金融機関の自律が基本になるなかでの規制の意味

金融機関の自律が基本になるなかでの規制の意味

森本紀行
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金融庁の行政手法が抜本的に変わり、金融機関の自律が原則となって、その切磋琢磨が金融機能を高度化させていくと想定されるなか、規制の新たな存在意義とは何か。
 
 投資運用業者は、投資対象の価値の分析を行い、投資判断を形成するものであって、その差別優位性は、対象を分析する手法の独自性と、そこから判断を形成する手法の独自性にありますから、それを担う専門人材によって、投資運用業者の価値は規定されるわけですが、そうした人材を確保し、その自由で創造的な活動に対して様々な便益を供与することには、多額の経費を要します。
 その経費は、投資運用業者に対する報酬の支払いという形態において、顧客が負担しています。つまり、投資運用業の本質は、顧客が自己の費用の負担において専門家を雇い、資産の管理運用を代行せしめることなのですから、その職務に従事する人には、自分の所属する会社のためではなく、顧客のために働いているという自覚と高度な責任感が求められるわけです。
 
それがフィデューシャリー・デューティーですか。
 
 フィデューシャリーは英米法の用語で、顧客からの高度な信頼を得て働く人を指していて、投資運用業に従事する人は、その代表です。この高度な信頼は特別に厚く保護されるべきですから、フィデューシャリーには厳格な義務が課せられ、それがフィデューシャリー・デューティーと呼ばれるのですが、その主旨は、顧客の利益のためだけに働けという要請です。
 この要請のもとで、投資運用業者は、所属員として専らに顧客の利益のために働くように動機付ける義務を負い、所属員が最善を尽くして適正に活動する限りにおいて、それに必要な経費を顧客に請求できるのであり、逆に、必要経費を賄うのに十分な報酬を得ている以上は、顧客の利益に適う活動のためにのみ、それを費消しなければならないのです。
 実は、フィデューシャリー・デューティーにおいては、この報酬と経費との関係が非常に重要な意味をもっていて、投資運用業者が請求できる報酬は、提供される役務との関係において、また、役務を遂行するのに要する費用との関係において、合理的に算定されていなければならないのです。
 
日本にも、フィデューシャリー・デューティーに相当するものがあるのでしょうか。
 
 金融庁は、2014年に、理念としてのフィデューシャリー・デューティーを施策に採用し、2017年に、それを「顧客本位の業務運営に関する原則」として具現化し、更に、2021年4月12日に、「金融事業者における顧客本位の業務運営のさらなる浸透・定着に向けた取組みについて」を発表し、同時に、「顧客本位の業務運営の取組方針等に係る金融庁における好事例分析に当たってのポイント」を公表しています。
 この原則では、投資運用業者の得る報酬などの手数料等について、「顧客が理解できる」という基準が示され、ポイントでは、「体系・設定の考え方が具体的に示されている」という着眼点が掲げられていますから、金融庁の基準は、フィデューシャリー・デューティーにおける合理的報酬の考え方を踏襲しながら、合理性を顧客に対する説明可能性に置き換えているわけです。
 
フィデューシャリー・デューティーは、日本でも、履行強制力のある規制になっているのでしょうか。
 
 近時、金融庁の行政手法は抜本的に変更されていて、規制による強制は大きく後退し、替わって、金融機関の自主自律が基本となって、フィデューシャリー・デューティーについても、金融庁の定めた原則に従って、各金融機関が独自の方法で内部規範化することになっています。そして、金融庁は、金融機関に取組状況を開示させて、顧客が金融機関を評価できる環境を整備することで、いわば顧客の監視のもとで、その規範に事実上の履行強制力を付与しようとしているのです。
 更に、4月12日に公表された新しい施策においては、金融庁が好事例だと評価する事例を公表し、金融機関の取組状況に格差のあることに対して、国民の注意を引くことにしています。フィデューシャリー・デューティーの徹底は顧客の利益に適うことですから、顧客は、取組状況に大きな差があることを知れば、その徹底度を重要な判断基準として、金融機関を選択するはずで、そうなれば、金融機関は、取組の徹底度を競うことになると想定されているわけです。
 
もはや、規制は意味を失ったのでしょうか。
 
 現在の金融庁にとって、金融行政の目的は、金融機能の革新を通じた経済の持続的成長と、その結果として実現する国民の安定的な資産形成になっていて、故に、そこに共通する具体的な課題として、資産運用の高度化が重視されるわけですが、規制は、最低限の水準を確保することしかできず、絶えざる高度化は、金融機関の切磋琢磨によってのみ、達成されると考えられています。
 この金融庁の施策について、規制という用語を使って説明すれば、各金融機関は、自分独自の自主規制を自らに課すことによって、自己の最高を実現するために最善をつくし、その結果として生じる切磋琢磨のなかで、金融界全体の平均的水準が絶えず向上していく仕組みだということになります。
 
自主規制が個社の次元のものになるとき、自主規制組織としての業界団体は存在意義を失うのでしょうか。
 
 投資運用業者の業界団体としては、日本投資顧問業協会があり、会員各社が従うべきものとして、自主規制を制定していますが、例えば、「業務運営にあたり留意すべき基準について」の第1項は、「適正な価格による取引」と題されたもので、自主規制の最重要なものと考えられています。
 そこには、「会員は、有価証券等の取引に係る発注の相手方等の選択にあたっては、取引の価格・手数料のほか、相手方の取引の執行能力、情報提供能力、並びに執行結果の報告及び金銭又は有価証券の管理等の事務執行能力などその時点における諸般の状況を総合的に勘案のうえ、最も顧客の利益に資すると判断される相手方及び条件による発注に努める」とあります。
 確かに、「最も顧客の利益に資すると判断される」という表現は、法令等の規制が最低限の基準を定めているのに対して、会員各社に最高の実践を求めるものとして、自主規制としての風格を備えており、しかも、協会は、定期的に会員の取組状況を調査し、その結果を会員に還元してきたのですから、立派に存在意義を果たしてきたのです。
 しかし、金融庁の新しい施策のもとでは、こうした自主規制組織としての協会の機能は金融庁自身によって担われることとなり、各社の取組状況についても、協会は調査結果を内部で共有してきただけなのに、金融庁は広く国民に向かって開示するのですから、各社の最高を目指す努力は協会の外で促されるに至ったと考えられます。
 
会員が自分自身の自主規制の高度化を競うなかでは、協会としての自主規制の高度化は意味をなさないということですか。
 
 例えば、協会の自主規制では、証券会社の選定基準として、情報提供能力が入っていますが、フィデューシャリー・デューティーを厳格に解する視点において、改めて会員各社が真剣に検討するとき、疑念を抱く会員が現れてしかるべきです。
 なぜなら、投資運用業者は、銘柄調査に要する費用を報酬として顧客から受領しているので、外部の情報を購入するのは自由だとしても、その費用は自社の経費として支弁すべきであって、情報提供能力を理由にして証券会社を選ぶことは、情報の対価について、顧客の資産から委託手数料の形態で支弁することになり得るからです。
 
ある投資運用業者が選定基準から情報提供能力を削除し、それを公表すれば、当然に、他社に反省の機会を与えることで、業界の変革が加速していくということですね。
 
 投資運用業者は、金融庁を見るのではなく、ましてや自主規制組織を見るのでもなく、顧客を見るべきであり、顧客からの評価を意識して、自分で考え、自分で自分を律するべきであって、真の競争とは、他社を真似ることではなく、他社の行動の背景について深く考え、それを超えるように、自己の施策を自力で考えることなのです。
 情報提供能力を考慮するかどうかは、各社が真剣に考え、独自の経営判断で対処すべき問題であって、それを業界の問題として、協会において検討することには、何の意味もありません。もはや、真の自主規制は、個社が最高を目指して努力するための個社の自主規制なのであって、業界の自主規制は、金融庁の規制と同様に、最低を規定するものでしかないのです。
≪ 関連する論考をご紹介いたします ≫
ルール遵守は金融機関の自己保身 (2015.11.19掲載)
金融界では表層的なルール遵守により、実際には顧客の真の利益に反し、不適切としかいいようのない行為にも関わらず、責任を問われる可能性のないものとして正当化されるという状態がありました。このような規制の弊害を克服するために、金融機関自身の創意工夫を促すことが必要であることを論じています。

口先だけの顧客本位で淘汰される金融機関とは (2017.6.22掲載)
顧客本位の実践への努力目標だけでは口先だけで顧客本位を謳っているのと変わらず、そのような金融機関は顧客からの信頼を失い、自然と淘汰されていくはずです。そして「顧客本位に徹します」と宣言することは、顧客本位が徹底されていない現状と目指すべき理想の差を内部的にも外部的にも「見える化」するものであり、その差を明確にすることが改革の推進力になることを論じています。

金融機関が顧客に質問して正しい答えを得る方法について (2017.9.14掲載)
商業の原則から考えると、金融機関が「資産状況、取引経験、知識及び取引目的・ニーズ」を顧客へ聞くことは、顧客の無知や誤解の可能性について確認する程度を超え、顧客本位ではあっても、かなり難易度の高い話法の実践が求められます。金融機関は顧客に最善で最適なサービスの提供を保証することで、顧客から必要な情報を聞き、顧客本位なビジネスモデルを構築していくことが重要であることを論じています。
(文責:長澤)

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森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。