働く人が自分自身の人的資本を企業の内と外に形成するとき

働く人が自分自身の人的資本を企業の内と外に形成するとき

森本紀行
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企業の人的資本は、働く人自身の人的資本になるとき、革新と新たなものの創造を生み、企業と働く人の双方に大きな利益をもたらすのです。
 
 企業が働く人に支払う報酬には、多くの場合、将来の貢献の期待への対価を含んでいます。この貢献期待への対価、および様々な人材育成費等の支出は、人材という資産に対する投資なのであって、仮想的な企業の貸借対照表において、資産としての人材の反対勘定に、人的資本が発生するわけです。
 企業の人材への投資は、働く人にとっては、企業からの出資の受け入れになりますから、働く人の仮想的な貸借対照表において、自己資本が形成されますが、その反対勘定は、正しく、自分の人材としての価値にほかなりません。
 
人材の価値とは、何でしょうか。
 
 一般に、資産とは、現金を創造する装置や仕組み等ですが、資産を稼働させて現金を創造するためには、諸費用等を要しますから、資産の価値とは、資産が将来において創造するネット現金、即ち、資産が創造する総現金から、諸費用等を控除した純現金の現在価値になります。人材にも、それが資産であるのなら、同様の原理が適用され得るはずで、人材の価値とは、人材が将来において創造するネット現金、即ち、人材の貢献から、総人件費等を控除した現金の現在価値になります。
 
人材の価値が人的資本なのでしょうか。
 
 実体としての企業の貸借対照表は、企業と働く人の仮想的な貸借対照表を連結したものですが、連結によって、企業の人的資本は、働く人の人材価値によって相殺されて、消去されるのですから、働く人の人材価値に等しいことになります。資産としての人材は、将来のネット現金を内包したものなので、時間の経過とともに、それを順次に現在化していきます。この実現するネット現金こそ、人的資本が創造する資本利潤にほかなりません。
 
なぜ、人材からネット現金が創造されるのでしょうか。
 
 報酬等の全ての人材関連費用について、その全額が人材の貢献実績に対する正当で公正な対価ならば、人材からネット現金は創造されませんし、それとは別に、将来貢献への期待として、人材への投資があるのですが、期待通りの貢献が得られても、やはり、ネット現金は創造されません。ネット現金が創造されるのは、期待を上回る貢献があるからです。
 
なぜ、働く人は、企業からの期待を超えようとするのでしょうか。
 
 人は、他人からの期待を超え、自分の定めた目標を超えるために働く、それが人間の本性であり、働くことの本質だといってしまえば簡単ですが、それでは人的資本の理論になりません。働く人が企業からの期待を超えようとするのは、それが自分自身の利益になるからです。あるいは、より正確にいえば、企業経営の要諦は、期待を超えた働きをした人に、正当な利益を還元するように、処遇制度を設計することにあるわけです。
 企業の立場からみたとき、人的資本は、働く人を期待によって動機付ける仕組みなのですが、期待するだけでは、働く人を動機付けることはできません。また、仮に動機付けることができても、期待通りの貢献しか得られないのでは、人的資本は機能しません。人的資本が人材への投資として有効に機能するためには、その資本利潤、即ち、期待を超えた貢献を働く人に還元する必要があるのです。
 
人的資本は、企業と働く人とで、共有されているわけですか。
 
 人的資本に生じる資本利潤は、働く人と企業との間で分けられるのですから、人的資本は、働く人と企業との間で共有されていて、両者間に共通価値を創造させる原理として機能するのです。つまり、企業を主語にして、働かせ方というのではなく、働く人を主語にして、働き方という点が重要なのであって、ここには、働く人が先にあって、その集合的な人材価値が人的資本になることで、企業が作られているとの根本的な発想の転換があるのです。
 
しかし、人的資本は企業からの期待であって、期待の主語は企業ではないでしょうか。
 
 人的資本は、企業の働く人への期待として形成され、期待するのは企業なのですから、資本の所有者は企業であって、資本利潤が働く人に分配される限りにおいて、働く人との間に共有性を生じるにすぎません。そこで、改めて、こうした人的資本を企業の人的資本と再定義します。こう定義するからには、新たに働く人の自分自身の人的資本が定義されるということです。
 そもそも、企業の人的資本への投資は、将来の貢献を期待して、働く人に報酬等を先払いすることですから、働く人の立場からすれば、前受けの報酬等として、負債性があるのであって、期待以上の貢献をすることには、負債の弁済という意味があります。そこで、働く人は、負債を完済した後には、自分自身の立場から、企業への将来貢献について、自分自身の人的資本に投資していけるわけです。
 
しかし、企業は働く人への将来貢献に期待し続けるのではありませんか。
 
 企業としては、期待以上の貢献をした人について、更なる貢献を期待するのは自然ですから、働く人からすれば、負債は、弁済しても減りませんし、こうして、企業の人的資本が維持され、増加していくことは、期待によって働く人を動機付けるという人事政策が有効に機能していることを示すものになります。また、働く人にとっても、企業からの明確な期待のもとで、他律的に働くことには、働きやすさがあるわけです。
 しかし、企業は、働く人のもつ豊かな可能性のうち、企業の立場から着目した側面についてのみ、期待を形成するので、他の側面は隠されてしまいます。つまり、本来は多様であるはずの人材の潜在能力は、一様性のもとに覆われてしまうのです。ところが、企業の変革の芽は人材の多様性のなかにしかないわけで、故に、人材の多様性を解放するために、働く人の人的資本が必要になるのです。
 
どのようにして、働く人の人的資本が形成されるのでしょうか。
 
 働く人の人的資本が形成されるためには、働く人は、自律的に、自分のなすべきこと、および自分の報酬等を決めなくてはならず、企業は、そうした働く人の自律的な行動を許容しなくてはなりません。こうして、企業からの期待がなくなれば、企業の人的資本は新たに形成されることはなくなり、働く人は、期待という負債を完済した後に、自分自身に投資することで、自分自身の人的資本を形成するわけです。
 
自分自身に投資するとは、どういうことでしょうか。
 
 働く人は、余裕をもって、報酬に見合う貢献を達成できるように、自分の報酬を決めることで、自分が自由に自律的に働ける時間を創出し、いわば無償の働きによって、自分の人材価値を高めることができます。この自由で自律的な働きこそ、それが無償なるが故に、自分自身への投資になるのです。こうして、人材価値が増加すれば、働く人の仮想の貸借対照表の反対勘定に、働く人自身の人的資本が発生するわけです。
 自由で自律的な働きは、企業のなかに革新を生み、新たな価値を創造するとき、企業に利益をもたらし、その一部は、当然に、働く人に還元されます。こうして、働く人の人的資本も、働く人と企業との間に共有性をもつわけであって、両者間に共通価値を創造させる原理なのです。
 
働く人の自由な活動は、いかにして企業の戦略と整合的になるのでしょうか。
 
 働く人を統制することからは、新しいものは創造されず、かといって、統制なくしては、統一体としての企業は存立し得ませんから、企業経営は、この矛盾を解くことに帰着するわけですが、その要諦は、規則によらない統制になるほかありません。いわば、見えない規則による統制であって、風土、文化、伝統、社風、社会的存在意義、社会的使命などと呼ばれるものなのです。
 
働く人は、自分自身に投資するのなら、企業の外に価値を創造してもいいのではありませんか。
 
 企業としては、働く人が報酬に見合う貢献をしている限り、働く人に企業の外での活動の自由を認めてもよく、実際に自由を認めれば、働く人は、自分の自由時間を拡大させるために、より速く、より多くの貢献をするように努力しますから、常に、報酬よりも大きな貢献が得られるわけです。つまり、自由に働ける環境は、働く人の人的資本を企業の外に形成するだけではなく、企業の人的資本を企業の内に形成するのです。
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(文責:翁)

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森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。