企業の資金調達手段としては、普通は、銀行等から融資を受けることや、株式や社債等の資本市場での発行を考えます。しかし、より基本的な方法は、資産を売却することです。ただし、売却対象の資産について、いかなる意味においても全く不要なものであれば、そこに金融の技法や、企業の経営戦略が関係することはなく、故に、論じられる価値もないわけですし、そもそも、まともに経営されている企業において、そのような不要資産は存在し得ないのです。
ところが、活きた企業経営の動態のなかでは、不要になる資産や、不要とまではいえなくとも、他の資産との価値の比較において、保有意義を喪失する資産は、常に生じます。こうした資産について、より速やかに、より高く売却することは、効率的な資金調達の方法として、また、資本効率の改善策として、企業経営の重要な課題となります。
そうした売却対象となる資産には、特定の事業も含まれるわけですね。
単一の事業に特化していることは、小規模な企業においては普通であっても、中規模以上の企業においては稀ですから、多くの企業にとって、経営環境の変化に伴う事業再編は常に重要な経営課題となります。このとき、経営戦略上、中核事業から外れたものは売却対象となるわけですが、より速やかに売却することで、事業再編を加速させ、より高く売却することで、より多く中核事業へ再投資し、また、より大きく新規事業に投資することは、非常に重要な意味をもちます。
より速やかにと、より高くとは、両立し得ないのではありませんか。
売却に要する時間の短さと、売却金額の大きさとは、多くの場合、相反しますから、安くて早いか、遅くて高いかの選択は、経営者の決断の問題となります。当然のことながら、その判断の良否は、事後的な結果によってのみ評価されることですが、一般的には、時間の短さが優先されるのだと考えられます。実際、プライベートエクイティという投資戦略では、即時に事業買収することで、時間の短さを優先する企業から、低廉な価格を引き出すことに付加価値源泉の一つがあるわけです。
しかし、売却予定の事業といえども、その置かれた状況によっては、時間をかけて最適な譲渡先を探すことにも意味があるでしょうし、敢えて追加投資を行い、事業価値を高めて、より高い価格で譲渡する、あるいは事業構造を売却しやすいように変革することも重要な選択肢となります。
ベストオーナー論ですか。
かつては、どの企業も事業譲渡に躊躇したのは、事業譲渡は事業撤退と呼ばれて、社会に非常に悪い印象を与えていたからです。この事情は、おそらくは、企業の事業再編を遅らせてきた原因の一つです。しかし、現在では、いわゆるガバナンス改革が着実に進展してきて、事業譲渡はベストオーナーへの事業移転と位置付けられるようになりました。
ベストオーナーとは、字義通りに、事業の最善の所有者であり、最善とは最適のことです。事業の所有者について適格性がいわれるのは、事業の成長のためには、その事業に固有の経営資源の構成が要求されるからです。つまり、様々な経営資源が企業間に偏在するなかで、事業の特性に応じた最適な資源構成をもつ企業は限られるわけです。
また、ベストオーナー論の別の側面は、事業のステークホルダー、即ち、顧客、従業員、取引業者等の利害関係者の視点です。どの事業にも社会的存在意義があり、その存在意義を守ることは、要は、ステークホルダーの利益を守ることに帰着するのであって、そのための最善の事業の所有者こそ、ベストオーナーと呼ばれるのです。
更に、ベストオーナー論において重要なのは、事業の成長という視点です。ベストオーナーとは、事業を成長させるのに最も適した所有者なのです。この場合に注意すべきは、事業の成長軌道は、直線ではなく、階段状の曲線であって、成長とは、基本的には、階段の踊り場から、一つ上の踊り場に登ることだという点です。故に、成長段階に応じて、ベストオーナーは変わり得るわけです。
企業として、ベストオーナーとしての適格性の厳格な自己評価を行うとき、事業再編が促されるわけですか。
事業の成長段階が変われば、それを所有する企業のベストオーナーとしての適格性に疑義の生じることがあり得ます。事業再編とは、第一に、ベストオーナーとしての適格性を喪失した事業について、次の成長段階を担い得る別のベストオーナーに譲渡することであり、第二に、その売却代金について、ベストオーナーであると自負できる事業に対して、他社からの事業買収も含めて、再投資することです。こうして、連続的に事業の譲受を繰り返すことこそ、企業経営の本質であるはずです。
また、事業譲渡による資金調達と、そうして調達された資金の再投資という構造は、企業経営のなかに金融機能が内包されていることを示すものです。外部の金融機能の利用は、再投資額を大きくすることや、新規事業への投資など、補完的役割を演じるものであって、このことは、特に、株式を使った資金調達にとっては重要な論点です。なぜなら、資本の本質は、投資と回収の連続のなかで、自己増殖することだからです。
事業の創業者も、創業という成長の第一段階を終えれば、その事業のベストオーナーでなくなる場合が多いのではありませんか。
アントレプレナー(entrepreneur)と呼ばれる起業家は、全くの白地の上に事業構想を描いて、実際に、その画を実業に構成する人です。こうした無からの創業を実行できるアントレプレナーには、ある種の特異な能力が備わっているようで、なかには、創業した事業を早期に売却し、その売却代金を使って、次の創業を行う人もいて、シリアルアントレプレナー(serial entrepreneur)と呼ばれています。
シリアルアントレプレナーには、無からの創業についての強い自負があるのは当然として、同時に、創業の次の成長段階の経営には向いていないという冷静な自己評価もあるに違いありません。実際に、多くの場合、創業された事業は、より大きな顧客基盤、製造能力、営業力等を備えた大企業に移植されることで、次の段階の成長が可能になるのです。
逆に、大企業のなかからは、真の創業は生じ得ないということですか。
理論的には、大企業のなかからも真の創業は生じ得るでしょうが、要は、成功確率が高くなく、仮に成功するにしても、成功までの時間が長く、費用が大きくなりすぎて、効率が悪いのではないでしょうか。また、ここでも、ベストオーナー論は重要で、大企業は、創業段階の事業のベストオーナーであるよりも、成長の第二段階以降にある事業のベストオーナーに相応しいと考えられます。
創業と並んで、廃業の防止も重要ですが、ここでも、ベストオーナー論は機能するでしょうか。
事業承継とは、後継経営者のいない企業が廃業していくなかで、廃業を阻止するために、事業を他社に承継させることですが、事業に価値があるのならば、後継の経営者や買収者は容易に見つかるので、事業承継は難しい問題にはなり得ないはずです。ましてや、事業に価値がないのならば、事業承継を論じる意味もないわけです。
この問題をベストオーナー論から検討すると、事業承継とは、事業の所有者である創業者一族がベストオーナーでなくなった後も、長く所有者に留まったために、事業譲渡の適切な時期を失った事案と整理できます。故に、未来への課題は、創業家が早期に事業譲渡するように、利益誘因を設計することになります。
しかし、深刻なのは現時点における課題です。事業に価値があるとの前提のもとで、その承継が困難だとすれば、承継が容易になるように、一つ上の段階までの成長戦略、あるいは構造改革戦略が必要なわけです。そして、成長戦略や構造改革戦略を具体的に使命として定義できれば、経営を引き受ける適材を得ることも容易になるのでしょう。
・速やかな事業再編にプライベートエクイティが不可欠なわけ(2022.4.21掲載)
プライベートエクイティ投資は、その株式の発行体への投資であって、逆に考えれば、その発行体の資金調達に応じることです。プライベートであることがより重要な場面では、対象を劣後融資や転換社債などに拡張することも考えられます。事業再編における様々な場面でのプライベートエクイティの活用方法について論じています。
・成長しないものに投資価値はないのか(2019.9.12掲載)
成長しない事業であっても、その事業価値が存在し、事業活動により付加価値が創造されている限り、金融として資金供給した際は必ず計画的に回収することは可能です。しかし、投資運用業の立場からは、一定期間中に再譲渡による投資収益をあげることが目的であるため、成長可能性のない事業は当然に投資対象になり得ず、超長期の投資対象も扱い得ないことになります。
・クレディセゾンはセゾン投信を破壊して顧客を裏切るのか(2023.6.8掲載)
クレディセゾンによるセゾン投信からの中野氏の解任について、セゾン投信が顧客本位の徹底、即ち、真の顧客の利益の追求を全うするためには、クレディセゾンはセゾン投信のベストオーナーになりえないことを論じています。
(文責:長澤)
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森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。