投資対象としての資産は、将来の投資収益を内包したもので、内包された投資収益は、時間の経過とともに、資産から自然に展開して実現していきます。このことは、債券投資を考えれば簡単にわかります。債券には、将来の利息と元本の償還金が内包されており、投資対象としての債券を保有することは、時間の経過に従い、その内包された利息と償還金を受け取ることにほかならないのです。
株式や不動産などの全ての投資対象について、同じことがいえるのでしょうか。
更地は現金を生まないので投資対象としての資産ではありませんが、その上に施設を建造して賃料や利用料を創出するようにすれば、投資対象としての資産になります。企業は事業活動を通じて現金を創造する装置ですが、創造された現金は、企業が発行する株式や社債を通じて、投資家に分配されるので、株式や社債が投資対象になるのです。
こうして、資産とは、それが投資対象である限り、必ず現金を創出するものであり、逆に、現金を創出するものだけが投資対象としての資産なのです。資産を取得するためには、現金を投じる必要があり、故に、投資と呼ばれるのですが、将来において資産から創出される現金は、最初に投じられた現金よりも多いことが期待されていて、その差分が投資によって得られる利益になります。投資とは、この簡単な算数以上のものではあり得ないわけです。
投資においては、期待された利益が実現するとも限りませんね。
投資対象の現金の創造には不確実性が伴い、その不確実性のあり方が資産の特性を規定しています。例えば、債券は、利息と元本償還の金額、および支払日が確定していて、不確実性は発行体の信用力、即ち債務履行能力に限られ、更に、国債は、その信用力に関する不確実性も最小になるので、最も不確実性の小さな投資対象として、全ての投資対象の基準点になっています。
この基準点の国債に対して、他の様々な資産は、種々の不確実性が順次に加えられて、作られているのです。例えば、社債には、信用力の不確実性が付加されていて、不動産には、諸費用控除後の賃料収入の変動に関する不確実性が伴い、株式ともなれば、配当の期待値は著しく不確実になっています。更に、外国の社債、不動産、株式には、為替変動の不確実性も加わるわけです。
広い世界において、現金を創造する仕組みは多種多様にあり得ますし、変化し続ける世界のなかでは、新たな現金創造の仕組みが生まれてきます。それらの現金創造には、多かれ少なかれ、不確実性が伴うわけですが、その不確実性について、程度の差こそあれ、何らかの管理可能性がある限り、それらは全て投資対象としての資産になり得るのです。
そうしますと、資産の価値とは、創造される現金の現在価値でしょうか。
投資とは、現金を投じて資産を取得することですが、その資産は、将来に向かって、時間の経過とともに、現金を創出していくのですから、投資とは、現在の現金をもって、将来の現金と交換することになります。このとき、投じられる現在の現金と、将来において回収される現金とは、現在価値においては、等価であり、将来価値においては、投じられた現在の現金は増殖していて、その増分が投資の利益になるわけです。
要は、数学的には、投資とは、現在の現金を将来の現金の現在価値と等価交換することであり、投資の期待収益率とは、将来の現金を現在価値に割引く金利になるわけです。
等価とはいっても、不確実性を調整した後の等価ですよね。
将来の確実な100の現金は、同じ時点の不確実な期待値としての100の現金よりも高い価値をもちますから、将来の期待値にすぎない現金は、その不確実性の程度に応じて、現在価値において小さく評価されなくてはなりません。つまり、数学的には、将来の現金は、不確実性が大きいほど、より高い金利を用いて現在価値に割引かれるわけで、その割引率が投資の期待収益率なのですから、この事態は俗にいうハイリスク、ハイリターンを意味します。
資産の価値は、資産の価格に一致するでしょうか。
投資とは、第一に、資産の価値と一致した価格で資産を取得し、資産が内包する本源的収益、即ち、資産が生み出す将来の現金を享受することです。このとき、資産保有によって回収される現金の総額は、期待においては、取得に要した現金を上回るわけで、この期待に投資の本質は帰着します。
そして、資産が市場で取引されるとき、市場の参加者の平均的期待が常に価格に反映されているのならば、市場の効率性を前提にする限り、資産の価値と価格は常に一致しているはずです。逆に、資産の価値と価格の恒常的な一致を想定するものこそ、効率市場仮説にほかならないのです。
理論に反して、現実には、資産の価値と価格は一致しないですね。
効率市場仮説については、その基本原理を否定し得ないわけですが、価値と価格の恒常的な一致を仮定することには無理があります。つまり、価格は価値を基準とし、価値に向かって、価値の周辺で変動するという仮定は妥当であり、価値と価格が長期間にわたって非常に大きく乖離することはないとしても、常時、価値と価格との間には、乖離があり得ると考えられるのです。
この乖離について、価値が価格を上回るとき、その差は、バリューと呼ばれます。英語のバリューは価値のことですが、投資の世界では、バリューは価値そのものではなく、価格を上回る価値を意味しているので、敢えて片仮名でバリューと呼ばれています。なお、日本語では、バリューのある状態は割安と呼ばれ、逆に、価格が価値を上回っている状態は割高と呼ばれています。
そこで、投資とは、第二に、割安に資産を取得するように努力すること、即ちバリューのある資産を取得し、バリューから追加的収益を得ることとして、バリュー投資になるわけです。
バリュー投資に対して、グロース投資というのもあるようですが。
バリュー投資は、価値と価格の差に着目したもので、価値の上昇を期待するものではありません。しかし、投資対象の選択において、資産価値の上昇が見込まれること、即ち資産の現金創出能力が高まっていくと見込まれることは、極めて重要な判断基準です。投資の世界では、英語のグロースは価値の成長を意味していて、故に、投資とは、第三に、価値の成長、即ち現金創出能力の拡大を目的にするものとして、グロース投資なのです。
投資対象のなかで、価値の上昇の見込めるものは限られています。例えば、債券に価値の上昇はあり得ないのです。故に、グロース投資の対象は、主として株式になります。また、価値の上昇の見込めるものは、同時に、価値の低下もあり得るわけで、要は、不確実性が大きいのですから、グロース投資は、ハイリスク、ハイリターンの代表なのです。
投資の能動的な働きとして、資産価値を上げることはあり得るのでしょうか。
投資の世界では、片仮名が氾濫しているわけですが、能動的に資産価値を上げることはバリューアップと呼ばれています。バリューアップは、主として、プライベートエクイティや不動産などのプライベートな投資の仕組みで行われています。バリューアップは投資対象への積極的関与によってしか実現できず、そのような働きかけは、プライベートな関係性においてのみ可能である、あるいは、プライベートな関係性において、より有効に機能するからです。
プライベートエクイティや不動産の投資においては、バリューアップ活動は、基本的要素となっていますが、融資、あるいはメザニンと呼ばれる劣後融資や優先株などの投資においても、プライベートな関係性におけるバリューアップの働きが重要な役割を演じています。
また、パブリックな投資領域でも、上場株式投資におけるアクティビズムは、経営への積極的関与を掲げるもので、バリューアップを志向した投資手法です。こうして、投資とは、第四に、バリューアップになるわけです。
・価値と価格とインカムとバリュー (2010.1.24掲載)
資産の本源的価値を決定づけるインカム、本源的価値が価格を下回ることで生み出されるバリュー、価値を能動的に高めるバリューアップの3点から、投資の基本が纏められています。第1回『資産運用の原点に帰る!』からの総括として書かれたコラムです。
・投資対象でないものを投資対象にする技法 (2022.3.31掲載)
アートは、単体では現金を生まないため、投資対象ではありません。では、その上に権利を設定して、アート担保金融としてはどうでしょうか。途端に魅力的な投資対象へと変わります。適格な投資対象にする工夫という、金融の妙味が語られています。
・価値の変動と価格の変動 (2009.12.17掲載)
本源的価値が毀損していなければ、時価変動は単なる「市場のノイズ(雑音)」です。変動の要因を見極められる者こそが、危機の中でバリューを拾える真の運用者であると論じています。
(文責:杉本)
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森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。