プロフェッショナルとは、高度な専門的知見や技能を有する個人のことで、その代表は、法定資格である弁護士、会計士、医師等なのですが、どの分野においても、個人の高度な専門的能力によって職務を遂行するものは、スポーツ選手やコンサルタントなど、全てプロフェッショナルです。
プロフェッショナル業では、プロフェッショナル個人が職務上の責任を負う主体であって、プロフェッショナルの集団が組織を作るにしても、その組織は事業責任を負う主体にはなり得ません。このことは、弁護士等の法定資格においては明らかですが、他の一般のプロフェッショナル業においても、プロフェッショナル業の本質として、理念的には変わりありません。
プロフェッショナル業における組織の機能は何でしょうか。
プロフェッショナル業においては、組織が先にあって、そこにプロフェッショナルが帰属しているのではなく、プロフェッショナルが先にあって、その集団が仕事の利便性を高めるために組織を作っているのにすぎません。実際、財務や人事総務的な業務は、組織として統合したほうが効率的ですし、専門性の異なるプロフェッショナルが一緒になることで、より大きな付加価値を創造できることにもなります。
また、未熟なプロフェッショナルにとって、組織の一員になることは、顧客獲得や自己研鑽にとって非常に有益でしょうし、逆に、組織内の熟練したプロフェッショナルにとっても、そのような未熟なプロフェッショナルを指導しつつ、業務の一部を任せることは、効率性を高めることになります。こうして、プロフェッショナル相互の利益があるので、組織が作られて、維持されているのです。
投資運用業はプロフェッショナル業でしょうか。
投資運用業において、投資判断は、個別具体的な投資対象の価値の分析評価に基づいていて、その形成には高度な専門性と熟練が要求されますし、最終的な投資の意思決定は、分析評価を担当した個人によってなされるほかないのですから、その個人は、投資のプロフェッショナルでなければならず、その投資のプロフェッショナルが集まって、組織を形成することで、投資運用業者が成立するわけです。
組織のなかで、プロフェッショナルは、各自の様々に異なる経験に基づいて、情報交換をし、相互に助言し合うのですが、最終的な投資判断は、組織の合意によって決定され得るものではなく、当該投資対象についての責任を負うプロフェッショナル個人によってしか決定され得ないのですから、投資運用業はプロフェッショナル業です。
プロフェッショナルの組織には、統制という機能はないのでしょうか。
様々なプロフェッショナル業があるなかで、組織の役割も様々に異なるわけですが、統制機能は、程度の差こそあれ、また目的や方法の違いがあるにしても、組織に不可欠ですし、逆に、統制のあるものが組織と呼ばれるのです。しかし、法定資格であるプロフェッショナルにおいては、組織が責任を負うことはあり得ないので、統制は形式にすぎないわけです。
それに対して、投資運用業のような一般のプロフェッショナル業においては、理念的にプロフェッショナル個人が責任を負うといっても、現実的には組織が責任を負うわけですから、統制は極めて重要な実質的意味をもっています。そして、ここで大きな問題となるのは、理念的としてのプロフェッショナル個人の自治と、組織統制との間には、矛盾が生じやすいことです。
では、プロフェッショナル業としての投資運用業において、組織統制の問題は何でしょうか。
統制の最も重要な機能は、プロフェッショナル個人の決定による投資判断を承認することです。この承認によって、対外的な責任は個人から組織に移転するのです。しかし、個人の決定と組織による承認は、合議による組織の決定とは本質的に異なるのであって、組織内部においては、組織の承認によっても個人の決定責任は不変なのです。
しかし、組織は、内在する権力志向的な力によって、次第に統制を強化していき、ついには、組織による決定という妄想に支配されます。このとき、投資のプロフェッショナルは消滅し、投資運用業は、堕落して、プロフェッショナル業でなくなるのです。
リスク管理は、組織統制として、同様な問題を内包するのでしょうか。
投資運用業の組織統制において、リスク管理は極めて重要です。投資戦略は、ポートフォリオ、即ち、多数の投資対象の組合せによって構成されていて、投資判断が複数のプロフェッショナル個人に分担され、その個人の決定に任されていれば、ポートフォリオ全体の集積結果には、必然的に偏りと歪みが生じますから、その是正のために、全体統制として、数値的制限等を設ける必要があります。これがリスク管理の基本であり、最低限の機能です。
この最低限のリスク管理に加えて、資運用業者は、固有のリスク管理手法を発展させることで、投資の技法の差別優位を競おうとしてきましたが、その過程で、組織は過剰統制に傾斜していき、リスク管理の名のもとで煩瑣な諸規則の体系を形成するに至り、個人の裁量余地は小さくなり、規則による統制が優越して、組織の合意による意思決定という妄想に支配されるわけです。
リスク管理の独り歩きですか。
リスク管理とは、本来は、プロフェッショナル個人の投資判断の決定が先にあって、その実行までの精査の過程を統制する手続きなのですが、それが逆転して、リスク管理規定に準拠して投資判断基準が先に決められ、その基準に合致するように投資判断が形成されるようになれば、その判断は、狭い範囲の事務的なものにすぎなくなり、プロフェッショナルの仕事ではなくなります。
また、よくある事例は、一定の事象の生起、例えば、基準範囲を超えた価格の下落、社債ならば格付の引下げ等により、強制売却の規則を定めることで、こうなれば、担当のプロフェッショナルの決定を待つまでもなく、自動的に売却決定がなされてしまうのです。
日本の投資運用業の場合、成立の経緯からして、組織統制の優越が顕著ではないでしょうか。
日本では、歴史的経緯により、投資のプロフェッショナルが組織を作ったのではなく、先に組織が作られ、統制規則が定められて、それによって投資のプロフェッショナルの育成が目指されたのですから、最初から、プロフェッショナル業の本質に反していて、投資のプロフェッショナルなど育つはずもなかったのです。
どうすれば、投資運用業をプロフェッショナル業に再生、あるいは日本の場合には新生できるでしょうか。
決定はプロフェッショナル個人のものであり、リスク管理は意見の表明であることが再確認されるべきです。つまり、リスク管理は、個人の決定に対して、リスクとして認知すべき論点を注意喚起のために指摘することであって、その指摘は、強制力をもたず、単なる意見に留まるべきなのです。
プロフェッショナル個人としては、当然の責務として、リスク管理の意見に対して反論しなくてはならず、反論できなければ、プロフェッショナル個人の判断として、リスク管理の意見の正当性を認めることになりますから、それに従うのは、リスク管理に従うのではなく、自分の判断に従うことなのです。
反論のなかで、プロフェッショナルが育つのですね。
プロフェッショナルが個人の能力の全てを傾けて徹底した調査を行ったうえで到達した結論に対して、リスク管理は、別な視点から意見をいうわけですが、その意見は、プロフェッショナル本人の気付かなかったリスク要因の指摘ですから、プロフェッショナルは、それを受けて徹底した再調査、再分析、再検討を行うことで、より洗練され精緻化された投資判断を得ることになります。
また、組織統制上、リスク管理は執行機関ではないのですから、プロフェッショナルは、自説を変える必要を認めないのならば、リスク管理の反対を押し切って行動すべきです。それほどの気概をもってこそ、プロフェッショナルと呼ばれ得るのです。
・投資信託を売る君よ、文句があるなら独立しろ (2019.6.27掲載)
投資信託の販売時に、家計の原点に遡るコンサルティングがなされるならば、それは立派な独立した役務であって、その対価を顧客に要求しうることは明らかです。そうであれば、それに従事する人は、金融機関に属する必要はなく、顧客に属すればいい、即ち独立して開業すればいいのです。組織ありきともとれる金融機関について警鐘を鳴らす内容になっています。
・資産運用の担い手として、何をなすべきか (2014.7.10掲載)
産業界の成長資本を供給する点に投資の社会的機能があり、投資には産業界の統治改革を誘発させる触媒としての役割もあります。投資の役割から、投資の担い手の責任について論じています。
・賢人の独裁と凡人の集団統治、どちらの害が少ないか (2017.11.30掲載)
最高投資責任者を任命し、階層的な権限移譲の形態であるエンダウメント・モデルについての説明を踏まえながら、年金基金等の機関投資家が行う投資のガバナンスのあるべき姿について論じています。
(文責:長澤)
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森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。