融資に担保の付されることは一般的で、多くの場合、不動産が担保に利用されます。不動産は、担保の権利を登記できること、担保価値を評価しやすいこと、その価値の変動が少ないこと、流通市場が発達していて換価が容易であることなど、担保に利用されやすい属性を備えているからであり、逆に、担保として利用されてきた長い歴史があるからこそ、担保に適するように不動産の属性が進化してきたのです。
資金調達方法としては、不動産を担保に供して融資を受ける替わりに、不動産を売却し、一定期間後に買い戻すこともできます。この取引は、実質的に不動産担保融資と同等の経済効果をもつことから、譲渡担保と呼ばれていて、担保制度の整備された不動産よりも、動産を対象にして利用されることに実益があります。
動産の譲渡担保は、用語使いとしては、実質的に融資であることを正面から認めて、動産担保融資と呼ばれますが、むしろ、その英語の表現であるAsset Based Lending、略してABLとして知られています。この場合のアセットは、狭義に、在庫等の動産や売掛債権のような流動資産を意味しています。
実際に、動産に担保価値はあるのでしょうか。
動産担保融資の本質は、担保価値よりも、情報価値にあるのだと考えられます。つまり、債権者は、在庫や売掛債権等の対象資産の形式上の所有者として、その日々の異動を常に観察でき、債務者の経営状況の変異を即座に把握できますから、経営状況の悪化が懸念される事象を発見したときには、直ちに債務者と協議し、協働することで、事態の深刻化を回避できるわけです。この構図は、債権者と債務者の双方にとって、望ましいことです。
これに対して、通常の不動産担保融資の場合、債権者は、債務者の経営状況について、事後的に財務諸表等を見ることで把握できるだけであり、債権額に比して担保価値が十分に大きいときは、債務者の現況に関心を寄せることに、利益誘因を見出さないことにもなります。こうした債権者が担保に安住する構図は、債務者にとっては、債権者の適宜適切な支援を逸する可能性があるという意味で、必ずしも好ましくはありません。
担保は発動されないように設計されるべきなのですか。
債務不履行等によって担保権が行使されることは、債務者の不利益ですが、担保価値が高いときは、必ずしも債権者の不利益ではなく、そこに利益相反が生じます。この利益相反を回避するためには、担保価値が低く、担保権の行使が債権者にも不利益になる状況のもとで、債務不履行等を未然に防止しようとする方向に、債権者と債務者が協働しなければならず、その協働の結果として、債務不履行等が防止できれば、債権者と債務者との共通利益が創造されるわけです。
例えば、自動車保険があるから、運転が乱暴になり、事故が増える事態は、保険会社と顧客の双方にとって不利益ですが、安全運転に心掛けると保険料が安くなるように設計すれば、双方の共通利益が生じます。同様に、担保は、債権保全のための保険的性格をもつのですから、動産担保融資にみられるように、担保権が行使されないように、債権者と債務者の利益が同調する方向に、設計され、運用されるべきだということです。
そのようなものとして、金融庁は企業価値担保権を創出しようとしているのでしょうか。
金融庁は、抜本的な行政手法改革を経て、金融機関と顧客との間に、即ち、債権者と債務者の間に、共通利益の創造を求める方針に転換した後は、当然のことながら、不動産担保に依存した融資のあり方に一貫して批判的です。
そうしたなかで、2023年2月10日に、金融審議会の「事業性に着目した融資実務を支える制度のあり方等に関するワーキング・グループ」の報告書が公表され、同年12月1日には、「事業性に着目した融資の推進に関する業務の基本方針について」が閣議決定されて、この3月15日に、企業価値担保権の創出を中核とする「事業性融資の推進等に関する法律案」が国会に提出されるに至ります。
法案の名称に事業性融資とありますが、事業性とは、債務者である企業の現金創出能力のことであって、金融庁は、事業性こそが弁済能力を規定するので、その評価を金融機関が徹底的に行えば、不動産担保に依存する必要はないと主張してきたわけです。
なお、この新たな担保は、閣議決定までは、事業成長担保権との仮称で呼ばれていて、融資を受けた債務者の事業が成長し、事業性が拡大することは、債務者の利益であると同時に、債権の安全性が向上することを通じて、債権者の利益にもなって、そこに共通利益の生じることを意味していたと考えられます。
簡単にいって、企業価値担保とは、何でしょうか。
企業価値とは、事業性を構成する有形資産、無形資産、人的資本を不可分に統合した全体です。ここでの重要な論点は、第一に、伝統的な担保は、不動産等の有形資産だけを対象として、無形資産や人的資本を対象になし得ないことであり、第二は、その有形資産は、実は、それだけでは価値をもたず、無形資産に結合し、人的資本によって稼働されてこそ、現金を創造することです。
そこで、企業価値担保は二つの目的をもつと考えられます。第一には、伝統的担保の対象である有形資産を十分にもたない企業において、有形資産に無形資産や人的資本を有機的に結合させて、新たな担保価値を構成することです。第二には、債権者に対して、担保権を通じて債務者の事業性の動態に関する情報を即座に入手させて、経営支援等の早期の発動を促すことです。
法律的に、どのようにして担保に構成するのでしょうか。
企業価値担保権は、観念的には理解できるにしても、それを法律に構成するのは非常に難しいことです。法案では、新たに、企業価値担保信託契約と、受託会社となる企業価値担保信託会社を創出し、その信託契約において、債務者が設定者となり、債権者が受益者となる根幹の構造を定め、そこに多くの細かな規定を付随させているのですが、ここでは、本質だけが明らかになればいいので、技術的細部に立ち入りません。
では、企業価値担保の本質は何でしょうか。
債権者が担保権を行使する状況においては、債務不履行等が発生しているのですから、債務者の事業性、即ち、企業価値は崩壊寸前で、普通の担保ならば、担保権の行使は、決定的に、それを崩壊させます。しかし、企業価値担保の場合、企業価値が担保価値なので、担保価値を崩壊させる担保権の行使は背理になります。
そこで、債権者が企業価値担保権を行使するときは、事業性を構成する有形無形の資産の一体性は維持されていなければならないので、事業は、事業性を棄損しないように、一体性を維持したままで、第三者に譲渡されるほかなく、債権者は、その譲渡代金から、弁済を受けることになるわけです。つまり、企業価値担保の本質は、事業再編にあるのです。
事業再編によって、債権者と債務者の共通利益は創造されるでしょうか。
金融庁としては、債権者と債務者との間だけではなく、両者を含む全ての利害関係者間に、共通利益が創造されるべきだと考えているはずです。その点、企業価値担保においては、担保権が行使されても、事業継続が前提となっているために、債務者企業の顧客、取引先、従業員の利益が守られるばかりか、事業譲渡代金が債権総額を上回る限り、債権者の利益は確実に保全され、債務者企業の株主にも一定の分配があるわけです。
企業価値担保は実際に活用されるでしょうか。
金融庁としては、不動産担保に依存しない事業性融資について、事実上の無担保融資と見做される限り、普及しにくいとの判断のもとで、それを立派な担保付き融資に構成し、最終的な回収方法として事業譲渡を想定することで、普及を促進させたいのでしょうが、企業価値担保は、それを利用する金融機関の立場において、利便性と収益性が確保されるように設計されない限り、普及し得ないわけで、国会での審議内容を踏まえ、更なる検討を要するわけです。
・銀行等の持続可能なビジネスモデルとは何か(2021.6.24掲載)
企業価値を担保に融資を行うことは、担保を通じて債務者の事業について債権者である金融機関にも情報を伝えやすくし、金融機関の利益も創造します。顧客との共通利益を創出することができるような顧客本位な取り組みこそが、銀行等の持続可能なビジネスモデルへと繋がっていくことを論じています。
・資金調達の必要性が企業経営をよくする(2020.10.15掲載)
企業が資金調達を行う場である資本市場においては、優れた企業はより有利な調達機会を得ることができ、経営上の問題を抱える会社は、資金調達が困難になることで経営改革が促進されます。より有利な条件で資金調達をするために、経営状況を最善に保とうと努めることが、企業の経営の質を高めることを論じています。
・事業承継が問題になること自体が問題だ(2019.8.29掲載)
価値のある事業であれば事業の継承者は見つかるはずであるという点から、事業の所有者としての経営者は、事業譲渡することによって事業を金融資産に転換し、自身は投資家になるという事業承継の方法について論じています。
(文責:長澤)
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森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。