顧客本位は営業話法ではないぞ、科学的な最善の追求だぞ

顧客本位は営業話法ではないぞ、科学的な最善の追求だぞ

森本紀行
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • mixiチェック
法律の文言にある「顧客等の最善の利益を勘案しつつ」を行為規範とするとき、法律の主旨に適うためには、どのような具体的な要件が充足されるべきなのか。
 
 最善を尽くす、あるいは片仮名を用いて、ベストを尽くすという表現は、日常的に様々な場面で使われていますが、多くの場合、最善の努力を尽くしたという意味にすぎず、努力は主観的かつ精神論的なものですから、努力の結果が客観的に最善であると証明できることは稀であって、実際には、客観的に最善とはいえない結果を前にして、それを主観的に正当化する目的で、最善を尽くしたといわれるのでしょう。
 
最善を尽くす努力なくしては、最善の結果もないのではないでしょうか。
 
 確かに、100メートルを走る競争において、各選手が最善の努力をして走るからこそ、最善の結果としての世界記録が更新されています。しかし、ここには時間という客観的な指標があり、選手個人の努力は時間に基づく各自の最善の結果として測定されており、また、努力は、決して単に精神論的なものではなく、スポーツ科学に基づいた理論的で計画的なものです。世界記録が最善のものとして客観的に確立した事実となるのは、背後に各選手の科学的な努力があり、それが客観的に測定されているからです。
 そして、更に二つのことが重要です。第一には、単に走るという専門性はなく、100メートル走の記録保持者は、必ずしも200メートル走の記録保持者たり得ないのであって、最善とは、狭く具体的に定義された専門領域においてしか成立し得ないことです。第二には、スポーツ大会など、同一条件のもとで、記録を客観的に証明できる環境下において、各選手の最善を競う場が必要だということです。
 
法律にいう「顧客等の最善の利益を勘案しつつ」の最善についても、同じことがいえるでしょうか。
 
 昨年に改正法として成立した「金融サービスの提供及び利用環境の整備等に関する法律」には、「金融サービスの提供等に係る業務を行う者」は、「顧客等の最善の利益を勘案しつつ、顧客等に対して誠実かつ公正に、その業務を遂行しなければならない」との規定があります。これは、金融行政において、金融機関の自律に委ねられてきた顧客本位の業務運営に対して、法律上の明示的表現を与えたものです。
 この「顧客等の最善の利益を勘案しつつ」という法律上の義務は、金融機関の自律に委ねておくと、顧客の利益を優先した業務運営に努めます、というような口先だけの営業話法が横行するばかりで、実効性に問題があったが故に創設されたのですから、スポーツの世界記録が更新されるように、顧客の利益が最善のものとして実現されるべく、客観的で具体的な行為規範として機能するのです。
 だとすれば、顧客の最善の利益が実現されるためには、金融機関の努力は、精神論的で主観的なものではなく、科学的で客観的に成果が測定されるものであり、提供される金融サービスは、顧客属性に応じて狭く具体的に定義されていて、金融機関間の金融サービスの差異が明らかになる情報の公開がなければならないのです。
 
しかし、顧客属性に応じて狭く具体的に定義されていることと、比較可能であることとは、両立し得ないのではありませんか。
 
 金融サービス自体の最善性については、100メートル走の最高記録としての最善性と同じように、客観的に測定可能であり、金融機関による各自の金融サービスの高度化についても、単なる主観的で精神論的な努力ではなく、科学的な金融技術の革新として、また諸費用の適正化として、客観的に評価可能です。実際、「見える化」という金融庁の施策は、この比較可能性を前提にしています。
 しかし、金融サービスは、それ自体としては存立し得ず、顧客との関係においてのみ機能するものであって、その真の具体的な最善性は、金融サービスのなかにではなく、顧客のなかに成立しますから、顧客毎に異なります。そして、法律は、そのことを前提として、金融サービスの提供において、顧客に固有の最善の利益が実現することを求めているわけですから、顧客の最善の利益に比較可能性はないことになります。
 
顧客の最善の利益を勘案する方法に、金融機関間の比較可能性があるということでしょうか。
 
 顧客に固有の最善の利益を勘案すれば、顧客の諸属性と、顧客がおかれた諸事情に即して、提供されるべき最適な金融サービスの種類を特定し、その類型における最善の金融サービスを具体的に選定し、それを最適な方法によって、最善の価格のもとで提供することになるはずですが、この各段階における最適性と最善性は、客観的な指標によって検証され得るので、そこに金融機関間の比較可能性が生じます。
 つまり、金融サービスそのものについては、100メートル走の記録のように、それ自体としての客観的な最善性があり、金融サービスの顧客への提供のあり方については、フィギュアスケートにおいて様々な基準による客観的評価があり、それらの総合点が競われるように、提供の各要素の最適性と最善性に客観的評価があり、それらの集積が比較されるのです。
 
特殊な例ですが、仕組債の販売に適用すると、どうなるでしょうか。
 
 いかに投機的な仕組債であろうとも、それに適合する顧客類型がある限りは、存在を否定できませんし、現実にある仕組債には、多くの難点があるとしても、理念的には、金融工学の技術開発や、内包しているオプション等の値付けの合理化において、客観的に検証可能な最善性があるのであって、この最善へ向けての努力こそ、仕組債を組成するものが負う法律上の義務なのです。
 当然に、より重要なことは、顧客の投機の嗜み方と、提供される仕組債の属性の一致ですが、投機の道にも、それなりの理屈と流儀があるのですから、その一致を客観的に実現することは必ずしも困難ではなく、販売手数料さえ合理的に設定されていれば、多くの場合、仕組債は、顧客の最善の利益に適うように、販売され得るのです。
 
なぜ、仕組債は、投機が適合し得ない顧客類型に販売されて、問題を起こすのでしょうか。
 
 金融機関にとって、投機的金融商品の販売は利益率が高く、魅力的なのですが、適合する顧客が少ないという難点があるために、適合しない顧客にまで販売しようとする誘因が働きやすいのです。しかも、不適切に拡大される販売先は、投機性を十分に理解し得ず、預貯金を多く保有する高齢者になりやすいために、問題が深刻化するわけです。
 こうした事態が生じるのは、仕組債という商品起点で事業開発がなされているからで、その段階で既に法律の主旨に反しています。金融機関として、法律の主旨に従い、高齢者という顧客属性に着目し、その最善の利益に適う金融サービスの提供について真剣に検討したとき、その結果として得られた解答は、それが社会の真の需要を満たす限り、経済の自然な道理によって、事業としての適正な収益性をもつはずなのです。
 
金融機関には、顧客に対して、投機を控えるように助言する義務はないのでしょうか。
 
 金融機関として、投機を好み、投機を楽しめるだけの経済的基盤をもつ顧客に対して、投機の場を提供することは、顧客の最善の利益に適いますが、身を滅ぼしかねないような過剰な投機については、取引を断ることが顧客の最善の利益に適うのであり、ましてや、投機を行うだけの経済基盤のない顧客や、投機が適合しない顧客とは、投機的金融商品の取引をしてはならないのです。
 
今後、金融界においては、この仕組債の検討と同じように、全ての金融サービスの提供について、徹底的な検証が行われるわけですね。
 
 金融行政の前提は、金融機関が自律的に持続可能なビジネスモデルを構築するとき、必然的に顧客本位が徹底されて、顧客の最善の利益が実現するというもので、法律上の規定が新たに設けられたからといって、そこに何らの変更もありません。故に、規制対応として法律上の免責要件を備えるための態勢を整えようとする金融機関は淘汰され、顧客の最善の利益に適う方法を徹底的に追求する金融機関にのみ、未来が開かれるべきなのです。
 ≪ 関連する論考をご紹介いたします ≫
売るも親切、売らぬも親切の誠実公正義務(2024.1.25掲載)
新たな改正法について、必要に応じて、同金融商品を売らないという判断もまた必要であるという認識が示されたことを解説しています。

顧客本位な営業や広告宣伝はあり得るのか(2017.4.6掲載)
広告等により金融商品を選択した場合、顧客は満足感を得られるかもしれませんが、顧客の真の利益になっているとは必ずしも言えないことを説明しています。

投資信託に満足している人は騙されているのか(2015.1.28掲載)
このコラムでは投資信託の提供について言及していますが、顧客ニーズの充足がテーマになっています。顧客ニーズが多様であるがゆえに顧客等の最善の利益も多様だといえます。
(文責:岸野)

ご登録いただきますとfromHCの更新情報がメールで受け取れます。 ≫メールニュース登録 
森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。