投資運用業者がフィデューシャリー・デューティーを徹底すべき理由

投資運用業者がフィデューシャリー・デューティーを徹底すべき理由

森本紀行
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投資運用業者がフィデューシャリー・デューティーを徹底することで、資本市場の公正性が実現し、それが資金調達を行う企業等の改革を促して、経済の持続的成長に結実するのです。
 
 社債に付されている信用格付は、投資家が社債の価値を適正に評価できるために、より具体的には、信用度を適正に反映した金利水準になっていることを確認できるために、発行体が格付機関に費用を支払って取得したものです。しかし、社債を普通に発行できるのは、上場企業等に限られていますから、投資家は、既に開示されている情報だけで、発行体の信用力を評価できるはずです。
 
格付は不要ということですか。
 
 社債や株式が取引される市場、即ち、資本市場は、専門家だけが参加できる水産物等の卸売市場などとは異なり、専門的知見をもたない個人投資家等も参加できるようになっていますから、社債の格付は、こうした開示情報の分析能力をもたない投資家のためにあると考えられます。つまり、発行体からすれば、費用を負担してまで格付を取得するのは、投資家層の拡大を図って、社債の発行を円滑化させるためなのです。
 
専門的知見をもつ投資家にとっても、格付には分析の手間を省く利便性があるわけですか。
 
 銀行等の金融機関は、社債市場における有力な投資家であり、社債に関する専門的知見を有しているべきですが、実際には、独自の評価分析によって投資判断を形成し、信用リスク管理を行っているのは少数の大手銀行や保険会社に限られていて、多くは格付を信じて投資判断を行い、格付に基づいて信用リスク管理を行っています。
 これは、経営資源の配置の問題として、大手以外では、専門人材を配することが非効率だからです。そこで、発行体は、格付を取得することで、金融機関に利便性を供与して、投資家層の拡大を図っているわけです。
 
発行体の選択肢として、高度な専門的能力をもつ投資家層に対象を限定し、格付費用を節約する方法もありますか。
 
 米国の社債市場は日本と比較にならないほどに巨大ですが、そこでは格付のない社債が発行されることは珍しくありません。背景には、社債投資の高度な専門性をもち、格付に依存しないで銘柄選択をする多数の投資運用業者がいて、巨額な運用資産を有していることがあって、こうした専門家に対象を限定したとしても、発行体としては、社債の消化に大きな不都合はないのです。
 
市場においては、情報の対称性が決定的に重要なので、専門家間の取引を想定するほうが望ましいということですか。
 
 資本市場とは、企業等が資金調達の手段として株式や社債などを発行し、投資家が資金運用の方法として、それらを取得する場であって、そこには、発行体を代理する専門家としての投資銀行があり、投資家を代理する専門家としての投資運用業者がいます。両者は、専門家間の情報の対称性のもとで対峙して取引することにより、価格の公正性を実現し、発行体と投資家の双方の利益を守っているのです。
 しかし、専門家間の情報の対称性は自然には成立しません。なぜなら、完全情報は発行体にあり、発行体を代理する投資銀行は、投資運用業者に対して、圧倒的な情報の優位を得るからです。つまり、この情報格差を是正するものが開示制度なのですが、投資運用業者に開示情報を緻密に分析する能力がない限り、情報の対称性は成立しないということです。
 こうして、投資運用業者には、市場の公正性の実現に関して、大きな責任が課せられているのですが、この責任は、実は、投資運用業者が顧客に対して負う義務、即ち、専らに顧客の利益のために最善をつくす義務が履行されるとき、結果的に果たされるものです。この義務は、英米法ではフィデューシャリー・デューティーと呼ばれますが、金融庁は、それを日本版に改め、顧客本位の業務運営と名付けて、投資運用業者に対して、その徹底を求めています。
 
専門的知見をもたない投資家は、投資信託を利用すべきでしょうか。
 
 専門的知見をもたない個人投資家等と発行体との間には、情報の対称性のないことが明らかで、だからこそ、それを補完するものとして、社債の格付があり、証券会社の様々な調査レポートがあるわけです。しかし、資本市場のあるべき姿としては、個人投資家等の情報弱者は、投資信託を通じて、投資運用業者の専門性を利用するのが望ましく、そこに投資運用業者の社会的存在意義があるはずです。
 
日本の場合、あまり投資信託が利用されていないようですが。
 
 日本では、理想と現実とは大きく乖離していて、投資信託の利用が普及していません。その背景には、金融庁が問題視するように、投資運用業者の実態において、顧客本位に反する事態、即ち、専門的能力に対する顧客からの信認が得られていないという非常に憂慮すべき状況があるのです。故に、金融庁は、資産運用の高度化を重点施策に掲げるわけです。
 資本市場において、資産運用の高度化は産業界の資金調達の高度化と表裏をなしていますから、金融庁にとって、投資運用業者が専らに顧客の利益のために最善をつくすことは、資金調達をする産業界に対して経営改革を促すことを意味しています。つまり、資産運用の高度化は、一方で、国民の安定的な資産形成を実現し、他方で、産業界の構造改革による経済の持続的成長にもつながると考えられているのです。
 
仮に顧客本位が徹底されるにしても、投資運用業者は、専門的知見をもたない投資家よりも、本当に投資が上手だといえるのでしょうか。
 
 同一発行体が同一条件で発行した社債について、格付の有無は価格形成に影響を与えています。無格付社債のほうは、投資家が限定される、即ち、買い需要が相対的に小さくなるので、価格は相対的に安くなるはずだからです。故に、格付を必要としない専門的知見をもった投資家からみれば、そこには、価値よりも安い価格がある、即ち、有利な投資機会が存在することになるのです。同様に、開示情報の範囲内においてすら、全ての投資対象について、程度の差こそあれ、情報の非対称性はあり得ます。
 しかし、より大きく投資の巧拙を規定するのは、規律です。価格変動や発行体に関する報道等は、どの投資家にも必ず心理的動揺を与えますが、その程度は、専門的知見の有無や経験の深度によって、大きく異なります。投資の専門家は、投資対象の価値の分析を徹底的に行ったうえで、経験に基づく確信を形成していて、規律ある行動をとれますから、心理的な動揺に対する強い耐性をもっています。
 それに対して、専門的知見をもたない投資家は、心理的動揺に基づく行動をとることで、投資運用業者に、有利な投資の機会を提供してしまいます。だからこそ、投資信託の利用には実益があるのですが、必須の要件は、その投資信託を運用する投資運用業者が顧客本位を徹底することです。
 
公正価格の実現には多様な視点をもつ投資家の取引が必要なはずで、専門的知見をもたない投資家の行動も重要ではないでしょうか。
 
 資本主義経済は同時に市場経済であり、全ての商品について市場が存在していますが、市場では、水産物等の卸売市場のように、取引参加者が専門家に限定されることで、情報の対称性が成立しています。つまり、市場では、専門家の評価能力によって商品の客観的な価値が確定し、それに基づいて価格が形成されているのです。
 しかし、資本市場だけは例外で、専門家以外にも広く開かれています。それは、株式や社債のような金融商品については、専門家の評価能力によって価値が客観的に確定することはあり得ず、専門的知見、経験、動機などについて、様々に属性の異なる参加者が主観的価値評価のもとで好き勝手に取引し、その結果として形成された公正価格をもって、客観的価値と考えるほかないからです。
 
公正価格の実現過程で、投資運用業者は付加価値を創造するわけですか。
 
 価値よりも安く売り、価値よりも高く買う人がいるからこそ、投資運用業者は、価値よりも安く買い、価値よりも高く売ることで、付加価値を創造できます。しかも、そうした投資運用業者の行動が価格を価値に一致させる方向に動かして、価格の公正性を実現するわけです。
≪ 関連する論考をご紹介いたします ≫
投資信託よ、金集めから投資へと、死して甦れ (2015.7.30掲載)
日本の投資信託が販売会社主導となっている問題点について論じています。販売主導ではなく投資信託の内容自体の質によって資金を呼び寄せることで自然な競争が生まれ、好循環の実現がなされていく必要があります。

経営者よりも投資家のほうが企業価値を高める (2022.3.3掲載)
企業価値については投資家の価値創造が先にあって、投資先企業の価値創造につながるのです。これは投資家の投資判断によって経営者に経営の独立を保つためには企業価値を高めるほかないと決意させることが、企業の成長の原動力につながるためです。経営者ではなく、投資家がコーポレートガバナンスを高度化し、企業価値を高めるということを論じています。

成長資本という理念 (2010.5.13掲載) 
成長資本の理念は、金融の社会的使命が企業や地域の産業の成長を金融機能によって支援する点に見出せます。日本の成長を支えた融資政策という古い成長資本の理念から、現代の融資と新しい成長資本を組合せることが、日本を再度成長軌道にのるために必要であることを論じています。
(文責:長澤)

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森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。