資産形成の原資は、消費を切り詰めることではなくて、住宅ローンや保険などの他の金融機能の利用を合理化することで、捻出されなくてはなりません。
人が学業を終えて働き始めるときには、資産もなければ、負債もないとします。働く人として、原点ゼロから人生を始めるとするのです。しかし、理論的には、働き始めた時点において、収入があるのですから、将来の総収入の現在価値を資産として保有し、同時に、人は、生きるためには、支出を強制されますから、将来の総支出の現在価値を債務として負担しています。そこで、働く人の貸借対照表を考えて、人は死後に資産も負債も残さないとすると、働き始めた時点において、総収入の現在価値としての資産は、総支出の現在価値としての負債に一致しているわけです。
金融機能によって、不一致が導入されるわけですか。
人は、収入を得るごとに、その全てを消費するわけではなく、一部を将来の消費のために留保します。この留保することについて、かつては貯蓄といわれていましたが、今となれば、金融庁の造語を用いて、資産形成と呼ばれるべきです。貯蓄では、単に貯め置くだけの印象となり、貯蓄された資産の運用による増殖という金融機能が現れてこないからです。そして、ここでは、資産形成によって生じた資産を形成資産と呼ぶことにします。
この資産形成という金融機能が導入されても、支出の時期が遅れるだけで、将来の支出総額は変わりません。もっとも、細かいことをいえば、総支出の現在価値は、支出時期が移動すれば、僅かながら変化しますが、無視し得る差にすぎません。
他方で、将来の総収入は、形成資産から生じる運用収益と、将来における形成資産の取り崩し分だけ、少なくて済みます。つまり、働く時間は、それだけ少なくて済むのです。これを別の表現でいえば、形成資産に働かせる分、自分は働かなくてもよくなるということです。また、貸借対照表上では、総収入の現在価値は総支出の現在価値より小さくなり、その差を埋めるものとして、形成資産が発生するわけです。
融資を受けるという金融機能の利用もありますね。
人は、収入を得る前に、先に消費することもします。そのときに使われるのが融資を受けるという金融機能です。貸借対照表においては、融資を受けても総収入の現在価値は変化しませんが、先に消費をする分だけ、将来の総支出の現在価値は減少し、そこに発生する不一致は、融資という負債の発生によって埋められて、貸借は一致するわけです。
ところで、将来の総支出の構成において、金利費用が増加する分、その他の支出は減少してしまいます。先に消費の満足を得れば、後の満足が減るのは理の当然なのです。これに対して、資産形成の場合は、逆に消費を先送りすることで、運用収益の分だけ、後の消費が豊かになります。ここにも、貯蓄という表現が避けられるべき理由があります。貯蓄は節約を意味しやすいのに対して、資産形成では、より豊かな消費が目指されているのです。
住宅を購入することは資産形成でしょうか、それとも消費でしょうか。
資産形成に用いられる投資対象は、投資対象としての価値さえあれば、何でもよいわけで、例えば、不動産投資信託は有力な候補です。不動産投資信託にとって、賃貸用の集合住宅は重要な組入れ対象なのですから、住宅購入は、資産形成だといえなくもありません。しかし、他方で、大型の耐久消費財に対する消費とも考えられ、特に、一戸建て住宅の購入の場合は、消費の側面が強いとみられます。
では、住宅ローンを利用した住宅購入によって、どのように貸借対照表が変動するか考えてみます。将来の総収入の現在価値は変化しませんが、将来の総支出の現在価値は、家賃の支払い分だけ減少し、それを埋めるように住宅ローンが発生します。このとき、将来の家賃支払額の現在価値の減少と住宅ローンの額が等しければ、現時点で借りて住んでいる住宅について、融資を受けて家賃を一括で先払いするのと同じですから、消費になります。
将来の家賃支払額の現在価値の減少よりも住宅ローンの額が大きければ、現時点で借りて住んでいる住宅よりも高価なものを購入するのと同じですから、その差分だけ、住宅購入による資産形成がなされることになります。しかし、その資産価値は、中古住宅市場における価格の下落を考慮するとき、なきに等しいとすれば、資産形成というよりも、贅沢な消費になる場合が多いでしょう。
自己研鑽に励むために消費することには、どのような意味があるでしょうか。
資格取得のために受講するなど、自己研鑽をして、働く人としての自分の価値を高める目的で消費する人は少なくありません。将来の収入が増加するとの期待のもとで、こうした消費が積極的になされることは、経済成長にとって好ましいことであり、より好ましいのは、収入の増加に応じて、支出が拡大すること、あるいは資産形成が加速することです。
人は、消費支出を拡大させるために、収入を増やそうとするものでしょうか。
経済成長の原動力は消費の拡大です。消費の拡大が経済を成長させれば、所得が増加し、所得の増加が消費を拡大させるのであって、この好循環が成立することで、経済は成長するわけです。ただし、好循環が実現するための決定的な条件は、働く人の心理のうちに、消費を先行させても、所得は追随して増加するとの楽観的な期待があることです。
逆に、働く人の心のなかに、所得は増えないのではないか、むしろ減少するのではないかとの不安があれば、消費は抑制され、倹約によって生じた資金は、万が一に備えるための貯蓄として、滞留していきます。こうして、消費の抑制が経済の低成長を招き、それが更に働く人の不安を増大させるという悪循環に、日本経済は非常に長く苦しめられてきたのです。
故に、貯蓄から資産形成なのですか。
巷では、貯蓄から資産形成という標語について、預金から投資信託への乗換えと考えている人が多いようですが、経済政策的には、その本質は、倹約から豊かな消費への転換です。つまり、資産形成には、運用収益が消費原資になるだけではなくて、資産価値の増殖は、資産効果といって、心理的な豊かさを醸成して、消費を刺激するわけです。そして、この転換を促すものは、所得が増加するとの期待ですから、政府は企業による賃上げに強くこだわるのです。
日本のように、経済と社会の成熟が進むと、構造的な問題として、消費は増えにくいのではありませんか。
政府の目指す経済成長は、成熟経済に相応しい持続的成長だと考えられます。このなかで大きな意味をもつのは、高齢者の豊かな消費であって、故に、働く人の資産形成が政策的に重要になるのです。なぜなら、資産形成の背後には、働いている期間中に運用収益を伴って形成された資産は、退職後に計画的に取り崩されていき、豊かな消費に充当されるとの想定があるからです。
働く人にとって、どこから資産形成の原資が出てくるのでしょうか。
働く人が資産形成をするために消費を切り詰めたのでは、経済政策的には逆効果を生じますから、資産形成の原資は金融機能の利用の枠内で捻出されなくてはなりません。このとき、最も簡単なのは預金を資産形成に振り向けることですが、それだけではなく、保険や住宅ローン等を含めた全ての金融機能の利用について、合理化の余地が検討されなくてはならないのです。
特に住宅ローンの再検討ですか。
住宅ローンがあるのなら、団体信用生命保険と他の生命保険との重複を解消できる余地がありますし、そもそも、住宅購入自体について検討されるべき点があります。例えば、住宅を所有していると、有利な就職機会を求めての転居や家族構成の変動に十分に対応し得ない可能性がありますし、住宅購入が贅沢な消費として経済成長に寄与してきたとしても、住宅だけに贅沢な消費がなされる理由はないのです。
しかし、より本質的なのは、住宅に資産価値はあるのかという論点です。資産価値がないのなら、投資信託等での資産形成を行い、退職後に、その形成資産を使って、老夫婦二人用の小さな住宅を購入するのが理に適うことも多いでしょう。
・投資しようとして知らないうちに投機してしまわないために(2024.11.21掲載)
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・投資対象の価値は将来のネット現金の現在価値なのだから(2024.10.17掲載)
不動産も債券も、将来現金を創造することができる場合に限り、資産および投資としての価値を持っています。本コラムは、投資対象の価値評価の考え方について解説しています。
(文責:ティ)
次回更新は、3月13日(木)になります。
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森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。