昨年に成立した改正法の「金融サービスの提供及び利用環境の整備等に関する法律」は、「金融サービスの提供等に係る業務を行う者」について、そこに新たに企業年金を含めたうえで、「顧客等の最善の利益を勘案しつつ、顧客等に対して誠実かつ公正に、その業務を遂行しなければならない」との義務を課しています。顧客等の等は、企業年金の加入員と受給者を意味するわけです。
さて、確定給付企業年金の資産運用については、既に「確定給付企業年金法」に諸規定がありますが、そこには制度の加入員と受給者の最善の利益を勘案しなければならないとする規定はなく、今後、二つの法律の関係が論議されていくにしても、現時点において、最善という高度な内容をもった新たな義務が創設されたことは確かなのです。
加入員と受給者の最善の利益を勘案するとき、確定給付企業年金の資産運用は変わるのでしょうか。
確定給付企業年金においては、制度の基本原理として、資産運用の成果と関係なく、その名の通りに、給付が確定しているのですから、資産運用のあり方は、加入員と受給者の利益に直接的な関係をもちません。故に、単に加入員と受給者の利益を勘案するだけでは、資産運用に大きな影響を与えないわけですが、ここでの論点は、最善の利益を勘案することの意味、より絞れば最善ということの意味なのです。
最善の意味については、今後、様々に検討されていき、具体的内容が定まってくるわけですが、現時点においては、少なくとも年金資産が加入員と受給者に帰属することに間違いはなく、確定給付企業年金、および制度を有する母体企業には、最善の努力のもとで、年金資産を最善の状態に保つ義務のあることは明らかなのです。
そして、決定的に重要なのは、何が最善の状態であるかにかかわらず、客観的に最善であると合理的に説明できることです。なぜなら、加入員と受給者の最善の利益を勘案することは法律上の義務なのであって、義務を負う企業年金、および母体企業には、義務の履行されていることを加入員と受給者に対して証明する責任があるからです。
投資運用業者の選定を例にするとき、どうすれば最善であると証明できるでしょうか。
最善の投資運用業者は、絶対的に決まるものではなくて、資産運用方針との整合性のもとで相対的に決まるものですから、最初に、運用基本方針が定められていなくてはなりません。方針は、いわば経営哲学のようなもので、それ自体に善し悪しはなく、単に企業の人事財務戦略との論理的整合性が問題となるだけであって、説明されるものではなく、宣言されるものです。
投資運用業者は、その基本方針を実現するのに最適なものとして選択されるのですから、そこに合理的な選択基準が定義されるわけで、最善の選択とは、その選択基準への最善の適合にほかなりません。例えば、運用方針において、グローバル株式へ一定の配分がなされ、かつインデクス運用に限ると定められているとき、参照指数が適切に選択されていて、運用報酬等の費用が合理的であれば、投資運用業者の選択の最善性を証明することは必ずしも難しくありません。
では、その投資運用業者が母体企業と親密な金融グループに属していても、最善の選択といえるでしょうか。
問題は、選択の結果ではなく、選択の手続きです。インデクス運用の投資運用業者の選択の場合、適正な手続きを経た結果だとしても、母体企業と親密な金融グループに属する業者が選ばれる可能性が十分にありますが、そうなったとしても、それは単なる偶然なのであって、そこに利益相反はなく、法律の主旨に反することもありません。しかし、難点は、母体企業と金融グループとの親密関係によって選定する意図のもとに、単に表面的な手続きを整えたときと、外貌上の区別がつかないことです。
そこで、李下に冠を正さずとなるわけですか。
一般に、何についてであれ、不存在証明は極めて困難であって、利益相反の外貌を呈している事態において、利益相反の意図のないことを証明するのは、事実上、不可能です。そこで、企業経営の常識として、李下に冠を正さずということになって、母体企業と親密な金融グループに属する業者は、選定の候補から排除されることになります。これぞ、まさに、法律の意図する効果です。
実は、企業年金の資産運用の現状においては、多くの場合、母体企業と金融グループとの親密な関係が重視されているにもかかわらず、そうした利益相反が強く推定される事態は、「確定給付企業年金法」のもとでは、損失の発生が積極的に証明されない限り、放置されてしまうのです。これでは最善の投資運用業者が選ばれないことによって、企業年金に機会損失が生じ得るばかりか、投資運用業の高度化も起き得ないわけで、ここに新しい法律の規定が導入された背景があるのです。
いうまでもなく、インデクス運用においては、投資運用業者の善し悪しを論ずる余地は極めて小さく、選択の最善性が問題となるのは、運用能力の差がつくアクティブ運用の領域であって、投資運用業の高度化の面からは、業者は、利益相反の可能性が完全に排除された条件のもとで、純粋に運用能力だけによって、選定されなくてはならないのです。
投資運用業者の選択の最善性は、どのようにして証明されるのでしょうか。
選択の一般論として、何についてであれ、選択結果の最善性とは、より善いものはないのかという問いに対して、ないと答え得ることによって証明されます。このことは、顧客等の最善の利益を勘案する義務が英米法のフィデューシャリー・デューティーの日本法への移入であることを考え合わせるとき、非常に重要な意味をもちます。
フィデューシャリーとは、他人からの高度な信頼のもとで職務を遂行する人で、フィデューシャリー・デューティーとは、フィデューシャリーが負う高度な忠実義務であって、そこに信頼に応えるために最善を尽くす義務が内包されています。フィデューシャリーの例としては、企業の取締役があり、取締役の重要な責務は執行責任を担う経営者の選任ですから、ここには企業年金による投資運用業者の選任と共通するものがあるわけです。
取締役には、経営者の候補について、より善い候補者はいないのかと問う義務があるのですか。
次期経営者の候補は、現経営者のもとで選任され、多くの場合、内部からの昇任となるでしょうが、より優れた適任者が外部にいるのではないかとの疑義は常に生じますから、取締役としては、そこを確認せざるを得ません。そこで、現経営者としては、それに答えるために、事前に外部の適任者の存在について調査しておく必要があるので、経営者候補の調査を代行するコンサルタント業が発展しているのです。
ここで注意すべきは、コンサルタントは、内部候補者が既にあり、その人と面談することで、事業の経営課題に関する理解を深めるからこそ、外部の候補者について調査するときに、人材評価の明確な基準を形成できることです。そして、現経営者は、コンサルタントの提案を受けたとき、改めて内定している候補と比較して、選定の正しさを再確認するか、再選考するかの検討をします。
要は、取締役は、現経営者に対して、コンサルタントを利用した新経営者の選考方法を促すことで、選任過程の透明性を高めて、どの候補者が最終的に選任されようとも、最善の選択であると説明できるようにして、その職責を果たすのであって、コンサルタントは手続きを合理化するための役割を演じるだけで、その助言によって経営者が選任されるわけではないのです。
投資運用業者の選定にもコンサルタントの利用は必須でしょうか。
米国では、企業年金の資産運用に従事するものもフィデューシャリーの代表例ですから、経営者の選任と全く同じ論理で、コンサルタントの利用のもとで、投資運用業者の選定が行われます。いうまでもなく、加入員と受給者の最善の利益を考慮する義務は、こうした手続きの適正化を促すために創設されたわけです。
・ある法律の数奇な運命を支配した金融改革への執念(2023.9.14掲載)
今回のコラムで取り上げられている「金融サービスの提供に関する法律」が施行された背景・意図について解説されています。
・企業年金が「フィデューシャリー宣言」をする意義(2015.9.3掲載)
年金における忠実義務とフィデューシャリー・デューティーの違い、また、年金におけるフィデューシャリー・デューティー上の問題点について論じています。
・企業年金と母体企業の不適切な関係(2015.3.19掲載)
母体企業と企業年金のあるべき関係性について論じられているほか、企業年金のベストプラクティスについても触れられています。
(文責:酒見)
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森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。