生命保険会社には、既契約の集合体という過去の側面と、新契約の創造という未来の側面があって、理論的には、両者は截然と分離され得て、過去分の事業価値と未来分の事業価値とは、別の投資対象に構成され得るわけです。そう考えると、日本の業界の現状として、過去と未来とを比較したとき、どちらが魅力なのか、過去の正の価値を未来の負の価値が食い潰している可能性はないのかなど、興味深い論点が生じてくるのです。
ここで少なくとも確実にいえることは、生命保険事業の場合、そもそも本来的に、事業に付随する不確実性を高い精度で統計的に推計できるのに加えて、過去の既契約については、確定要素が多いのですから、そこに内包される価値は、より高い精度で推計できることです。このことは、過去分を分離して投資対象にしたときは、内包されている価値が時間の経過とともに実現していくものとして、利益の予測可能性の高い資産になることを意味します。
しかし、生命保険事業では、過去分と将来分とが合算されることで、事業の不確実性が制御されているのではありませんか。
企業の経営構造改革において、最も重要な論点は、おそらくは、事業ポートフォリオの名のもとにおけるリスク分散を再検討することです。なぜなら、リスク分散論は、他事業との相互補完効果を理由として、不採算事業の存続を正当化させる口実に容易に転落し得るからであり、また、様々な事業へのリスク分散は、投資家の次元においてなされるべきことで、被投資対象である企業の次元においては、特定事業への経営資源の集中が原則だと考えられるからです。
生命保険事業に特化した企業の場合、他の事業との間におけるリスク分散はあり得ないとしても、保険商品間のリスク分散は、死亡保障と生存保障との間のリスク相殺が典型であるように、強く意識されているはずです。しかし、同時に、リスク分散の名のもとで、不採算商品の存在も許容されている可能性があり、また、過去の既契約の集合を保有することと、新契約を創造することとは、必ずしも同一の事業といえない面があります。
不動産の保有と開発とが異なる事業であるのと同じですか。
不動産開発業者は、多くの場合、開発済みの物件を保有し続けて、賃貸に供しています。しかし、不動産賃貸業は不動産開発業とは全く異なる事業ですから、こうした事態は、典型的なリスク分散の名のもとにおける事業の多角化です。そして、もう一つの見逃せない重要な論点は、資金調達の都合です。つまり、新規開発のための資金は、開発済みの収益物件を担保に供することで、調達されているわけです。
しかしながら、現在では、リート(REIT)と呼ばれる不動産投資信託などを通じて、投資家が収益物件を保有するのは普通のことになっています。故に、不動産開発業者は、開発の終了した物件をリート等に売却することで容易に資金調達できて、不動産を保有し続けなくとも、資金調達に困ることはないばかりか、不動産保有を最小化して開発に特化することで、資本の運用効率を高めることもできるわけです。
投資家の立場からいえば、不動産保有と不動産開発とは、不確実性の程度において大きく異なるので、別の投資対象だということですか。
極めて重要な論点は、不確実性の程度に応じて、最適な資金調達の方法が異なることと、投資家は常に投資資金の高い運用効率を求めることです。不動産保有は、不確実性が小さいので、負債調達を大きくできますが、不動産開発は、不確実性が大きいので、株式による資金調達が中心になります。そこで、投資家は、不動産保有においては、負債による投資効率の改善を求め、不動産開発業者への株式投資においては、資産を圧縮することによる投資効率の改善を求めることになります。
全く同じことを資金調達する側の立場からいえば、大きな不確実性のある不動産開発を行うためには、株式の発行によって資金調達しなければならず、その発行を有利にするためには、開発済みの物件を売却して、資産を圧縮し、資本効率を高める必要があるということであり、物件売却による資金調達を有利にするためには、投資家にとって魅力のある優良物件、即ち、安定的で相対的に高い水準の賃料収入の見込める物件を開発しなければならないということです。
まさに好循環ですね。
不動産開発業の本質は、不確実性の大きな開発に資本投下して、不確実性の小さな優良な収益物件を創造することです。これを一般化していえば、企業経営の本質は、不確実性の高い領域に大胆に資本を投下し、それによって価値を創造することになります。片仮名でいえば、大胆なリスクテイク(risk take)による価値創造こそ、企業経営の本質なのです。
この本質から派生して、大胆なリスクテイクを可能とするための技術等の経営資源の集中、および事業に投下するための資金調達の高度化という経営課題が生じるわけです。資金調達の高度化の基本的手法は、不動産開発業が開発済みの物件を売却して資金調達するように、リスクテイクによって創造された価値を投資対象の資産として売却することです。
創造された価値について、より高く売却することは、より有利な資金調達となって、より大きく次の価値創造へ投資できることを意味しますから、ここには、より大きな価値創造と、より有利な資金調達との間の好循環があります。そして、この好循環の実現こそ、企業の成長戦略なのです。
売却を可能にするためには、売却対象の資産の不確実性を低下させる必要があるわけですね。
価値創造と価値売却の好循環は、表現を変えれば、リスクテイクとディリスク(de-risk)の好循環となります。ディリスクとは、経営技術によって事業のリスクを低下させることで、リスクテイクとは、要は、大きな不確実性に投資して、ディリスクすることにより、不確実性の小さな投資価値を創造することです。そして、ディリスクされた資産は、高く売却され得るために、有利な資金調達が可能となるわけです。こうして、企業経営の本質は、リスクテイクとディリスクの好循環に帰着するのです。
表現を変えれば、オリジネーション(origination)とディストリビューション(distribution)が企業経営の本質だということですか。
オリジネーションとディストリビューションは、金融界で使われる用語で、典型的には、オリジネーションはローン債権の創造であり、ディストリビューションはローン債権の集合を資産担保証券等の形態で売却して資金調達することです。ここで、ディストリビューションが可能なのは、個々のローン債権のリスクは、集合によるリスク分散で、ディリスクされているからです。
オリジネーションとディストリビューションは、オリジネーションをリスクテイクによる価値創造、ディストリビューションをディリスクによる価値売却と解すれば、一般化して、広く企業経営に適用され得ます。ここで創造されるものは、生命保険契約でも、不動産の収益物件でも、事業そのものでも、投資対象に構成され得る限り、何でもいいわけです。
同じことは、アセットライト(asset light)戦略とも呼べますね。
企業経営において、アセットライトとは、貸借対照表の最小化のことです。ディストリビューションによる資金調達を徹底すれば、必然的に、アセットライトな状況が生じます。更には、アセットライト戦略では、リスクテイクに欠くことのできない資産についても、リース等の利用により、保有の最小化が図られます。いうまでもなく、アセットライト戦略の本質は、保有資産の圧縮による資本効率の改善にあるのです。
ベストオーナー(best owner)論とも関係がありますか。
事業の成長の軌跡は、基本的に、階段状になっていますが、一つの企業の経営能力には限界があるのですから、成長の各段階に応じて、ベストオーナー、即ち、最適な事業の担い手があるはずです。ならば、企業は、ある踊り場においてベストオーナーとして価値創造すれば、一つ上の踊り場では価値売却することになります。事業は、こうしてベストオーナーへ連続的に譲渡されることによって、成長していくわけです。
・成長とはベストオーナーのもとに事業が集積されていくことだ(2023.6.29掲載)
本コラムでは事業の成長のためのベストオーナーのあるべき姿について考察します。
・金融なぞ所詮は虚業なのだから(2017.11.2掲載)
企業の経営効率化における金融の役割と、アセットライトを活用した経営の可能性について論じています。
・事業の連続的な譲受こそ企業経営の本質だ(2024.5.16掲載)
創業時から事業承継時までの事業の各成長段階に応じたベストオーナー論について考察しています。
(文責:広瀬)
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森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。