雨の日に傘に勝るものを貸せる金融であるために

雨の日に傘に勝るものを貸せる金融であるために

森本紀行
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金融には多数の専門領域がありますが、金融機関は、顧客のおかれた状況に応じ、適切な機能を選択して提供すべきであって、融資という傘が貸せないときは、資本という雨合羽を貸せばいいし、経営支援という軒先を貸せばいいのです。
 
 腰痛のある人が病院に行くとしたら、整形外科を選ぶはずですが、実際には、腰痛の原因は膵臓などの内臓の疾患である可能性があります。故に、そもそも専門診療科の適切な選択は、患者にはできないことであって、それ自体が医療行為なのではないかという問いは古くからあり、海外には、専門医にかかるためには、先に一般医の診療を受けて、その紹介を得る仕組みになっている事例があることも、とうに知られていました。
 そうしたなか、日本の医療制度も変化してきて、一般医は、かかりつけ医の名のもとで次第に定着し始めていて、かかりつけ医が日常的な患者対応に従事し、多数の専門診療科をもつ大きな総合病院は、その紹介を得て高度医療に専念するという分業体制が確立されつつあります。
 
分業のもとにおいて、患者の心身両面における健康という一点に、医療機能の全体を収斂させ得るでしょうか。
 
 分業のもとで、患者は、かかりつけ医の紹介で専門医にかかり、そこで手術等の高度な治療を受け、治癒後、あるいは継続治療のために、かかりつけ医のもとに戻ってくるわけですが、その過程の全体は、医師間の連携はもとより、薬剤師等の関連部門も含めて、また患者自身の主体的関与を前提として、診療計画のもとで統制されていなければなりません。
 逆に、患者の利益を中心にして医療の全体が診療計画で統制されていけば、専門領域における機能の高度化が進展すると同時に、医療資源は最適に配置され、医療費の適正化も図られるのであって、最高度に規制された医療事業においては、理論的には、優れた政策主導によって、そうした理想の実現は可能なはずであり、事実として、そうした方向への努力がなされているわけです。
 
医療の目的が個別の疾病の治療ではなく、患者の心身両面における健康の維持になったとしたら、同じ改革は金融にも必要ではないでしょうか。
 
 金融庁は、金融機関に対して、顧客本位の徹底を求めています。逆にいえば、顧客本位の徹底が金融庁の大真面目な施策になること自体、金融庁が無視し得ないほどに、金融機関本位、即ち、金融機関の自己都合による業務運営が横行している実態を示しているのです。
 こうした事態は、必然的に、様々な金融機関が同一の顧客に対して、勝手気儘に個別の金融機能を営業して歩くことに帰結しますから、それを医療に例えれば、同一の患者に対して、消化器科、循環器科、呼吸器科等の別々の医師が自分の業績のために病気の営業をして、相互連関なく好き勝手に治療しているのと同じです。
 故に、金融庁のいう顧客本位とは、金融機関の都合で個別の機能が顧客に提供されている現状を改めて、金融機関に対して、顧客の利益の視点において、各機能の効率的な使い方を提示し、それらの最適な組み合わせを提案し、透明で合理的な費用構造のもとで提供するように求めることを意味するわけです。
 
金融の目的は、個別の金融機能の提供でないとしたら、何になるでしょうか。
 
 金融の目的は何かという問いは、医療に例えるならば、金融の顧客にとって、患者にとっての心身両面における健康に該当するものは何かという問いになります。ならば、健康の維持には、平時における病気の予防と、非常時における病気の治療との二面があるように、金融の目的にも、法人部門においては、平時における財務の適正化と、経営課題が生じたときの金融機能を使った解決、個人部門においては、平時における家計の合理化と、生活上の課題が生じたときの金融機能を使った解決という二面があるはずです。
 
難問は、金融機能を使った課題解決ですね。
 
 今でこそ、金融庁も金融機関の自己中心的な姿勢を批判するに至りましたが、金融は、昔から、晴れの日には傘を貸し、雨の日には傘を取り上げる、つまり、業績のいい会社や財務基盤が強固な企業には喜んで融資したがるが、業績不振に陥り財務基盤が脆弱になった企業からは融資を回収したがると自己都合の論理を揶揄されてきました。
 つまり、企業が業績不振や財務基盤の脆弱化という深刻な状況に直面したときにこそ、そこからの脱却のために金融機能を必要とすると考えるのが常識の論理ですから、金融の常識は世の非常識として、皮肉られるわけです。実際、健康な人の治療はするが、病気の人の治療はしない医療というのは非常識の極みです。
 
治療どころか、風邪をひいたら、逆に、もっと働けという金融の論理もありますね。
 
 融資先が風邪をひく、つまり業況が悪化すれば、当然に債務不履行の可能性が大きくなるのですから、金融の論理としては、融資額を削減したり、金利を引き上げたりして、危険の増加を融資条件に反映させるほかありません。要は、もっと働けということです。しかし、そうすれば、業況の一段の悪化は避けられず、風邪を治療するはずの医療が逆に風邪を肺炎に悪化させるのと同じ帰結を招きます。
 この矛盾も昔から知られていて、故に、金融庁は、例えば、世界的な金融危機や、新型コロナウィルスの感染拡大などの非常時においては、金融機関に対して、一時的に業況の悪化した企業については、融資条件を厳格にするのではなく、逆に緩和する、即ち、金利減免や弁済期の延長等の措置を講じるように求めることがあるのです。
 要は、雨の日には傘を取り上げる、風邪をひいたら、もっと働けという事態は、金融機関本位に、顧客の置かれた状況と関係なく、融資という個別の機能が提供されているから起きることであって、金融機関が顧客本位に徹し、顧客の課題を解決するために、いかなる金融機能を提供すべきか、更には、金融を超えて、総合的に、いかなる支援が可能なのかを真剣に考えるとき、融資に替わる別の傘が工夫され、風邪を治療できる方法が発明されるのです。
 
要は、金融においては、医療における専門医が不在だということですか。
 
 日本の金融の特色として、融資という専門診療科だけが極端に大きく、そこに需要を著しく超過した供給能力が確保されているにもかかわらず、他の専門診療科は逆に極端に貧困であるために、融資対象から外された企業は、全ての金融機能の利用から排除されてしまうのです。これが金融庁のいう日本型金融排除であって、内科しかなければ、外科手術の必要な患者が医療から排除されてしまうのと同じです。
 故に、金融庁は構造改革を進めていて、資本市場の機能を強化しようとしています。なぜなら、融資の金融機能に限界があるのは、その原資が元本保証のついた預金だからであって、預金を経由しない直接金融、即ち、資本市場を舞台にした金融においては、資金調達をする企業の実情に応じた様々な手法が可能になるからです。
 また、金融庁は、金融と非金融の境界の見直しも進めていて、例えば、企業の必要とするものが資金よりも人材である場合も多いことから、金融機関に人材関連事業を認めるなど、様々な規制改革を断行しています。こうして、日本でも、ようやく融資以外の専門診療科が育ち始めたのです。
 
金融においては、かかりつけ医も機能していないのではないでしょうか。
 
 金融機関の社会的使命には、非常時における金融機能を使った顧客の課題解決のほかに、あるいは、その前提として、平時における企業財務の適正化と家計の合理化を支援することが含まれています。後者は、日常的な病気の予防であって、かかりつけ医の機能です。
 かかりつけ医の機能が適切に果たされていれば、風邪の多くは予防でき、予防できないときも、早期の治療により重篤化を避け得るはずです。金融理論的には、風邪をひいたら、もっと働けというのは正しいとしても、かかりつけ医の適切な機能のもとで、風邪をひかせないことは、より正しいのです。
 
金融においても、かかりつけ医が専門医などと連携して診療計画を立てなくてはいけませんね。
 
 融資を本業とする銀行等の預金取扱金融機関は、かかりつけ医の機能と、融資という専門医の機能を分離し、そのうえで、資本市場における融資以外の多様な専門医と連携し、更には、人材等の非金融の分野の専門家とも連携して、顧客の利益の立場で、医療における診療計画、即ち、金融機能提供計画を立て、その統制のもとで、行動しなければならないのです。 
≪ 関連する論考をご紹介いたします ≫

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(文責:杉本)

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森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。