地場証券とは、小さな地域に営業範囲を限った証券会社のことで、昭和の時代には、全国各地に数多く存在していましたが、経営環境が変化していくなかで、廃業し、あるいは他社と統合して、消滅していきました。現在では、地方銀行の子会社になったものを除くと、独立を維持している伝統的な地場証券は、少数しかありません。
ちばぎん証券は、もとは二つの地場証券が統合した中央証券であって、千葉銀行に買収されて完全子会社となり、屋号を改めたものですが、6月23日に、「顧客の投資方針や投資経験等の顧客属性を適時適切に把握しないまま、多数の顧客に対し、複雑な仕組債の勧誘を長期的・継続的に行っている状況が認められた」として、金融庁の行政処分を受けています。
「犯罪に近い」との指摘を受けた事案ですね。
日本証券業協会大阪地区協会の巽大介会長は、数少ない生き残りの地場証券である光世証券の社長ですが、日本経済新聞等の報道によれば、7月4日の記者会見において、ちばぎん証券の行政処分に言及して、「犯罪に近い」と述べたようです。どの業界団体でも、会員の問題事象を公然と批判するのは稀で、ましてや、「犯罪に近い」との強い表現を用いることは、極めて異例のことです。
営業妨害だというのでしょうか。
ちばぎん証券は、仕組債の特性に適合しない顧客類型に対して販売したので行政処分を受けたわけで、仕組債の販売自体は、対象顧客との間に適合性がある限り、全く問題ありません。実は、光世証券のような地場証券は、その伝統的な営業基盤として、投機を嗜む顧客層、まさに仕組債が適合する顧客層をもっていて、その需要に適切に応えるように、顧客本位な業務運営を徹底してきたからこそ、今日まで生き残ることができたのです。
巽氏は、おそらくは、ちばぎん証券が仕組債の販売に関して行政処分を受けたことで、顧客本位を貫いている地場証券も、顧客から同類と誤解される可能性を生じ、重大な営業妨害となり得ることから、迷惑至極に感じ、また、金融庁が仕組債の販売を規制するとの懸念も抱いたので、敢えて「犯罪に近い」と断じ、ちばぎん証券の異常さを強調したのだと思われます。
金融庁の規制はあり得るのでしょうか。
金融庁として、投機を選好し、投機を十分に理解し、投機を行うだけの経済力をもつ顧客があって、証券会社が真の顧客の需要に忠実に対応し、資本市場の公正性に反する取引をなさない限り、投機には市場に流動性を供給する機能があることでもあり、投機を規制する根拠をもたないはずです。故に、適合性原則が厳格に維持される限り、仕組債の販売が規制されることはあり得ません。
ところが、ちばぎん証券の行政処分を機に、多くの証券会社において、一斉に仕組債の販売が停止されています。こうした金融庁の意向の無用の忖度は、愚劣の極みです。なぜなら、顧客本位に販売していたのであれば、販売を停止する理由はなく、逆に、販売を停止すれば、顧客本位に反して販売していたと認めることになるからです。
金融庁にとっては、格好の対話の材料ですね。
現在の金融庁の行政手法は、金融機関との対話を重視することですが、この事案は、金融庁のいう対話とは何であるかの理解にとって、わかりやすい材料を提供しています。つまり、金融庁としては、仕組債の販売を停止した証券会社に対して、停止した理由を問うことができ、同時に、以前は販売していたことの理由を問うことができて、二つの回答に矛盾があれば、更に経営態勢を問題にできるわけです。
ちばぎん証券は、前身の地場証券の伝統が活きていたときには、顧客本位だったのではないでしょうか。
この事案は、形式的には、ちばぎん証券による適合性原則に違反した仕組債の販売なのですが、本質的には、千葉銀行と武蔵野銀行による違法な顧客紹介です。おそらくは、ちばぎん証券においては、中央証券のときから、地場証券の伝統にしたがい、適合性原則に忠実に、仕組債の販売がなされていたはずですが、千葉銀行と武蔵野銀行から顧客の紹介を受けるようになってからは、適合性原則違反が常態化したのだと考えられるわけです。
千葉銀行と武蔵野銀行も行政処分を受けていますね。
両行は、ちばぎん証券との契約において、顧客を紹介して、販売実績に応じた手数料を受領することになっていたところ、実際には、ちばぎん証券という会社を紹介するのではなく、その販売する個別具体的な仕組債を紹介していたとして、法令違反を指摘されて、金融庁の行政処分を受けています。
つまり、両行は、ちばぎん証券に対して、仕組債の特性に適合しない顧客を紹介し、そこで仕組債が販売されることを承知し、あるいは、むしろ期待していたわけですから、適合性原則違反を犯したのは、形式的には、ちばぎん証券であるにしても、実質的には、両行です。要は、両行は、法令上、銀行本体では仕組債の販売ができないことから、ちばぎん証券を道具として利用して、手数料稼ぎをしていたのです。
「犯罪に近い」といわれるとき、千葉銀行等の犯した罪は、顧客本位な地場証券の営業のあり方を破壊したことでしょうか。
ちばぎん証券において、仕組債の販売を実行していたのは、おそらくは、親会社の千葉銀行からの転籍者や出向者なのではなく、ちばぎん証券の固有社員だったのであり、こうした営業員にとって、千葉銀行等から紹介された顧客は、顧客類型的にも、営業基盤的にも、本来は接近し得ないものだったのに、銀行からの紹介であれば、容易に仕組債が売れたために、不正の深みに陥っていったのでしょう。
そうであるのならば、千葉銀行等の「犯罪に近い」行為の本質とは、第一に、手数料稼ぎのために銀行の信用を濫用したことであり、第二に、ちばぎん証券の地場証券としての伝統を破壊し、働く人の職業倫理を荒廃させたことになります。
千葉銀行は、「犯罪に近い」行為をするために、中央証券を買収したのでしょうか。
中央証券に限らず、どの地場証券にとっても、投機を嗜むような顧客基盤は縮小してきたのだと考えられ、故に、中央証券にとっては、新規の顧客基盤を求めて、千葉銀行の子会社になることに合理性があったわけですが、千葉銀行が中央証券を買収した意図は必ずしも明瞭ではありません。
常識的な推察としては、証券会社を傘下に入れることで、銀行本体では販売し得ない株式、社債、外国証券等の取り扱いを可能にするためですが、その背後にあるべき事業構想は、当然に、衰退する投機的な需要ではなく、成長する資産形成の需要に応えるものなので、そこに仕組債の販売の入る余地は全くないはずです。
では、常識に反した推察として、仕組債の販売など、投機的な需要に応えるためだとすれば、投機的な需要が減少に向かうなかでは、「犯罪に近い」方法で、適合性原則に違反して、仕組債の新たな顧客を開発するしかなかったわけで、千葉銀行の「犯罪に近い」行為とは、価値のない中央証券を買収し、顧客を騙すような営業を行うことで、社会的信用を失墜させたことになります。
三木証券と同類ですね。
証券取引等監視委員会は、9月15日に、三木証券について、処分勧告を行いました。同社は、首都圏を基盤とする地場証券ですが、「顧客層の高齢化により口座数が減少傾向」にあるなど、業績不振に陥り、その挽回のために、「会話がかみ合わない、数分前の会話を覚えていないなどといった顧客の様子から、顧客が少なくとも外国株式取引を行えるほどの認知判断能力を持ち合わせていないと認識」し得たのに、外国株式取引の勧誘を行っていたとのことです。
千葉銀行等の事案が「犯罪に近い」とすれば、三木証券の事案は「ほぼ犯罪」という次元にありますが、構図の本質は全く同じです。しかし、こうした事案を地場証券一般に拡大するのは誤りで、地方銀行の子会社となったものにも、独立を守っているものにも、少数だとしても、顧客本位の伝統と誇りを堅持しているものはあるのです。
・金融の未来を切り拓くための対話 (2021.9.30掲載)
金融機関と金融庁の対話は、規制によるミニマムスタンダードの維持ではなく、金融機能高度化へ導くための手段であり、対話を基礎に事業の創意工夫がなされることを期待しています。
・銀行等の持続可能なビジネスモデルとは何か (2021.6.24掲載)
顧客本位の業務運営のためには顧客の特定が必要であり、顧客を特定することでビジネスモデルを構築することができます。
・投資しようとして投機してしまう人のために (2019.10.31掲載)
投資は資金の使用目的があり、それに基づいて運用することですが、投機は行為そのものが目的である点で異なります。しかし、投機を投資と誤認して運用が行われることがあります。
(文責:岸野)
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森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。