日本の企業年金は、退職一時金制度から始まりました。つまり、昭和の高度経済成長から安定成長に移行する時期に、企業は、退職者に対して、一時金を受けとることに換えて、年金として受給する選択肢を付与したわけです。このとき、当然のことながら、年金の現在価値と退職一時金とが等しくなるように、年金額が決められたのですが、問題は現在価値を計算するときの金利です。
この金利は予定利率と呼ばれて、生命保険契約の予定利率と全く同じ性格のものです。即ち、企業は、保険理論的には、保険者として年金保険契約を引き受け、退職一時金相当額を一時払い保険料として受領したのと同じ立場になって、年金受給者に対して、予定利率を保証したことになったのです。
金利の高かった時代のことですね。
この退職一時金と年金との換算に使われる予定利率は、経済成長期の国債の高い金利水準を参照することで決められ、多くの場合、5.5%に設定されましたが、企業によっては、例えば、7%というような高い金利に設定することも珍しくはありませんでした。従業員に有利になるように高い予定利率を採用することは、一流大企業の証という意識があったのでしょう。
当時の経営者に、予定利率は保証利率だとの明確な認識はあったのでしょうか。
制度として退職一時金を年金化したときに、法律上の負債は、保証利率の付された年金額になったわけで、退職一時金額は、退職者が一時金を選択したときの特別な金額にすぎなくなったのです。しかし、おそらくは、多くの経営者の認識は、企業が退職者に約束している金額は、年金化されたとしても、もとの退職一時金と同額だというものだったのではないでしょうか。
また、予定利率は、現在からすれば著しく高く設定されていたわけですが、昭和の経済成長期の投資環境からすれば、多くの経営者にとって、企業年金資産の期待運用収益率よりは低いものだったはずで、その面からも、高金利を保証していたとの認識は生じ得なかったのだと思われます。
どのような経緯から、企業年金は生まれたのでしょうか。
高度経済成長期には、企業は、極めて旺盛な資金需要のもと、常に資金不足の状態にあって、退職一時金という制度自体、給与の支払いを退職時まで繰り延べるものとして、一種の従業員からの借入れという性格をもっていたわけです。
そこで、安定成長期に移行し、企業に資金的余裕が生じたときに、将来に繰り延べられた退職金負債について、事前積立が検討された結果として、企業年金が生まれたのです。つまり、事前積立のために企業が支払う掛金を税法上の損金とするための条件として、政策的に、退職一時金の年金化が要求されたわけです。
こうして、企業の資産から法律的に隔離されたところに、掛金が蓄積され、運用されるための器として企業年金資産ができたわけですが、制度の発足時から極めて長い間、その資産運用の受託は、信託銀行と生命保険会社に限定されていました。両業態は、当時の長短分離という金融制度において、長期金融機関に分類されており、企業年金資産の運用は長期的性格を帯びることから、適合するとされたのです。
年金資産の積立計画を決めるためには、金利の仮定が必要ではないでしょうか。
掛金額の決定においては、企業年金資産は運用収益を生みますから、期待収益率の仮定が置かれます。この仮定された運用収益率も予定利率と呼ばれ、5.5%に設定されたのですが、単に仮定された利率であって、生命保険契約における予定利率や、退職一時金と年金との換算に用いられる予定利率のように、保証された利率ではなく、両者は根本的に性格が異なります。
しかし、極めて遺憾なことながら、両者が常に混同されてきたことは、現在に至るも、多くの誤解と誤謬の原因になっています。そこで、ここでは、仮定された予定利率、保証された予定利率というように、明確に区別します。
仮定された予定利率は、積立速度を決めるだけですか。
年金資産の形成において、仮定された予定利率を高くするほど、事前の掛金額の投入は小さくなり、その分、事後的に運用収益によって補完される程度が大きくなりますから、積立は遅くなり、逆に、仮定された予定利率を低くすれば、積立は速くなります。また、年金資産は、年金退職金債務の引当て資産という性格をもちますから、仮定された予定利率は、低ければ低いほど、従業員の権利の保全度が高くなるわけです。
制度的には、掛金が税法上の損金になるために、過度に低い予定利率が仮定されることには問題があり、逆に、過度に高い予定利率が仮定されれば、従業員の権利の保全が十分でなくなるために、年金資産の健全な積立計画と積立水準が維持されるように、適切な予定利率の仮定されることが求められるのです。
企業にとって、仮定された予定利率は、企業年金の費用と関係ないのですか。
企業年金の運営において、企業の費用負担は、基本的には、制度の給付設計等の特性によって規定されるのであって、例えば、年金化に使われる保証された予定利率が高ければ、費用負担も大きいわけです。資産運用からの利益は、補助的な要素として、企業の本源的な費用負担について、削減効果をもちますが、企業の費用負担に影響を与えるのは、実際の運用収益率だけであって、それと仮定された予定利率との差異は関係しません。
そもそも、仮定された予定利率は、積立計画、より具体的には掛金額を決めるための仮定であって、高く設定されれば、掛金額は小さくなるにしても、掛金は企業年金の計画的な積立額にすぎず、税務上の損金になるにしても、理論的な費用ではなく、費用を規定するものは、制度の構造と、実際の運用収益率だけなのです。
実際の運用収益率が企業利益に影響を与えるので、コーポレートガバナンス・コードで言及されているわけですか。
「コーポレートガバナンス・コード」の「株主以外のステークホルダーとの適切な協働」と題された第2章の「原則2-6. 企業年金のアセットオーナーとしての機能発揮」には、「上場会社は、企業年金の積立金の運用が、従業員の安定的な資産形成に加えて自らの財政状態にも影響を与えることを踏まえ」とありますが、この「財政状態にも影響を与える」ものは実際の運用収益率であって、仮定された予定利率は全く関係ありません。
昭和が終わって平成になると、企業年金の環境は一変したわけですね。
昭和が終わり、いわゆるバブルの崩壊が起き、1998年の二つの長期信用銀行の破綻によって、日本経済が危機に陥っていく過程で、数年という短い時間のなかで、企業年金の置かれた環境は激変します。決定的だったのは、企業年金資産の運用において、実際の運用収益率が悪化して、一時は大きな損失が発生したことと、金利が著しく低下したことです。
この局面で、企業にとって非常に大きな打撃となったのは、会計基準の変更によって、未積立の年金債務、即ち、年金債務と年金資産との差額が企業本体の債務に反映されるようになり、しかも、将来の年金債務の現在価値を評価するために、実勢金利を参照した割引率が採用されたので、金利の低下が債務額を激増させ、巨額な未積立債務を発生させたことです。
企業にとって、大きな誤算だったわけですか。
誤算の第一として、積立不足は、仮定された予定利率を著しく引下げることによって、通常の掛金額を大幅に増加させて、また、臨時に特別の掛金を投入して、解消されざるを得ず、この現金流出は、企業財務に大きな影響を与えました。
第二の誤算は、より本質的な問題で、実際の運用収益率の悪化によって、また、金利の低下にともなって、期待運用収益率も著しく低下して、企業にとって、企業年金を維持するための費用が大幅に増加したことであり、第三の誤算は、退職一時金が高い保証利率のもとで年金化され、その年金が低い割引率のもとで現在価値に評価されたとき、当初の退職一時金額よりも、大幅に増加してしまったことです。
・企業年金の積立不足(2009.9.3掲載)
今回のコラムでも言及のある1996年から2002年の間に年金が経験した危機について紹介されています。
・資産運用の本来の目的と「簿価主義・含み益経営の正しさ」(2009.8.6掲載)
今回のコラムでは積み立て不足が問題となった背景を説明していますが、目的を達成するために必要な「元本」もしくは「資産簿価」を保全するという観点から、簿価主義の優れた点について論じています。
・厚生年金基金に資産運用の失敗や損失などない(2012.5.31掲載)
厚生年金廃止が議論されていたことに反論するコラムですが、年金基金の掛け金の考え方についても詳しく解説されています。
(文責:酒見)
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森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。