どのような事業にも、程度の差こそあれ、損失の発生する可能性があり、損失発生の可能性があるからこそ、逆に、利益が発生する可能性もあるわけです。こうした損失や利益が発生する可能性は、不確実性と呼ばれますが、要は、事業の本質は、不確実性のもとで、利益を得る機会に賭けることなのです。
企業は、事業を行う主体として設立されるもので、一面では、事業活動に必要な資産を保有し、それを稼働させて、現金を創造する装置であり、他面では、事業資産の保有と稼働のために、資金を調達する容器であり、両面が結合して、装置で創造され、容器に貯められた現金が資金提供者に分配されていく仕組みとして機能します。
資金調達の方法には、大きく二つに分けて、負債と資本があります。負債には、定期的な金利の支払と期日における元本の弁済があるのに対して、資本には、金利も弁済期日もなく、故に、資本は、損失を一時的に吸収できるので、不確実性下で事業を営む企業にとって、事業の安定継続のために不可欠になっているのです。そして、事業が安定的に継続するからこそ、一時的な損失は長期的に利益に転じるわけです。
資本は、事前の契約上の金利支払い義務を負わないとはいえ、損失の発生という危険に対する保険なので、理論的には、保険料に該当する対価、即ち、資本コスト(cost of capital)を要求するのであって、企業には、資本の提供者に対して、事後的に資本コストに見合う利益を還元する努力義務があるわけです。
資本コストは企業によって異なるのでしょうか。
事業の特性に応じて、不確実性の程度は大きく異なりますが、どの企業にとっても、資本コストは同一であって、企業は、資本構成(capital structure)、即ち、調達資金の総額における負債と資本の構成比によって、不確実性の程度の差に対応しているのです。当然に、事業の不確実性が大きいほど、資本構成における資本の比率が高くなるわけです。
企業の資金調達コストは、資本構成の加重をかけた負債コストと資本コストとの平均になり、その値は加重平均資本コスト(weighted average cost of capital、WACC)と呼ばれますが、どの企業にとっても、資本コストは同じですが、企業ごとに、資本構成が異なるために、加重平均資本コストは違ってくるのです。
資本コストと自己資本利益率とは、どのような関係にあるのでしょうか。
資本構成という用語における資本は、広義に調達資金の全体を指しており、その一部が狭義の資本になるわけですが、古くより、この狭義の資本を自己資本と呼び、負債を他人資本と呼ぶ習慣があります。資本の提供者は、負債の提供者と同じく、企業にとっての他人として、企業の外部にあるのですから、自己資本という用語は著しく不適切なのですが、既に強固に定着していて、残念ながら変えようがありません。
企業は、事業活動を通じて、現金を創造しますが、1年間に創造された現金のうち、配当原資、もしくは内部留保の形態で、資本に帰属するものを利益と呼び、その利益を資本額で除したものが自己資本利益率(return on equity、ROE)です。故に、自己資本利益率とは、資本コストに対応する実績値になるわけです。
資本コストは、一種の目標として、どの企業にとっても同一ですが、自己資本利益率は、目標に対する実績値として、企業ごとに大きく異なり、理論的には、資本コストという平均値を中心にして、非常に広い範囲に分布するわけです。当然に、自己資本利益率の高い企業ほど、事業経営に優れていることになります。
では、投資家は、自己資本利益率の高い企業の株式に投資すべきでしょうか。
株式市場が十分に効率的であるとしたら、即ち、株式の発行体企業と投資家との間に情報の対称性があり、情報が短期間に市場に伝わり、不特定多数の投資家は、独自に情報を解釈して、固有の判断を形成し、取引費用の小さい条件のもとで、活発に取引しているとしたら、株価は投資家の平均的期待を反映して形成されるはずです。
自己資本利益率の高い企業の株式については、株価の上昇期待のもとで、投資家の資金が流入して、実際に株価は上昇し、しかも、多くの場合、株価の上昇が株価上昇期待を一段と高めて、株価は更に上昇すると考えられます。つまり、株価の上昇期待は、先行的に株価に織り込まれて、株価の上昇として実現してしまっているのです。同様に、自己資本利益率の低い企業についても、その低さは株価に既に織り込まれています。
自己資本利益率の高い企業は、株価が既に高いので、必ずしも魅力的ではないということですか。
株式に限らず、全ての投資対象について、投資収益率を規定するのは、取得価格です。株式の場合は、株価に投資家の期待が織り込まれていて、自己資本利益率の高い企業の株価は既に高く、自己資本利益率の低い企業の株価は既に安いので、優れたものを高く買おうが、見劣りのするものを安く買おうが、投資収益率の期待値に、本質的な差はないはずです。
株式市場に限らず、市場の基本原理においては、商品の活発な取引によって形成される価格は、取引参加者が評価する商品価値の平均値として、商品の価値を適正に反映したものなので、どの商品についても、価格水準に関係なく、常に価格に応じた公正価値を内包しているわけです。もっとも、より厳密にいえば、市場で形成される価格をもって、公正価値とみなすのが市場原理だということです。
自己資本利益率における資本は簿価ですが、これを資本の時価としての株価に置換すればいいのでしょうか。
利益を株価で除した値は、株式益利回り、あるいは単に益利回り(earnings yield)と呼ばれます。自己資本利益率においては、資本は簿価であるのに対して、益利回りにおいては、資本は時価としての株価になっているわけですから、投資収益率の期待値を形成するには、益利回りを用いるのが合理的なのです。
しかし、一般的に確立している用語法の習慣においては、益利回りに替えて、その逆数である株価収益率(price earnings ratio、PER)、即ち、株価を利益で除した値が使われています。つまり、益利回りが高いという意味で、株価収益率が低いといわれるのであって、当然のことながら、常識的な理解として、株価収益率の低い銘柄は、魅力的だと考えられているわけです。
益利回りと純資産倍率とは、どのような関係にあるのでしょうか。
純資産倍率(price to book-value ratio、PBR)とは、資本について、その時価、即ち株価を簿価で除した値であって、英語では、その通りに表現されていますが、日本語では、用語法の特殊な習慣が確立していて、純資産倍率と呼ばれるのです。当然のことながら、総資産から負債を控除すれば、純資産になり、総資産は負債と資本の合計に一致しているのですから、純資産が資本の簿価になるわけです。
さて、一般に、自己資本利益率の高い銘柄は、株価が高く、純資産倍率も高くなります。そこで、例えば、自己資本利益率が10%の銘柄は、一見して魅力的でも、純資産倍率が2倍であれば、自己資本利益率5%、純資産倍率1倍の銘柄と比較したとき、両者の益利回りは5%で同一となり、投資収益率の期待値は、静態的には、同一になってしまうのです。
静態的には同一でも、動態的には大きな差異が生じるわけですか。
株式市場が十分に効率的であれば、概ね、株価は投資家の平均的期待値としての公正価値に一致しているので、どの銘柄に投資しても、静態的には、投資収益率の期待値に本質的な差はないのです。しかし、市場は、様々な外部要因の影響のもとで、常に静態的な均衡を破るように変動していくので、動態的には、銘柄ごとに、投資収益率の実績値は大きく異なるわけです。
株式投資において、市場の動態を予測することは不可能なのであって、投資技法として可能なのは、様々な動態変動の仮定のもとで、投資目的との関係で、最適な銘柄の組み合わせを作ることだけです。例えば、投資判断の基本の一つは、純資産倍率の低い銘柄は、株価変動において、下方硬直性が高いのでないかという仮説の検証なのです。
・最適資本構成において何が何に対して最適となるのか(2024.7.11掲載)
事業の特性に見合った最適資本構成の考え方について解説しています。
・投資は四つの簡単な算数なのだから(2022.5.19掲載)
投資とは何か、投資対象の資産に内包している価値を享受することなど、4つに絞って解説しています。
・株式投資におけるバリュー、カタリスト、バリュートラップ(2022.6.16掲載)
当コラムではバリュー投資の条件について論じています。
(文責:広瀬)
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森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。