金融庁のウェブサイトには、「バイナリーオプション取引にあたってご注意ください!」という警告が掲載されていて、そこには、バイナリーオプションとは、「為替相場や株価指数などを対象に、あらかじめ決められた時点、期間の騰落を予測し、ある値よりも高いか低いか、一定の範囲に収まっているかなど、二者択一で選ぶ取引です」と解説されています。
要は、バイナリーオプションは、購入時にオプション料を支払い、予測が当たったときは、払戻金とオプション料の差額が利益となり、予測が外れたときは、オプション料が損失になる取引なのであって、オプション料を賭金にすれば、骰子の目の偶数か奇数かを二者択一で予測し、実際の出目によって、利益を得るか損失を被るかが決まる骰子賭博と完全に同じになります。
なぜ、警察ではなく、金融庁の所管になるのでしょうか。
「バイナリーオプションは、金融商品取引法上の店頭デリバティブ取引に該当」するからです。つまり、バイナリーオプションは、「騰落を予想するだけの簡単な取引」として、違法な射倖契約、即ち、賭博に該当し、警察の領域になるはずですが、「金融商品取引法上の店頭デリバティブ取引」を使った「複雑な理論的根拠に基づく金融取引」である限りは、合法化されていて、金融庁の所管になるということです。
警告の主旨は、「射倖性が高く、損失を被るおそれ」があるから、注意しろということですね。
バイナリーオプションは、競馬と同じく、合法化された賭博ですが、「短時間で損益結果が判明するために、安易に何度も取引を行ってしまうおそれ」があり、故に、「短期間に繰り返し取引した結果、多額の損失を被るおそれ」があって、競馬に比較して射倖性が著しく高いために、金融庁は敢えて警告しているのです。
警告するくらいなら、規制によって取り締まるべきではないでしょうか。
それは高度な法政策の問題です。オプションなどの金融デリバティブの取引は、社会的に必要とされるからこそ、法律上の手当てがなされているのですから、金融庁としては、本来の主旨に反した利用を規制することによって、本来の利用における利便性を低下させることはできませんし、また、デリバティブ取引を円滑化させるために、投機資金の流入は必要悪として許容されるべきだとの判断もあるはずです。
では、理論的根拠を欠いたバイナリーオプションは、違法な賭博になるのでしょうか。
難しい法律論ですが、確かに、金融庁のいう「複雑な理論的根拠に基づく金融取引」は、複雑かどうかはともかくも、理論的根拠があるからこそ、正当な金融取引になると解釈できますが、理論的根拠を欠けば、金融取引に該当しなくなって、賭博になるとまでは、いい難いようでもあります。
しかし、「金融商品取引法」には、様々な行為規制等が定められていますから、理論的根拠を欠いたバイナリーオプションは、同法によって合法的な存立の根拠が与えられているにしても、逆に、同法の規定に抵触することによって、違法になることはあり得ると考えられます。
理論的根拠を欠けば、取引の公正性が失われるということでしょうか。
賭博は原理的には公正な取引です。例えば、二人が最初に50円を出し合い、その合計100円を前にしてジャンケンをし、勝者が100円をとるという約定は、立派な賭博ですが、掛金と払戻金の算定に理論的根拠がありますから、公正な経済取引です。胴元が50円を取り、勝者が50円をとるとしたところで、勝者と敗者の関係においては、取引は公正です。
ただし、胴元取り分については、必ずしも公正とはいえないので、それが賭博を違法とする法政策上の一つの理由になっていると考えられます。そこで、競馬等の合法的な賭博においては、胴元取り分が公共的な目的に支出されること、および、払戻金の分配方法が理論的根拠に基づくものであることを条件にして、公正性を確保し、違法性が否定されているのです。
故に、バイナリーオプションについても、胴元取り分、即ち、金融商品取引業者の得る手数料等の水準が妥当性を欠いている場合や、オプション料と払戻金との関係に理論的根拠を欠いている場合には、適法性に疑義の生じることは十分にあり得るのだと思われます。
理論的根拠があるだけでは不十分で、その説明可能性が必要ではないでしょうか。
金融庁は、警告において、「合理的な投資判断を行うためには、オプション取引に関する専門知識や高度なリスク管理が必要です」と述べていますから、顧客に専門的知見のあることを条件として、金融商品取引業者が勧誘活動を行っているとの前提にたっていると考えられます。つまり、業者によって説明される以前に、顧客が理論的根拠を理解しているのが前提であって、その前提が成り立たないのなら、適法性に疑義の生じることは当然です。
バイナリーオプションについていえることは、金融に数多くある射倖契約の全てについていえるわけですか。
金融では、保険契約、保証契約、オプション取引の契約など、多数の射倖契約が法令上の根拠によって合法化されていますが、バイナリーオプションについていえることは、原則として、他の全ての金融の射倖契約にも当てはまります。
保険契約の理論的根拠を理解できる顧客はいないと思われますが。
保険契約が高度に規制されているのは、その理論的根拠が保険数理に基づいていて、顧客の理解し得ないものだからです。つまり、規制当局は、保険契約の理論的根拠の妥当性を検証し、それを保証することで、保険契約の公正性を確保し、顧客の利益を守っているのです。
では、なぜ、バイナリーオプションの理論的根拠は規制されていないのでしょうか。
金融庁の警告には、「バイナリーオプションは相対取引であることから、金融商品取引業者は、金融商品取引法等に基づき、公正な取引を行うために、バイナリーオプションに関するルールを定め、ルールに従って適切に取引を行うことが求められています」と書かれています。つまり、法律は当事者間の自治を前提とした構成になっているのです。
それに対して、保険契約は不特定多数を対象とした約款取引であって、顧客は自治の及ばない約款に拘束されますから、規制当局は、約款を規制することで、顧客の利益を守っているのだと考えられます。
さて、以上の論点に基づき、三井住友銀行の売れ筋だった「あんしんスイッチ」という愛称の投資信託について検討しましょうか。
「あんしんスイッチ」には、算出された基準価額が9000円を下回ったときは、基準価額が9000円になるように、保証会社が必要な金銭を投資信託に支払うという保証契約、即ち、射倖契約が付されていて、顧客は年率0.22%の保証料を負担していました。これが基準価額9000円で繰上償還となり、顧客の損失が発生した経緯については、他稿で詳細に論じたので、ここでは、射倖契約としての適法性に関する疑義についてのみ検討します。
理論的根拠が不明だという点ですね。
この保証契約については、保証の合理性自体に重大な疑義がありますが、仮に、一応は保証契約としての理論的根拠があったとすれば、保証料は、保険やオプションと同様に、高度な数学によって算定されていたはずです。
しかし、オプション契約の場合は、公開情報である対象原資産の価格変動から、オプション料の妥当性を顧客が検証でき、そうした検証能力を備えたものだけが適合性のある顧客となり、当事者間の自治として処理されているのに対して、この保証契約については、検証を可能にする情報がなく、仮に情報があったとしても、顧客に検証能力のなかったことは明らかであり、しかも、約款取引である投資信託のなかでなされていたのですから、そこには極めて重大な疑義があるのです。
逆に、顧客による検証の不可能性を前提にしたときには、同じ事情にある保険契約が高度に規制されていることとの関係において、やはり、極めて重大な疑義が生じます。
説明可能性もありませんね。
三井住友銀行のことですから、射倖性の存在については、抜かりなく、顧客に説明していたはずですが、射倖性の妥当性については、説明しようにも、説明できなかったでしょうし、あるいは、大胆不敵にも「あんしん」という愛称を付けたくらいですから、射倖性の利点に偏った説明になっていた可能性があるでしょう。
・三井住友銀行の売れ筋の投資信託に違法性はないのか (2021.11.25掲載)
射倖契約とは、偶然の事象の生起に関し、契約当事者の一方に対して、他方が予め定めた給付の履行義務を負うもので、給付と給付原資の相当性が確保されていることが合法化されるための決定的な要件です。本コラムでは、親会社・子会社間の保証契約であり、子会社の運用戦略は、親会社の保証契約を無意味化するよう実行された可能性もあり、射倖契約としての適法性の問題以前に、そもそも射倖契約ですらなかったのではないかと論じています。
・銀行と顧客のなれ合いを断て (2017.7.13掲載)
顧客の中には、銀行が勧めるものについては悪いことにはなるまいという安心感のもと、仕組みをしっかりと理解せずに購入する人も少なからずいるはずです。そのような銀行と顧客が相互に甘えあう関係においては、日本の資産運用の質が向上するはずもなく、国民の資産の形成と保有のあり方や資本市場を通じた資金循環をも非効率にし、国民の経済厚生の増大という政策課題の阻害要因となると論じています。
・顧客満足は顧客本位ではない (2017.1.12掲載)
金融庁がフィデュ―シャリー・デューティーを公表したきっかけとなったダブルデッカー問題然り、素人の誤認によって投機的でおかしげな投資信託でも顧客満足が得られることがあります。しかしながら、顧客満足は、必ずしも顧客本位とは限りません。本コラムでは、国民の利益の視点で、投資信託はどうあるべきか、金融における顧客本位と顧客満足の違いについて論じています。
(文責:神山)
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森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。