究極の人的資本は働く人の所有と参画の意識だ

究極の人的資本は働く人の所有と参画の意識だ

森本紀行
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<毎週木曜日 11:30更新>

人的資本は、広い意味で、働く人の環境ですが、人的資本が機能するためには、働く人が自分の働く環境を自分で所有しているという参画意識が必要なのです。
 
 人的資本といわれますが、資本という貸借対照表の用語を借りて表現されているのは、実際には、その反対勘定である人的資産です。敢えて人的資本という用語が使われるのは、人的資産といえば、人材そのものを指しかねないからです。そもそも、企業は、人の働きを公正な対価のもとで入手できても、働く人自体を所有できないのですから、人材そのものは企業の資産になり得ないのです。
 企業は、働く人を所有していなくとも、人が働く環境を所有しているわけで、人的資本とは、広い意味での働く環境に関わる資産です。ただし、人的資本が敢えて特別なものとして語られるのは、会計的には資産として認識されていないからであって、そこには設備や什器備品等の会計上の資産は含まれないのです。人的資本は、いわば、無形の精神的な空間として、空気のように見えない風土や文化として、働く人の行動に影響を与えるものです。
 
人的資本は、企業の利益になる方向に、働く人の行動に影響を与えるのでしょうか。
 
 人は自分の利益のために働くわけですが、それが同時に企業の利益になるように、組織規程、意思決定手続き、権限規定、処遇、勤務形態、人事異動、登用、教育育成、研修等の働き方を規定する諸制度が設計されていなくてはなりません。こうして緊密に連携して機能する諸制度は、会計上の資産にはならないものの、働きの生産性を高めて、企業利益の創造に関して持続的効果を有するのですから、理論的な資産性をもつと認められるのであって、故に、人的資本になるわけです。そして、制度は、まさしく、目に見えない働く空間なのです。
 ただし、制度の運用を活き活きとしたものにするには、日常的な対話や会話を通じて、制度の主旨が働く人に理解され、風土や雰囲気の醸成によって、働く人を制度の主旨にそった行動へ動機付けることが必要です。制度は、目に見えなくとも、文書として記述され得て、概要が図表化され得るわけですが、制度の柔軟で自然な運用のあり方は、記述され得ないものであって、まさに、文化としての人的資本なのです。
 
人的資本というからには、投資、即ち、資金の投じられることも伴うのでしょうか。
 
 教育研修、自己研鑽の補助等の人材育成に関する費用は、会計上は費用であっても、働くことの生産性の改善に関して、持続的な効果を発揮する限りにおいて、理論的な前払い費用としての資産性をもつのですから、まさしく人的な資産であって、人的資本になるわけです。
 また、企業が働く人に支払う報酬は、原理的には、過去の貢献、即ち、事実としての貢献実績を公正に評価したものですが、それだけではなくて、将来の貢献を期待して、先行的に支払われる要素を含むことがあります。あるいは、むしろ、学業を終えたばかりの新人に支払われる初任給が典型であるように、報酬に期待要素の含まれることは普通なのです。こうした期待への報酬は、働く人が企業からの期待に応えることで、実際の貢献が引き出される限り、理論的な前払い費用としての資産性があるのであって、人的資本になります。
 
そのほかに、どのような人的資本があるでしょうか。
 
 これまでのところを整理すれば、人的資本は、第一に、働く人の行動を規定する諸制度であり、第二に、それらの諸制度を活きたものとして機能させる文化であり、第三に、人材関連費用の特殊な形態であって、前払い費用としての持続的な効果を発揮するものです。そして、新たに付け加えれば、第四に、企業の知名度や顧客基盤などの社会的地位、および、その地位を強化することに要する資産性のある費用です。
 例えば、企業の知名度や、提供するものの品質に関する確立した社会的評価は、目に見えない無形のものであり、会計的に資産として認識されないものながら、働く人の対外的な活動を容易にして、その働き易さが持続的な貢献量の増大につながる限り、まさしく人的資本になります。また、同様に、企業のもつ顧客基盤も、事実として実在するものであっても、会計的には資産にはなりませんが、働く人の活動の効率化に関して持続的効果をもつものとして、人的資本なのです。
 
人的資本としての企業の社会的評価は、働く人を企業に引き寄せるものとして、重要なのですね。
 
 制度としての人的資本は、企業の内部の人には体感知として把握され得ますが、企業の外部の人にとっては、いかなる意味においても知り得ないものです。故に、働く人を引き寄せようとする企業にとっては、外部の人に訴えかけるものとして、企業の屋号に関わる社会的評価、即ち、名声、評判、印象などが大きな意味をもつのです。
 ここで重要なのは、いかに広報活動や営業活動を工夫しようとも、実態と乖離したところには、外貌を形成し得ないことであって、外貌を意識することは、実態の改革を促すところに、本質的な意義があるのです。こうして、広報と営業の活動や人材採用に要する費用などの社会的地位を強化する費用は、働く人を引き寄せることについて、その効果が持続的に継続する限り、人的資本になるわけです。
 
人的資本を人的資本として機能させるものは何でしょうか。
 
 働き方を規定する諸制度は、それ自体としては人的資本なのではなくて、働く人からの評価によって、人的資本になるのです。あるいは、より正確にいえば、働く人から評価されて、働き方に影響を与えて、働くことの生産性を高める効果をもつ制度だけが人的資本なのです。
 例えば、処遇制度は、貢献の公正な評価に基づいて処遇が決定されていて、働く人が公正に評価されていると実感するときに、人的資本として機能するわけです。また、勤務形態に関する制度において、勤務地、勤務時間、在宅等の働き方、兼業や副業の承認など、働く人の利便性の視点で、働き方の自由を広く認めるとき、それを働く人が評価して、自分の利益のために制度を活用することで、結果的に働きの生産性が高くなるとき、制度は人的資本になるのです。
 また、企業の名声や信用は、働く人が自分の利益のために高い成果をあげようとして、それを活用するように行動するとき、それが同時に企業の利益にもなって、人的資本になるのです。逆に、働く人が名声や信用の上に安住して安易に行動し、あるいは、極端な場合、名声や信用を悪用するようでは、人的資本にならないわけです。
 
人的資本を機能させる根源的な人的資本として、文化があるのでしょうか。
 
 人的資本には階層があって、目に見えない空気のような文化は、他の人的資本、即ち、働く人の行動を規定する諸制度、諸制度に関連した資本性のある人件費、名声や信用等の企業の社会的評価を人的資本にする能力として、人的資本の上位にあるのです。
 文化は、働く人を律する行動規範ですが、記述され得ないからこそ、文化であり、風土であり、自然な習慣なのです。行動規範は、文書化し、規則化できます。しかし、表層的な規範遵守は、多くの場合、規範の主旨に反することになりがちであって、規則の主旨を徹底させるような規則はあり得ないのです。故に、働く人を見えない力で自然に律するものとして、文化という人的資本が決定的に重要なのです。
 
では、更に遡って、文化を醸成する力こそ、究極の人的資本ではないでしょうか。
 
 例えば、企業の名声や信用などの社会的評価は、その起源において、働く人が作り、働く人が維持し、磨き上げてきたものです。つまり、働く人は、企業の社会的評価を有利に活用するために、それを高める方向に行動するのであり、それが結果的に企業の利益になるが故に、企業は、更に社会的評価の高まる方向に、働く人を動機付け、働く人を支援するための広報等の活動を展開するわけです。
 こうした好循環の根底にあるのは、働く人が企業の社会的評価を所有している、あるいは、その形成に参画しているという意識です。同様に、人の働き方を規定する諸制度や、それに関連した資産性のある人件費等も、それらを働く人が自分のものと感じているからこそ、人的資本として機能するわけです。第五の、そして究極の人的資本は働く人の参画意識です。
 
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(文責:林)

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森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。