企業が働く人に仕える老獪な執事となるとき

企業が働く人に仕える老獪な執事となるとき

森本紀行
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<毎週木曜日 11:30更新>

人的資本経営のもとで、企業は、働く人が主体となって働けるように、環境を提供するものになります。企業は働く人に仕える執事となり、そうすることで利益を得るのです。
 
 企業は働く人に報酬等を支払いますが、報酬等は、社会的に公正なものである限りは、働き、即ち、働く人の企業に対する貢献の対価であって、金銭価値としての報酬等の支払いは、貢献の経済的価値との等価交換になるはずです。しかし、理論的には等価交換になるはずでも、現実には、そうならない場合も多いわけです。
 
企業は、働く人に対して、優越的な地位にあるからですか。
 
 働かせる側の企業は、当然に、働く人に優越する地位にあるので、雇用関連の諸規制により、働く人の立場が保護されているわけです。しかし、規制は最低限のことを定めるだけですから、雇用関係の全てが公正であるとは限らず、また、雇用関係に属さない業務委託においては、なおさら、契約の公正性に疑義が生じやすくなります。
 ここで、重要な論点は、雇用に関連した取引に限らず、全ての商取引において、公正性こそ、持続可能性の保証であり、経済全体が公正な取引によって構成されているからこそ、経済は持続的に成長できるということです。なお、持続可能性といえば、環境問題になるのは、自然環境が地球上の全ての生物に帰属するのに、それが特定の企業の利益のために利用されることは不公正であって、不公正なものに基づく経済成長には持続可能性がないからです。
 特に、日本のように高度に成熟した経済においては、経済成長の持続可能性は極めて重要な意味をもっており、故に、環境問題に限らず、広く持続可能性を意識した施策が展開されているわけです。とりわけ、働き方改革や、いわゆるフリーランス、即ち、業務委託のもとで働く特定受託事業者の契約関係の適正化などの施策は、働く人の処遇の公正化によって、経済の持続的成長を目指すものとして、重要なのです。
 
人的資本というのは、働く人の処遇の公正化の方向にあるのでしょうか。
 
 働く人のために企業が支出する報酬等は、貢献を正当に評価した結果として、公正なものであるのならば、人件費として、損益計算書上で働く人の貢献が創造した付加価値と相殺されて、費消されます。しかし、実際に人件費として計上されているものは、人材採用費、人材育成費、働く人の視点に立った働く環境の整備費、将来貢献を期待して先行的に支払われている報酬等を含んでおり、働く人の実際の貢献を超過しています。
 この超過分は、会計的には、損益計算書上で費用として処理されて消えるものですが、理論的には、前払い費用としての資産性があるわけであって、この意味において、人材は、貸借対照表上の資産であるといわれるのです。人的資本とは、人材という資産を貸借対照表の反対勘定の用語で呼び替えたものです。
 こうした定義からすれば、人的資本は、あるいは人材という資産は、実は、人材そのものではなく、外部から人材を引き寄せ、引き寄せた人材を引き留め、引き留めた人材を幸福にして、その潜在能力を最大限に発現させるための仕組みの全体なのであって、これを敢えて総括するとしたら、働く人を人間的成長へ、あるいは人間としての自律と円満充足へ導く環境になります。処遇の公正性は、当然に、この働く環境の重要な構成要素なのです。
 
環境は、風土、あるいは文化などと呼び変えてもいいのでしょうか。
 
 人的資本は、多様な構成要素が不可分に結合することで、持続的な効果を発揮しているからこそ、そこに理論的な資産性が認められるのですが、その構成要素は、個別具体的に金銭価値として評価され得ないので、会計的に認識されないのです。こうした抽象性、無実体性、無形性からすれば、人的資本は、環境とはいっても、物理的空間ではなくて、精神的空間なのであって、いわば目に見えない空気のようなものとして、風土であり、文化だといえます。あるいは、もっと軽くいえば、雰囲気です。
 人的資本の発揮する効果は、企業の外部で働く人に対して、働く場としての魅力を発散させて、人材を引き付けることであり、企業の内部で働く人に対しては、働くことの満足感を与えて、自己の成長、あるいは充足へと動機付けて、生産性を向上させることであり、更に、知的な刺激を与えて、新規創造の芽を誘発させ、自由裁量を与えて、創造の芽を革新へと具体化させることです。こうした効果は、個別具体的な施策の効果ではなく、組織風土、あるいは企業文化のなかから、自然と醸成されてくるものなのです。
 
人的資本が必要なのは、人材が稀少な資産だからでしょうか。
 
 働く人と、働く機会との関係において、働く機会が相対的に稀少であれば、働く機会を提供する企業の側に、働く人に対する優越的な地位が発生します。伝統的な雇用関係規制は、基本的には、こうした企業の優越的地位を前提として、働く人の保護を目的としたものです。
 しかし、今や、関係は逆転して、働く機会に対して、働く人が相対的に稀少になっていて、故に、政府においては、働き方改革というように、働く人を主語とした施策が展開され、企業においては、人的資本に基づく経営戦略への転換が進んでいるわけです。
 
人材が稀少だからこそ、働く人の個々の働きの効率的活用が課題になるわけですか。
 
 人は多様な側面に能力をもつのであって、一つの企業において、その全てが十全に活用されるはずはありませんから、必ず無駄があるわけです。働き方改革において、働く人に副業や兼業を認めることが重要な役割を担っているのは、社会全体として、異なる働く場を提供することで、働く人の多様な能力を最大限に活用するためです。
 この場合、人的資本とは、副業や兼業が認められている自由な働く環境のことなのであって、それが真に人的資本となるためには、特定の人に認められる特別な制度ではなく、誰にでも利用され得る普通のものになる必要があります。そして、極端な例として、企業のなかに働く人の全てが副業や兼業をしていても、企業としての一体性がなければならないわけで、その一体性を自然に醸成するものこそ、文化としての、あるいは見えない規律としての人的資本なのです。
 
人的資本は、企業のものではなく、働く人のものではないでしょうか。
 
 企業が働く人に働く環境を与えたのなら、働く環境は働く人のものだといえますが、そうすることが企業の経営戦略として意味をもつためには、企業に利益がなければなりません。例えば、企業として、働く人に企業の外での行動の自由を広く認め、自由を手に入れた働く人は、そこに価値を見出すのであれば、その価値を控除して報酬が決められたとしても、その公正性は保たれるわけですから、企業に利益が生じるということです。
 つまり、働く環境としての人的資本は、企業と働く人の双方に価値を創造するものであり、逆に、両者の共通価値の創造に貢献するものが人的資本だといってよく、そういう意味では、人的資本は、企業のものでも、働く人のものでもなく、両者の共有に属しているわけです。
 例えば、企業の知名度や社会的信用は、働く人が社会的に活動することを容易にするものとして、また、会計的な資産性がないものとして、典型的に人的資本なのであって、この人的資本を使って働く人が創造した付加価値は、一部が企業の利益となり、残りが働く人の報酬となって、共有されるわけです。また、信用という人的資本を守ることは、企業と働く人の双方の利益になるのであって、故に、企業の倫理規範として機能する点が重要なのです。
 
そもそも、企業の知名度や社会的信用は、働く人が作ったのではありませんか。
 
 働き方改革、および人的資本に基づく企業経営の根底には、根本的な発想の転換、あるいは原点への回帰があります。つまり、企業が先にあって、そこに働く人が属しているという発想から、働く人が先にあって、その集合が企業を構成するという起源への回帰です。企業の社会的信用は、起源において、働く人の作りあげた社会的信用なのです。
 つまり、企業は、自分が主体となって、客体としての人を働かせるものから、働く人が主体となって働けるように、環境を提供するものへと変貌していくわけです。企業は働く人に仕える執事となり、老獪な執事は、そうすることで利益を得るのです。
 ≪ 関連する論考をご紹介いたします ≫
働く人が自分自身の人的資本を企業の内と外に形成するとき(2025.1.23掲載)
1週間前に掲載されたコラムです。今回のコラムと話がつながっており、併せて読むことで内容をより理解いただけると思います。

You Can Do Anythingという企業文化(2013.8.8掲載)
You Can Do Anythingは森本がワイアット社に入社した際に言われた言葉で、当時のワイアットの企業文化だったそうです。働く人が主体となり、企業は働く人に環境を提供することで利益を享受するということは、You Can Do Anythingの考え方に通じるところがあるのではないでしょうか。

You Can Do Anythingという責任と規律(2013.8.15掲載)
上記「You Can Do Anythingという企業文化」の続編コラムです。本コラムでは、自由の反面としての責任と規律の側面から個人の自律的行動原理について述べています。
(文責:酒見)

次回更新は、2月6日(木)になります。
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森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。