ハイリスク、ハイリターンは、それを俗な表現にして、危ないものほど儲かるといえば、多くの人が違和感を覚えるように、リスクが高いほど、リターンが高い、即ち、投資収益が大きいという意味ではなく、理論的には、単に、リスクが高いのならば、投資収益が期待において大きいのでなければ、誰も高いリスクを許容しないというだけのことです。
リスクを考慮した期待リターンにおいて、ハイリスク、ハイリターンになるということですか。
リスクは、常識的には、損失を被る可能性ですが、理論的に洗練させれば、利益を得る可能性も含めて、期待損益の不確実性として一般化されます。つまり、損失を被る可能性があれば、当然のことながら、利益を得る可能性もあるわけですから、リスクとは、要は、期待損益が不確実であることなのです。そして、更に、実務的には、数値的な処理を可能にするために、リスクは確率として定義されています。
例えば、ある資産は、確実に100が110になるとし、別の資産は、50%の確率で90になり、50%の確率で130になるとしたとき、この二つは、リスクを調整するとき、即ち、期待損益の確率加重平均をとるとき、期待利益が同じになります。しかし、期待利益が同じならば、誰しも確実なほうを選択しますから、多数の投資家の同様な選好に基づく投資行動は、資産の価格形成に影響を与えて、確実な資産のほうが割高になる、つまり、期待利益は小さくなるはずです。
こうした投資家の行動を一般化すれば、期待損益の確率分布が狭いほど、即ち、確実性が高いほど、期待利益は小さくなるはずで、実務的には、リスクを期待損益の不確実な分布ととらえ、それを統計的に計測して、分布が正規分布に従うと仮定したうえで、平均値をリターン、即ち、期待利益とし、標準偏差をリスクと定義しているので、ハイリスク、ハイリターンになるわけです。
ハイリスク、ハイリターンは、理論的要請ですか。
ハイリスク、ハイリターンは、投資家の資産選択における選好に関する仮定であり、その仮定に基づく資産価格形成に関する理論的要請です。統計的な実証研究によって、ハイリスク、ハイリターンの成立が検証されたとされる場合も多いでしょうが、それとても計測期間などの条件に規定されることですから、ハイリスク、ハイリターンは、どこまでも理論的要請であって、決して事実にはなり得ないわけです。
あるいは、機関投資家、即ち、社会的責任を負った投資主体の場合には、ハイリスク、ハイリターンは、規範的要請だと考えられます。つまり、社会的責任の果たし方の一つは、合理的に説明できることですから、ハイリスクな投資対象に対しては、ハイリターンを期待しなければならない、そうでなければ、投資判断の合理性が保てないと理解されるべきなのです。
リスクが大きな投資対象は、一般に、価格変動が大きいのでしょうか。
投資の損益は利息配当金等と価格変動とで構成されますが、リスクの多くを規定するのは価格変動です。そして、常識的な言葉使いとしては、リスクの大きな資産とは、価格変動の大きな資産を意味し、逆に、安全な資産とは、預金のような価格変動のない資産を意味していて、リスクとは、価格が大きく下落する可能性を指していると思われます。
ある資産の価格が下落したとき、別の資産の価格は上昇しているかもしれませんね。
リスクとリターンの完全に等しい二つの資産があって、それらの価格は、一方の上下変動に対応して、他方は全く同じ騰落幅で逆向きに上下変動するとすれば、二つに等金額を投資すれば、リターンは変わらずに、リスクはゼロになります。これが分散効果と呼ばれるものです。
この例のような完璧な分散効果はあり得ませんが、逆に、二つの資産が完全に同一方向に価格変動することもあり得ないので、どの資産についても、他の資産との間に一定の分散効果があります。投資の基本が分散だという意味は、単に複数の資産に投資しろということではなく、分散効果が大きくなるように、複数の投資対象を選択し、資産配分、即ち、各資産への配分比率の決定を行えということです。
こうして、ハイリスクな投資対象は、他のハイリスクな投資対象とともに投資されるとき、分散効果によって、ハイリターンを維持しつつ、ハイリスクであることを緩和できるのですから、ハイリスク、ハイリターンは、分散投資を前提にしてこそ、重要な意味をもつのです。
価格変動が大きいことは、低い価格での投資を可能にするのではないでしょうか。
不確実性は、損失を被る危険であると同時に、利益を得る機会です。価格変動の大きさを危険ととらえれば、低い価格で売り、高い価格で買う可能性になるでしょうが、利益機会ととらえれば、低い価格で買い、高い価格で売る可能性になります。投資は、当然のことながら、利益を得る期待のもとでなされるのですから、価格変動は危険であるよりも、利益機会であるべきです。
では、ハイリスク、ハイリターンは、価格変動の機微を巧みにつくことによって、実現されるのでしょうか。
投資の基本が長期投資であるとは、決定された資産配分を長期的に維持すべきだという意味です。資産価格は常に変動していますが、相対的に価格の上昇した資産は配分比率が大きくなり、逆に、相対的に価格の下落した資産は配分比率が小さくなるわけですから、同じ資産配分を維持するときは、相対的に価格の上昇した資産を売り、相対的に価格の下落した資産を買うことになります。これがリバランシングと呼ばれるものです。
つまり、リバランシングのもとでは、結果的に、安いときに買い、高いときに売ることになりますから、資産価格の変動の機微が追加的な利益の源泉になるわけで、これが長期投資の効果といわれるものです。ハイリスク、ハイリターンな資産は、実は、リバランシングの効果を大きくするわけです。
ハイリスク、ハイリターンの対極には、ノーリスク、ノーリターンの現金がありますが、投資の世界で、現金は王様といわれることがあるのは、なぜでしょうか。
ハイリスク、ハイリターンな投資対象は、長期的な分散投資においては有益なのですが、分散効果が働くためには、前提として、価格変動の方向は資産ごとに異なっていなければなりません。大多数の資産の価格が一斉に下落するときは、しかも、ハイリスクなので、大幅に下落するときは、極めて困難な事態が生じるわけですが、投資の世界では、これを危機と呼ぶのです。
歴史的には、危機と呼ばれるべき状況は、頻繁ではないまでも、何度も生起していますから、投資においては、危機の発生は常に想定されているべきですが、その有力な危機対策として、現金は王様といわれるのです。つまり、危機において、現金には価格下落が生じないために、現金を保有していれば、価格が大きく下落した資産を安く買えるのですから、現金保有によって、危機は逆に大きな利益機会になるのです。
現金保有には、極めて大きな機会費用が伴いませんか。
現金保有は、投資による利益機会を放棄することであり、期待利益を逸失させることとして、機会費用を発生させます。しかし、他方で、危機における巨大な利益機会を確保することですから、理論的には、危機における期待利益が機会費用よりも大きいのならば、現金保有に合理性があるわけです。
通常の投資の理論では、現金保有は非合理的とされるようですが。
通説では、ノーリスク、ノーリターンの現金は資産ではないので、積極的な投資対象になっていないばかりか、危機の発生が想定されていない、あるいは一時的な異常現象としてしか想定されておらず、危機における現金保有の意味について顧慮が払われていません。しかし、通説の理論的要請であるハイリスク、ハイリターンは、ノーリスク、ノーリターンの現金を原点においてこそ、意味があるのだと思われるのです。
・投資の常識への素朴な疑問に答えます (2010.7.29掲載)
ハイリスクな投資対象には、ハイリターンを期待しなければ投資判断の合理性が保てません。つまり、リスクが大きいならば、十分に低い価格で投資できるという条件でのみ、投資可能となることです。投資家には厳格な価値判断と、地の果てまで投資機会を探しに行く努力が必要になることを解説しています。
・現金の価値、機会と危機、そして「オポチュニスクティック」ということ (2008.10.30掲載)
リーマンショック後の2008年のコラムです。“forced to sell”の問題と現金保有について論じられています。
・オバマ大統領就任演説とプロシクリカリティの問題 (2009.2.26掲載)
プロシクリカリティ(procyclicality)は価格の下落や上昇が一方向に連鎖していく事態です。オバマ大統領就任演説から、市場と政府の関係について論じています。
(文責:杉本)
ご登録いただきますとfromHCの更新情報がメールで受け取れます。 ≫メールニュース登録
森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。