造船業が未だにディスラプトされていないが故にこそ、巨大な総合重工の造船部門は、組織の非効率等の側面において、中国や韓国等の企業に押されたのかもしれず、ならば、日本の造船業は、再編と集約の先に、自らをディスラプトし、水上輸送の全く新しい世界を切り開くことで、真の国際競争力を回復できるかもしれないのです。
 しかも、造船業は一つの例にすぎず、現在では同様の状況に陥り、未来へ向けては同様の可能性を秘めている産業は少なくないのですから、日本のいたるところで、過去のレガシーを集約し、現在に活きる産業に蘇生させれば、未来において自らをディスラプトして真の創造を実現する企業が生まれてくるはずなのです。
 
産業自体がレガシーになってしまったら、どうすればいいのでしょうか。
 
 産業自体がレガシーになったときは、持株会社の機能を強化し、顧客本位を徹底するほかありません。つまり、同じ顧客基盤に対して、顧客本位を徹底するために、同一の機能を、より高い付加価値をつけて、より高い利便性のもとに、本質的に異なる方法によって提供することが革新であるときは、レガシーと化した旧事業部門とは別に、持株会社のもとに新事業部門を設立し、速やかな移行を推進するしかないのです。この典型はレガシーと化した銀行であって、銀行改革は、事実として、銀行の持株会社の業務範囲を見直し、銀行以外の事業部門の機能を強化することで、銀行機能の縮小を図る方向にあります。
 
レガシーに化した産業にも価値はあるのでしょうか。
 
 ある産業がレガシーに化しても、直ぐには消滅せず、消滅するまでの期間における価値はありますから、持株会社の経営の使命は、レガシーが価値を失うまでの短く限られた期間内に、新旧の移行を完了させることになります。例えば、銀行の持株会社の場合には、わずかしかない銀行の余命を費用削減によって少しでも長くし、その間に銀行以外の事業部門に価値創出の基盤を急いで確立しなくてはならず、そのためには、銀行に所属する人材の数と適性の不一致、持株会社の経営を担う人材の欠如等、多くの極めて困難な課題を解決しなくてはならないのです。
 
以上

 

次回更新は、12月3日(木)になります。
≪ アーカイブから今回に関連した論考 ≫
2020/06/11掲載「銀行業なんか廃業してしまえ
2019/09/12掲載「成長しないものに投資価値はないのか
2019/08/29掲載「事業承継が問題になること自体が問題だ
森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。