個人の資産形成については、投資教育が重要であるとされ、そこでは、常に、長期的な視点で、ということが強調されています。金融庁も、国民の安定的な資産形成を金融行政の目的としているくらいですから、投資教育を重要な施策に位置付けているわけですが、やはり、資産形成が長期的な性格のものだという前提は同じなのでしょう。つまり、暗黙に、資産形成とは、老後生活資金形成であることが前提とされているのです。
また、投資教育においては、様々な投資対象資産の期待収益率やリスク、その選択と分散などについて、解説の重点が置かれているようですが、どうかすると、投資の成果が資産を形成しているという錯覚を与えはしないか、加えて、長期的視点やリスクを強調することにより、リスクをとって長期間運用すると投資収益率が高くなるという印象を与えはしないかと懸念されます。
資産形成は、長期的な投資である以前に、積み立てですよね。
資産形成というのは、一般に、ある将来の資金使途のために、現在の所得の一部を割いて、資金を積み立てることを意味するにすぎません。積み立てる期間は、使途によって異なるでしょうし、積み立てた資産を運用して得られる収益は、確かに、無視し得ないものではありますが、形成された資産の多くは、投資収益ではなくて、積み立てに充当された元手の資金です。
資産形成は、煎じ詰めれば、現在の所得の一部を、現在の消費に使わないで、将来の消費のために、取り除けておくことです。取り除けた資金を、どこに保管するか、貯金箱か、箪笥か、金庫か、銀行か、はたまた、投資信託という器かは、技術的な問題にすぎません。
個人の資産形成は、将来の消費という資金使途を通じて、また、現在の消費を抑制することを通じて、生活に深く結びついています。働いている期間を通じて、所得の一定割合を資産形成に回して、老後、働くことをやめてからは、形成された資産からの所得と、その定期的な取り崩しによって、年金給付を補完して、豊かな暮らしをしようではないか、老後生活資金形成を前提とした投資教育は、この呼びかけから始めなくてはいけないのです。
計画的な積み立てには、家計の規律が必要ではないでしょうか。
若い勤労層にとって、遠い将来の退職後の生活のために、現在の生活資金から、一定額を自主的に積み立てていくなどということは、高度な計画性と家計の規律が要求されることであって、理論的な想定としてはともかくも、現実的な生活感情からいえば、到底、不可能なことだと考えざるを得ません。
そもそも、そのような生き方は、あまりにもお利口さんすぎて、人としての自然な消費性向に反しているでしょうし、社会の成長のための人間の活力の発現とは、相容れないものでしょう。食事に喩えるならば、食事のおいしさや楽しさよりも、栄養価の計算を先行させるようなもので、むしろ、異常な生き方です。
現実的には、生活実感をもって現在を生きているなかで、遠い将来の老後生活よりも遥かに生活感の強い中短期的な目的について、資産形成の習慣と規律を学んでいく必要があるはずです。例えば、車を買い替えようとか、旅行をしようとか、浴室を改築しようとか、そういう生活に密着した資金使途のために、家計の工夫が生まれてくるのではないでしょうか。
当然に、目的を実現するには、最初に、目標金額が設定されて、次に、毎月の家計から捻出し得る金額が工面されて、結果として自動的に、目標達成の時期が推計されるということでしょう。このとき、目的への愛着が強ければ強いほど、家計の規律は厳格に保たれて、目標達成確率が高くなるはずです。
目的への愛着ですか、目的の必要性ではなくて。
地方での生活においては、車が生活必需品になっている場合が多いでしょうから、その車が壊れて使えなくなれば、即座に買い替えるでしょうし、浴室が壊れて使えなくなっても、即座に、直すでしょう。そのときに、手元資金に余裕があれば、それを取り崩し、なければ、ローンを組むほかありません。いずれにしても、目的実現のための時間をかけた資産形成ということは、あり得ません。
資産形成というのは、絶対的な必要性ではなくて、より豊かな、より良い、より楽しい生活のためのものです。老後生活のための資産形成も、超高齢化社会のなかで、社会全体としての経済的な負担力を考えれば、公的年金や企業年金等の機能が最低生活保障へと相対的に後退せざるを得ないことを前提にしたうえで、豊かな老後生活を維持するための自助努力として、政策的に位置付けられているのです。
資産形成の重要性に関する投資教育においては、程度の差こそあれ、投資のリスクをとることが前提になっています。つまり、投資教育は、投資のリスクのとり方の教育だといっていいのです。そもそも、リスクをとれるということは、資産形成の目標金額と実績金額との間に、多少の差があっても、深刻な問題にならないことが前提になっているのです。
それに対して、絶対的な必需性のもとにある資金を、投資のリスクに晒すことができないのは、当然です。特に、最低生活保障の原資は、投資の成果によって不足する可能性に、決して晒されてはならないのです。変動のリスクが許容されるのは、生活の豊かさの程度についてだけです。生活の必需には、リスクは許容され得ません。
生活のリスクとはいっても、正確には、豊かさのリスクなのですね。
数年以内に、少し豪華な旅行をしてみたいと思って、その目標のために資産形成を始めるとして、その運用内容について、いろいろと自分の頭で考えて、多少のリスクをとることは、面白く、楽しいことではないでしょうか。うまくいけば、より豪華な旅行ができる、あるいは、予定よりも、早く旅行に行ける、そうした不確実性を生活の喜びのなかにとり込むことこそ、資産形成におけるリスクをとることの本来の意味だろうと思われます。
もちろん、リスクの制約として、旅行自体が不可能になるほどの大きなリスクをとってはいけないのですが、そうしたことも、経験によって、学習していくことではないでしょうか。仮に失敗した場合でも、所詮は、娯楽としての旅行です。無理に行く必要もないわけです。
ならば、たまたま、旅行を予定していた時期に資産価格が下落していても、そこで、資産を売却して、無理に現金化する必要もないのです。むしろ、旅行を延期して、資産形成を継続した結果として、資産価格が大きく回復して、予定よりも豪華な旅行ができるという可能性をとるべきでしょう。
リスクとは、良くも悪くも、不確実性なのです。こうしたスリリングな体験、娯楽の本質である多少の不安と期待の混淆の体験を通じて、リスクや長期的視点等の真の意味が少しずつ理解されていくのだと思われます。投資を学ぶには、学ぶこと全てに共通ですが、学ぶ喜びと楽しさが必要なのです。
金融庁も、「投資の成功体験」の必要性に、言及していますね。
金融庁は、10月21日に、2016事務年度の「金融行政方針」を公表しましたが、そのなかで、国民の安定的な資産形成に触れて、「我が国の家計には、「投資の成功体験」が広く共有されていない。」と述べていて、投資教育における喜びの体験の重要性について、指摘しています。
これに関連して、金融庁は、投資信託等にかかわる金融機関の営業方法には、「顧客本位の業務運営(フィデューシャリー・デューティー)」に反する面があり、それが資産形成の普及を妨げているとの認識を示しているのですが、そのことと、喜びの体験の問題とは、直接的関係はないように思えます。
金融庁がいうように、成功体験は重要なのですが、成功というのは、必ずしも、投資成果が高いということではないでしょう。むしろ、自分の意図したことと、実際の結果との差について、納得できることが成功ということの意味ではないでしょうか。
小さな体験を繰り返すなかで、当然に、意図と結果の差を縮めようとする努力がなされ、それが学習意欲につながるのではないでしょうか。そして、学習が継続できるのは、そこに喜びや楽しみがあるからに違いないのです。
金融機関の押し付け営業は、確かに、騙されたとか、信じて損したとか、そのような悪い印象を通じて、投資についての正しい理解を妨げる要因になることは間違いありませんが、投資教育を有効に機能させるためには、そのような否定的要素の一掃だけでは不十分で、学習意欲の前提となる楽しさや喜びなどの肯定的要素が不可欠なのです。
比較的短期的な目標を設定して、資産形成の訓練をしていても、本来の長期的課題である豊かな老後生活のための資産形成には、到達しないのではないでしょうか。
体験を通じて学習するうちに、資産形成への目的に対する愛着から、資産形成そのものに対する愛着へと、変わっていくのではないでしょうか。そして、資産形成に対する愛着が生じれば、形成された資産の使途についても、逆作用していくと考えられるのです。
つまり、自分の努力で形成された資産への愛着、というよりも自分の努力への愛着が生じることで、予定された使途に全額を使うことがなくなり、結果的に、長期的に留保されていく余剰が生じるのです。その剰余が蓄積されていくことにより、本来の資産形成の目的として、老後の豊かな生活が認識されてくるのではないでしょうか。
加えて、投資の経験を積むなかで、年齢も高くなっていって、老後が具体的にイメージしやすくなる、しかも、子供の独立等により、資産形成へ大きな金額を振り向けることのできる家計の余裕も生じている、そういうふうに、客観条件が揃ってはじめて、老後生活資金形成が現実感のある生活の課題になってくるのだと思われます。
やはり、最初から、合理的な老後生活資金形成などということは、不可能であって、小さな実践の積み重ねから、お金についての生活規律が生まれ、生活のリスクに直結した投資のリスクが感得され、自律的な投資学習の習慣が生まれて、そこに、投資の楽しさや喜びが見いだされてくる、そういう状態になってはじめて、金融庁の施策としての投資教育、即ち、自主的な投資学習の支援策が有効に機能し始めると思われるのです。
資産形成のための投資教育というと、いきなり、長期投資のもとでリスクをとることの合理性の説明から入りがちですが、それは、最後の最後の小さな技術的な問題にすぎないのです。
2016/10/20掲載「投資をおいしく学ぶ」
2016/10/06掲載「投資を難しくみせておいてから、説明と称して騙すこと」
2016/09/29掲載「投資教育が欺瞞的営業にならないために」
2016/09/15掲載「麻生太郎先生の「よほどやばい」発言の含蓄」
森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。