確定給付企業年金基金の資産運用においては、運用委託先が選定される際に、母体企業と金融機関との政策的な関係が考慮されることは少しも珍しくありません。当然のことながら、企業年金基金を規制する法律には、利益相反を禁じる忠実義務が存在するのですから、こうした明らかに利益相反を推定させる事態の横行は、実に奇怪なことだといわざるを得ません。
なぜ監督官庁は放置するのでしょうか。
監督官庁は厚生労働省ですが、その法令解釈によれば、運用委託先の選定において、利益相反の外貌を呈する行為があっても、そのことが企業年金資産に積極的な損害を与えない限り、また制度の加入員・受給者にとって不利益にならない限り、忠実義務に違反しないとされています。しかし、通常の運用委託先の選定においては、そうした明々白々な忠実義務違反はあり得ないわけで、あり得ないことを規制しても意味はないのです。
金融庁の立場は全く異なるわけですか。
2017年4月7日に、当時の金融庁長官であった森信親氏は、日本証券アナリスト協会の第8回国際セミナーにおいて、「日本の資産運用業界への期待」と題する講演を行いました。この講演は、表題こそ期待となっていますが、実際には、強い言葉を用いた痛烈な批判であって、業界に激震を走らせたものとして、今に語り継がれています。ここで、森氏は、企業年金基金に関して、次のように述べています。
「運用会社だけでなく、アセットオーナーの役割も重要です。例えば、年金基金には、掛け金をかけている国民に対するフィデューシャリー・デューティーを十全に果たすことが求められます。アセットオーナーは、自らの資金を委託するのに最もふさわしい能力を持った運用会社を見極める必要がありますが、仮に年金基金が、マンデートを運用会社グループとのリレーションで与えているとすれば、それはフィデューシャリー・デューティーの観点に照らして問題があります。」
これを理解するには、注釈が必要かと思われますが。
アセットオーナーとは、その名の通り、運用すべき資産を保有するもので、投資運用業界の立場からいえば、顧客であって、その代表が企業年金基金です。マンデートは、業界用語としては、顧客が投資運用業者との間で締結する運用委託契約ですから、「年金基金が、マンデートを運用会社グループとのリレーションで与えている」とは、企業年金基金が母体企業の金融機関との関係に基づいて運用委託先を選定していることを意味しています。
つまり、森氏は、こうした事態は、法律上の忠実義務に違反しないとしても、フィデューシャリー・デューティーには反していると述べているわけで、その前提として、企業年金基金はフィデューシャリー・デューティーを負うと考えているのです。
フィデューシャリー・デューティーとは何でしょうか。
金融庁は、2014年事務年度の行政方針のなかで、金融機関にフィデューシャリー・デューティーの徹底を求めると述べて、金融界を非常に驚かせた後、この講演の直前の3月30日には、それを具現化した「顧客本位の業務運営に関する原則」を公表しています。
フィデューシャリー・デューティーの導入よりも更に遡って、金融庁は、金融機関に対して、ミニマムスタンダード、即ち、最低基準の徹底を求めることから、ベストプラクティス、即ち、最善の追求を促すことへと、行政手法を抜本的に転換しています。そこで、英米法の用語を借用して、フィデューシャリー・デューティーの徹底を求めることになったのです。
つまり、フィデューシャリー・デューティーに最も近いものを日本法に求めれば、忠実義務になるのですが、企業年金基金に適用される忠実義務に限らず、日本法の忠実義務は、ミニマムスタンダードの徹底を求めるもので、いわば悪事を働くなという命法であるのに対し、英米法のフィデューシャリー・デューティーは、ベストプラクティスを追求させるもので、いわば最善を尽くせという命法なのです。
日本法のなかで、どのようにフィデューシャリー・デューティーは機能するのでしょうか。
現在は、金融機関は、「顧客本位の業務運営に関する原則」を自主的に採択して、自律的にフィデューシャリー・デューティーを徹底することとされていますが、その実効性には疑問の余地があるので、金融庁は、「金融サービスの提供に関する法律」を改正することで、法規範化を進めていて、改正法案では、「顧客等の最善の利益を勘案しつつ、顧客等に対して誠実かつ公正に、その業務を遂行しなければならない」との表現が採用されています。
実は、「金融商品取引法」等には、従来から、「誠実かつ公正に、その業務を遂行しなければならない」という義務、いわゆる誠実公正義務が存在していたのですが、改正法案は、それらを「金融サービスの提供に関する法律」に一元化して、「最善の利益を勘案しつつ」を付加することで、内容の拡充を図っているわけです。
企業年金基金は、金融機関ではないのに、対象になるのでしょうか。
改正法案では、法律の対象となる金融サービス提供事業者が定義されていて、そこには、金融機関のほかに、企業年金基金が入ることになっていますから、2017年に森氏が述べた通りに、企業年金基金はフィデューシャリー・デューティーを負うことになるわけです。ちなみに、法案に、「顧客」ではなくて、「顧客等」とあるのは、「等」に企業年金基金の加入員・受給者を含ませるためです。
運用委託先の選定において、どうすれば加入員・受給者の最善の利益を勘案したことになるのでしょうか。
法律の現実的な機能からすれば、最善を尽くす義務に違反した事態が問題ですが、そもそも最善を尽くすことの意味が必ずしも明瞭ではありませんから、最善を尽くす義務に違反した事態も明確には定義できません。そこで、新しい誠実公正義務に強い履行強制力を付与するためには、義務違反の事実を推定する規定が必要になります。
例えば、企業年金基金の運用委託先の選定において、母体企業と金融機関との関係が考慮されている事実は、選ばれている運用委託先の名称から簡単に推察されることで、企業年金基金は、最初から候補の運用委託先を絞り込んでいて、選定に最善を尽くしていないことは明らかですから、運用委託先の名称という外貌から、義務違反を推定できればいいわけです。
改正法案には、推定規定はないようですが。
推定規定については、法令で手当てするのではなく、解釈指針等の策定によって、行政上の対応がなされるのではないでしょうか。そもそも、従来からの誠実公正義務は、抽象性が高く、その実質的な意味が問題とされたことはなく、そこに「顧客等の最善の利益を勘案しつつ」を付加したからといって、内容が具体化するわけでもないので、法規範としての実効性を確保するためには、様々な工夫が必要であることは明らかなのです。
企業年金基金が運用委託先の選定において最善を尽くせば、投資運用業者は最善を尽くして運用するようになるわけですか。
森氏の講演は、「日本の資産運用業界への期待」と題されていたように、投資運用業者が能力向上のために切磋琢磨することへの期待の表明だったのですが、期待に先立って、現状に対する批判が展開されるなかで、企業年金基金の資産運用への言及がなされたわけです。
その論旨は、投資運用業者の切磋琢磨がなされないのは、企業年金基金の運用委託先の選定において、運用能力ではなく、母体企業との取引関係が重視されるからであり、金融庁の行政目的は、投資運用業者の能力が向上していく競争環境を整備することなので、そのためには、企業年金基金の投資運用業者の採用においては、運用能力だけが選択基準であるべきだというのです。
森氏は、6年前に制度改正を先取りした発言をしていたわけですが、より正確にいえば、森氏の構想が制度化されるのに6年を要したということです。
・金融界に横行する利益相反を根絶するために (2017.6.1掲載)
年金基金を実例にとり、「利益相反のおそれ」についてフィデューシャリー・デューティーの観点から論じています。
・ついに金融庁が動くか、年金基金の実態暴露と抜本改革 (2017.4.20掲載)
本コラムでも引用されている元金融庁長官森信親氏の講演についての解説を踏まえ、年金基金においてフィデューシャリー・デューティーが遵守されるとはどういうことかを論じています。
・企業の競争力、人的資本、企業年金、そしてIFRS (2009.9.17掲載)
10年以上前のコラムですが、最近注目されている人的資本について、年金という切り口から論じています。企業が年金を運営する意味について改めて考えるのによいコラムだと思います。
(文責:酒見)
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森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。