人は金融機関に嘘をつき医師に真実を語る

人は金融機関に嘘をつき医師に真実を語る

森本紀行
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金融機関は、金融庁が求める顧客本位を徹底するためには、顧客の生活や経営の実情を理解し、そこで必要となる最適な金融機能を過不足なく提供しなければなりませんが、さて、どうすれば、それが可能になるのか。
 
 人は、生きて稼いで、稼いで消費し、消費し終わって死にますが、その間、手元資金の過不足を調整するために、常時、金融機能を利用しています。例えば、使途が決まっているのに資金が不足するときは、住宅ローン等の融資を受け、使途が近づいている資金は預金においておき、資金使途が具体化するまでに時間があれば、投資信託で運用するわけです。
 こうして、金融機能は、決して単独で成立するものではなく、常に、使途との関係において存立するのですが、使途は、常に、生活に規定されるのですから、金融機能の利用は、常に、生活に規定されるわけです。故に、金融機関は、金融庁のいう顧客本位を徹底するためには、即ち、真に顧客の利益に適うように金融機能を提供するためには、顧客の生活を理解しなければならないのです。
 
金融機関に自分の生活を語る顧客など、いるはずもないと思われますが。
 
 古くから揶揄されているように、金融機関は、晴れに傘を貸し、雨が降ったら傘を取り上げる、即ち、業況のいい企業には喜んで融資するが、業況が悪化してくれば、新規に融資しないどころか、逆に融資の回収を図ろうとするわけですが、この矛盾は、ときに貸し渋りや貸し剥がしの名のもとに社会的に批判されることがあっても、融資のもつ本質的制約のもとでは、構造的に解き得ないのです。
 こうした事情のもとでは、企業経営者は、金融機関に業況の悪化を隠そうとするでしょうし、個人保証をしていることも多いため、個人財産を秘匿しようとするのは当然です。また、大きな金額の預金をもっている人は、金融機関から使途を聞かれても、適当な嘘を答えます。うっかり、当面の使途はないといえば、おかしな投資信託や、無用の生命保険を押し売りされて、迷惑だからです。
 
金融機関のなかに、ホームドクターを自称する例が少なくないのは、そうした事情からですか。
 
 心ある金融機関では、自分に真実を語る顧客がいないことの問題性について、医師に嘘をいう患者がいないこととの対比において、様々に検討されてきて、その結果として、顧客に対して、ホームドクターのように接することで、顧客の真の課題を理解し、それに対して、最適な金融機能を提供できると考えられるようになったのです。
 
ただの医師ではなくて、ホームドクターなのですね。
 
 ホームドクターは、かかりつけ医、一般医、家庭医などと呼ばれるもので、特定の分野に専門性をもつ医師ではなくて、患者との長期的な関係性のなかで、病歴、基礎疾患、日常における健康状態などを熟知したうえで、何らかの症状が生じたときに、原因を推定して、適切な専門医を紹介する医師であり、また、患者を治療する、英語でいえばキュア(cure)することを超えて、健康管理や心の問題などを含めて、より広く世話をする、英語でいえばケア(care)するものです。
 これを金融機能に当てはめれば、金融機関は、顧客との長期的な関係性のなかで、その事業活動や生活を深く理解し、常にケアすることを通じて、顧客に生じる様々な問題について、適切な金融機能の提供によって解決を支援し、自分の能力を超えることについては、金融と非金融の両方の領域において、最適な他社を紹介することになります。
 
医療においては、病気になったときに治療が受けられる保証のもとで、ケアがあるのであって、金融においても、顧客に対する何らかの保証がない限り、ケアは成立しないと思われますが。
 
 融資の構造的矛盾については、雨が降ったら、傘を取り上げると並んで、風邪を引いたら、もっと働けという表現もあります。風邪を引くというのは、雨が降るのと同じく、業況が悪化することを意味しますが、傘を取り上げるのは、融資量を減らすことであるのに対し、もっと働かせるのは、金利を引き上げることです。これでは、風邪の治療になりませんから、日頃のケアも意味をなしません。
 そこで、金融機関は、顧客に対して、風邪を引いたときには、融資という金融機能では治療できないとしても、出資、優先出資、劣後融資などの他の金融機能によって、更には、資産売却による資金調達の支援、他社との業務提携や資本提携の仲介、営業や人材面での経営支援などの非金融機能によって、治療に努めることを確約しなければならないのであって、その確約こそ、ホームドクターであることの本質なのです。
 
支援の確約があるからこそ、顧客は、業況の悪化を金融機関に隠すのではなく、逆に、積極的に金融機関に事実を知らせて、支援を要請することになるのですね。
 
 医師が患者を救えるのは、患者が早期に症状を医師に訴えるからです。金融機関は、融資の論理を貫徹する限り、顧客が抱える問題を知ることなく、早期に支援する機会を失うのですが、ホームドクターに徹することにより、顧客から早期に相談され、顧客の真実の姿を知ることとなり、適切に対応できるようになるのです。この顧客との関係にあるものこそ、真の信頼であり、信頼に基づく金融機関の業務運営こそ、金融庁のいう顧客本位です。
 
投資信託の販売等の個人向け事業において、ホームドクターは、どのように機能するのでしょうか。
 
 風邪には自覚症状を伴いますが、個人の生活においては、例えば、ローンの過剰な利用、無駄な保険契約、過小な資産形成の努力、投資と投機の混同など、金融機能の利用方法が不適切だからといって、そのことを自覚している人は稀です。自覚がないのは、症状が必ずしも病気といえる状況にないからですが、不健康ではあるわけで、故に、ホームドクターの金融機関は、本来は、健康診断から始めて、患者である顧客のために健康増進計画を作り、それを顧客と共有すべきなのです。
 
金融機関経営の構造的欠陥として、顧客を不健康にしておくほうが儲かるのではないですか。
 
 生命保険業界の現状は、過剰な保障、不要な保障の提供が収益源泉となっているとみられますし、消費者ローンの業界では、積極的な営業によって、ローンが過剰に供給されて、多重債務という社会問題を引き起こしてきました。更には、投資信託業界では、手数料稼ぎといわれても仕方のない販売実態、資産形成に適さない投機的内容のものや流行の話題を追いかけるだけのものの濫造など、問題事象が横行しています。
 金融庁として、こうした事態を放置できるはずもなく、金融機関に対して顧客本位の業務運営の徹底を求めるに至ったのですが、問題の深層には金融機関の収益構造があるわけですから、同時に、持続可能なビジネスモデルの構築も求めているのです。なぜなら、顧客の利益に反したビジネスモデルに持続可能性のないことは明らかだからです。
 また、金融庁は全く同じことを顧客との共通価値の創造と呼び替えていますが、その主旨は自明です。なぜなら、金融機関として、顧客を賢くすることにより、即ち、顧客の金融機能の利用の適正化に努めることにより、顧客の側に付加価値を創造し、同時に、そのことが自己の側における付加価値の創造になるように、収益構造を改革しなくてはならないからです。
 
金融機関がホームドクターに徹することによって、改革が実現し、顧客が賢くなれば、ホームドクターとしての金融機関は不要になるのではないでしょうか。
 
 医療の真の目的は、医師による病気の治療ではなくて、患者による病気の予防であり、理想的な帰結は、予防の徹底によって治療の必要性が低下することです。同様に、教育の真の目的は、学ぶものの自律的な学習能力の高度化であり、教えることの重要性を低下させることであって、金融においても、家計や経営の合理化を徹底することにより、金融の必要性を低下させることが真の目的でなければなりません。
 しかし、予防の徹底の先に、なお防ぎ得ないものとして病気は発生し、そこに、より高度な医療が求められ、学習の徹底の先に、なお学び得ないものとして未知の領域が発見され、そこに、より高度な教育が求められ、家計と経営の徹底した合理化の先に、なお避け得ないものとして資金の過不足が生じ、そこに、より高度な金融が求められるのです。
≪ 関連する論考をご紹介いたします ≫
雨が降ったら傘を差し出す金融へ (2015.12.10掲載)
金融規制による厳格な融資先の信用評価を要求されている銀行等の「晴れの日に傘を貸し、雨が降ったら傘を取り上げる」行為は経営の在り方としては正しいですが、社会的使命の観点から適切でしょうか。金融庁は「事業性評価に基づく融資等」をもとに債務者の業況を評価する手法を高度化し、表面的な数字に捉われない顧客との高度な信頼関係の構築と、銀行等自身の厳格な内部統制の重要性について論じています。

フィデューシャリー・デューティーとベストをつくす義務 (2015.9.17掲載)
フィデューシャリー・デューティーの真の改革は、規制による規律の強化ではなく、各金融機関がプロフェッショナルとしてベストプラクティスを追求するための独自の内部規範の設定によって実現されます。それをフィデューシャリー宣言として公表することで、履行強制力が働き、健全な競争環境が整備されることで運用能力の向上が図られるということを論じています。フィデューシャリー・デューティー導入当初に書かれたコラムで分かりやすくまとめたものです。

金融機関の自律が基本になるなかでの規制の意味 (2021.9.8掲載)
金融庁の行政手法は抜本的に変更され、規制による強制は後退し、金融機関の自主自律が基本となっています。そして、金融庁は、顧客が金融機関を評価できる環境を整備することで、事実上の履行強制力を付与しようとしているのです。真の自主規制は、個社が最高を目指して努力するための個社の自主規制であり、業界の自主規制は、金融庁の規制と同様、最低を規定するものでしかないことを論じています。
(文責:翁)

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森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。