投資とは、その名の通り、現金を投じることですが、現金を投じるだけでは全く意味がなく、投資とは、投じられた現金が増殖して戻ってくることです。投資の利益は、いうまでもなく、現金の増加分をいうのですが、本質的なことは、現金が増加することよりも、現金が戻ってくることです。このことは、英語で投資の利益をリターンということに明瞭に現れています。
例えば、投資の最も古い形態である融資は、弁済が約定されているところに本質があって、弁済によって投じられた現金が戻ってくる、しかも、利息分だけ増加して戻ってくるからこそ、融資は投資としての意味をもつわけです。
戻ってきさえすれば、少なくなって戻ってきても、投資であるわけですか。
投じられた現金は、増加して戻ってくることが期待されていますが、結果が期待に反して、少なくなって戻ってくるとき、その減少分は損失です。投資の本質は不確実性であって、利益もあれば損失もあり、利益額も損失額も変動するからこそ、投資であるわけです。
現金が戻ってきて投資が完了するのだとしたら、投資には必ず始点と終点があるのでしょうか。
投資の始点における現金と、終点における現金とを比較し、その増減をもって投資の成果を測定することは、投資の基本中の基本です。事実、投資の原点である大航海時代においては、航海に対する投資は、この基本に忠実でした。
当時の航海とは、最初に、現金を投じて、船を仕立て、船員を雇い、商品を仕入れて出航し、途中、様々な港で商品を売り、売却代金で別の商品を仕入れ、最終的に出航地へ戻り、商品を全て売却し、船員を解雇し、船を整理して、全てを現金化することであり、期初に投じられた現金と、最後に回収された現金とを比較したとき、その増減が航海の損益だったのです。つまり、航海の始点から終点までを期間とした現金主義会計だったわけです。
同様の現金主義会計の考え方は、日本の信託会計に今も生きています。例えば、金銭信託においては、始期に現金が信託され、信託された現金は、信託終了時に現金として返還されることになっているため、金銭信託の損益の測定は、期初に信託された現金と、信託終了時に返還された現金とを比較するだけで足りることとなり、実際に、この単純な現金主義は金銭信託の会計の基本になっているのです。
企業年金の資産運用のように、半永久的な継続事業として行われる投資については、どう考えるべきでしょうか。
年金基金や財団等にとって、投資は半永久的な継続事業です。こうした半永久的な投資、また有期でも期間が長期である投資においては、投資の損益は、期間を区切って、区切られた期間について継続的に計測されています。期間の区切りは、1年を超えることはありませんが、1年を更に細分化して、四半期次、月次、日次でも計測されています。
投資の損益が計測期間に依存すれば、真の損益が不明にならないでしょうか。
真の損益は、投資に終期があるときに、期初に投じられた現金の額と期末に現金化された額とを比較したときの増減、即ち、現金で確定した損益です。しかし、投資に終期がないとき、あるいは終期が遠い将来にあるときは、損益は、計測期間が変われば異なるばかりか、計測期間の期初と期末の資産の時価評価額の比較でしかなく、要は、計測期間に依存した仮の評価損益にすぎないわけです。
こうした仮の評価損益を巡って投資成果の良否を論じても、何ら意味はなく、全く不毛ですが、世のなかでは、そうした無益で無駄なことに、多大な時間と労力が費やされているわけです。特に、損失が発生した期間においては、その非を唱える人が必ずあるもので、そうした人に限り、期初からの累積では十分な利益の発生していることを忘れているのですから、困ったものです。
短期的な時価評価の変動に伴う損益は無視してよいのでしょうか。
よく長期投資といわれますが、この標語の重要な意義は、将来に向かって長期の視点で投資しろということよりも、過去に向かって長期の成果を確認しろということにあります。
しかし、時価変動は短期的に著しく大きくなり得て、事実としても、金融危機等においては、極めて大きな資産時価の下落があったわけで、そうした局面では、去年の直近10年間では利益が出ていても、今年の直近10年間では損失に転じることがあり、いくら長期、長期と大声で唱えても、短期的な時価変動の雑音は消せません。
ならば、いっそのこと、現金による損益の確定を連続的に反復したらどうでしょうか。
投資の世界には、英語でスリープ・ウェル・アット・ナイト、即ち、夜に安眠するという表現があります。運用者は、毎朝、出勤してくると、現金から投資を開始し、夕刻に帰宅するときは、全て売却して現金に戻すのです。そうすれば、夜間は現金になっているので、海外の市場で何が起きようが全く心配することなく、安眠できるわけです。銀行や証券会社などの自己勘定取引部門や、商品先物の運用会社などでは、現実に行われている投資手法です。
この手法においては、投資は、1日間で清算される超短期のものです。しかし、この超短期投資は、事業として連続してなされることにより、長期化されています。しかも、どの期間で区切ろうが、その期間の損益は、現金確定した日々の損益の累積値として、確定したものになります。
長期という漠然としたものはなく、真の長期は短期の連続だということでしょうか。
多くの問題は、長期という漠然としたものを想定することに起因しています。真の長期は、漠然とした長期を排して、例えば1年間という基本単位を定め、その単位の複数の連続、例えば5年の連続として、明確に規定されるべきです。実際、企業経営において、漠然とした長期などあり得るはずもなく、長期経営計画は、単年度決算の3年、もしくは5年の連続として策定されています。
同様に、長期投資は、日々変化する環境において、日々継続的に形成される投資判断の連続として、いわばスリープ・ウェル・アット・ナイトの連続として、定義されるべきです。この場合、いうまでもなく、資産を全て日次で現金化して、投資の損益を確定させる必要はありません。現金化されても買い戻される銘柄が多く、取引費用の無駄になるからです。
管理上の規律の問題ですか。
常に現金化を前提にして、全保有資産の投資価値が常に精査されていれば、投資価値があると判断される銘柄は、売却されても直ちに買い戻されるのですから、現金化は無駄であって、継続保有になり、投資価値が失われていると判断された銘柄は、必ず売却されます。このとき、重要なのは、判断基準になるのは投資対象の価値であって、価格ではないことです。
短期的な価格変動を無視して、長期的な価値判断に賭けるということですか。
全保有銘柄について投資対象としての価値の判断がなされるとき、価値に変動がないと判断された銘柄は、価格が下落していても、決して売却されず、逆に価格が上昇していれば、必ず売却されますし、価値が変動したと判断された銘柄は、それに対応した価格変動との関係において、割高か割安かの判断がなされて、投資行動が決められます。
つまり、真の長期投資においては、短期的な価格変動は無視されるのではなく、長期的な価値判断に基づく投資行動によって、適切に利用されるのです。それに対して、現実には、短期的な価格変動によって投資行動が動機づけられ、長期的な価値変動の見失われていることが多いのです。
価格変動と価値変動は異なるわけですか。
価値変動は価格変動の原因となり、価格変動は背後に価値変動を推定させますが、両者は常に一致しているわけではなく、価格と価値の乖離は常に生じています。そして、短期的な価格変動は、長期的な価値変動に着目する人に、有利な投資行動の機会を与え、短期的な価格変動に一喜一憂する人に、心理的行動に基づく損失の機会を与えているのです。
・長期投資は短期投資の無期限連続 (2017.3.2掲載)
機関投資家や個人投資家に関わらず、投資は、特定の目的を持つことを前提としているため、必ず期限があるものです。運用視点の長期と運用資産の性格における無期限について述べています。
・使途のある資金を運用してこそ真の投資なのだ (2020.5.21掲載)
投資は、期間に関わらず、将来のある時点に発生する資金使途に向けて実行されてこそ、真の資産運用です。単に投資のための投資は、資金を殖やす目的がないので、投機、もしくはゲームにすぎません。
・お金を貯めて殖やして何が楽しいのだ (2020.1.16掲載)
上述と同様に資産運用の真の意味について論じています。将来使途のある資金が、資金需要のある国や地域に投資を通じて流され、間接的に経済の成長に貢献する一方、利益が上乗せされて戻った資金は使途実現に活用されるとの循環は、投資の本来の姿です。
(文責:ティ)
ご登録いただきますとfromHCの更新情報がメールで受け取れます。 ≫メールニュース登録
森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。