実演販売といえば、映画「男はつらいよ」のフーテンの寅さんですが、あの流儀は、勢いのいい口上で売る啖呵売というのか、それとも面白おかしい口上で売るチャラ売というのでしょうか。いずれにしても、売はバイと読んでください。さて、寅さんの場合は、実演しているのは口上という演技であって、商品の機能ではありませんが、実演販売の王道は、実際に商品を顧客の目の前で使って見せて、その優れた効用を証明し、顧客に納得してもらって売ることです。
実演販売の古典は、江戸時代に発祥し、もはや伝統芸能の域に達したとされる筑波山の蝦蟇の油売りであって、これは、二つ折りにした半紙を、1枚が2枚、2枚が4枚、4枚が8枚、8枚が16枚と口上を唱えつつ、刀で切り刻んでいき、その切れ味が証明されたところで、まずは、切紙の花吹雪を散らし、次いで、その刀で自らの腕に傷をつけますと、血が滴り落ちるのですが、そこに蝦蟇の油を塗り込めば、血がぴたりと止まるという流れの演芸です。
なるほど、優れた演技としての口上、刀の切れ味の実演、蝦蟇の油の止血効果の実演と、実演販売の要素を網羅していますね。
蝦蟇の油売りの口上は、前段も非常に面白いです。蝦蟇は四六の蝦蟇という特別な霊力をもつものなのですが、おかしいのは油をとる方法で、自分を美形だと思っている蝦蟇は、四面を鏡で張った器に入れられると、鏡に映った自分の醜さに驚いて油を流すというわけです。また、実際には腕を切っておらず、血も流れていないのに、巧みに小道具を使って装うのも、高度な演技です。
この口上の巧みな技術があるからこそ、商人と観客との一体感が醸成されて、そこに商品の効用を証明する実演が加わることで、観客が顧客に転化するわけです。もっとも、刀の切れ味の実演は見事だとしても商品には直接の関係はなく、蝦蟇の油の効用に至っては、実演ではなくて虚偽の演出になっていますが、それでも、効用の見えない商品については、いかに真に迫る実演が重要であるかは、よく示されています。
顧客が買うのは商品でしょうか、それとも口上の演技でしょうか。
紙芝居で子供を集めて駄菓子を売るのは、口上を紙芝居に替えた実演販売の一種ですが、子供が払う小銭は紙芝居の観賞料なのか、それとも駄菓子の代金なのかは判然としません。同様に、蝦蟇の油を買った顧客は、商品によりも、むしろ口上の優れた演技に対して支払っているのかもしれませんし、寅さんの顧客にしても、面白い口上のほうに惹かれていることは間違いありません。
しかし、実演販売は、いわゆる催眠商法と呼ばれる悪徳商法とは全く異なるものです。その差は、実演販売の口上には芸としての魅力があるのに対して、催眠商法の話術は詐欺的な偽計にすぎないことだけではなく、より本質的に、実演販売の商品は本当に質が高いのに対して、催眠商法の商品は価格が法外に高いのに質が伴わないことです。
一般に、品質の優れた商品は価格も高いわけですが、実演販売は、価格に見合う商品の優れた効用を証明することであるのに対して、催眠商法は、全く逆に、価格に見合わない商品の劣った効用を詐欺的な偽計によって隠蔽するものなのです。
実演販売は衝動買いを誘うものではないのでしょうか。
衝動買いとは、買う必要のないものを買うことで、買った後に後悔することです。それに対して、実演販売は、少なくとも理念においては、品質が高く実用性のあるものを販売することで、顧客を後悔させないように努めるものです。おそらくは、この実用性が実演販売の重要な要素で、代表的な商材が家事で日常的に使われるものであるのは、日常的に使われるからこそ、品質の高さが際立ってくるという関係にあるからだと思われます。
要は、結果が正当化しているだけではないでしょうか。
結果が正当化されるのは、商品の品質が保証されている、即ち、商品の機能と品質が顧客の期待に適合していて、価格が適正であるからですが、これは、実演販売だけの問題ではなく、商業一般の基本原則です。衝動買いを誘うこと、押し売り、催眠商法などは、この原則に明らかに反しているので、不当で不正な商法なのです。
商品の品質が保証されていれば、どのような経路で購入されようが、購入した顧客を裏切ることは決してなく、商業の王道は常に貫徹します。しかし、商品の品質は購入後に証明されることであって、事前に購入を動機付けることはできません。そこで、実演、即ち顧客の目の前で実際に使用して見せることで、先に品質を証明する必要があるのです。
今、なぜ実演販売が盛んになったのでしょうか。
消費の多様化と高度化に対応して、様々な領域において、かつてない高度な機能や品質を備えた新商品が投入されるようになりましたが、それらの商品には、インターネット上の動画という新形態の実演販売によって売られているものが少なくなく、逆に、動画配信の技術の高度化が実演販売による多様な新商品の販売を促した側面も否定できません。
また、ここにはクラウドファンディングが密接に関連しています。なぜなら、新商品の開発と製作には資金調達が必要なだけではなく、一般に、高機能に対応して高価格な商品が多いのですから、共感の輪を拡大させて購入者を増やし、量産による価格引き下げを図らなくてはならないからです。そして、商品に対する共感の輪を広げるためには、実演販売が最適な方法なのです。
実演販売自体が創業ではないでしょうか。
普通は、先に資金調達をしてから商品を作るので、資金調達段階では商品の機能や効用は見えていないわけですが、クラウドファンディングは、先に商品を作り、その機能や効用を実演販売によって見せることで、商品の生産継続のための資金調達の必要性も実演してみせているといえます。商品の実演販売によって資金を実演調達する、これは全く新しい創業のあり方です。
また、実演販売の啖呵売といえば、バナナの叩き売りですが、これは傷みの早いバナナを短期間に売り捌く方法として開発されたとのことで、優れた商業上の創意工夫であったのですし、蝦蟇の油売りも、画期的な新商品の発明として始められたようですから、江戸時代における新規事業の創業であったわけです。
商人による実演販売よりも、顧客による実演購入のほうがよくはないですか。
商品の優位を顧客に示すには、それを顧客に体感してもらえばいいわけです。実際、ワインは、よく試飲会を通じて販売されていますし、自動車の販売においても、顧客に試乗させるのが普通ですが、試乗した顧客が必ず買いたくなる自動車こそ、真に優れた商品です。
こうして、一方で、インターネット上の商業においては、動画による実演販売が拡大し、他方で、対面の商業においては、顧客に商品を試させる実演購入が普及する、こうした事態は消費の多様化と高度化の必然的帰結です。
顧客の評価による販売促進は、要は、顧客による実演販売ではありませんか。
実際に購入して使用した顧客が商品を評価し、その評価を参考にして別の顧客が購入する、この仕組みにおいては、評価がよくなければ顧客は増えないわけですから、評判だけで販売することは、実演販売以上に、商業の王道であるわけですが、対面の商業においては評判の及ぶ範囲に限界があったのです。しかし、その限界はインターネットによって破られ、今や、インターネット上では、顧客が商品を評価する仕組みが溢れています。
インターネット上の評価の問題は信憑性ですか。
実演販売の根底には、商人と顧客との間の共感があり、共感に基づく信頼があります。ワインの試飲や自動車の試乗では、顧客は自分自身を信頼しています。故に、仮に他人の評価を信じるとしても、その他人は、顔を見たこともない不特定の他人ではあり得ず、具体的に交友のある特定の人で、しかも自分の信頼する人でなければなりません。
インターネット上の評価には、信憑性に関する疑義以上に、この信頼の欠如という問題があり、更に、それ以上に、ある商品について、それを大好きな人、好きな人、嫌いな人、大嫌いな人が混在する不特定多数の集団における評価には、仮に嘘偽りがないとしても、情報価値もないという本質的欠陥があります。なぜなら、優れた商品という評価は、それが大好きな顧客のなかだけで成立するからです。
・楽しく夢のある投資信託 (2019.4.25掲載)
投資信託等の金融商品は、購入時点では何の経済的効用もありません。そのような金融商品がどのような場面で効用を発揮するのかについて論じています。
・お役に立った投資信託といえるために (2019.11.7掲載)
投資信託の効用を「見える化」し、顧客が自らのニーズや課題解決に応えてくれる金融機関を主体的に選択できるよう、金融機関は顧客本位の業務運営を行っていく必要があることについて論じています。
・投資を難しくみせておいてから、説明と称して騙すこと (2016.10.6掲載)
顧客を騙すことにもなりかねない投資信託等の販売会社の説明義務の問題点や、販売会社は顧客の資産形成の必要性や属性に合わせた商品提供をすべきことについて論じています。
(文責:長澤)
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森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。