働く人が自分自身を現物出資すると人的資本になる

働く人が自分自身を現物出資すると人的資本になる

森本紀行
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人的資本の背後には、人は幸福に働くときに、最も高い生産性を発揮し、人は自由に働くときに、創造を生み、革新をもたらすとの仮定があるはずです。
 
 企業経営における人的資本は、働く人の活動する環境のことですが、装置や建物等の物理的な環境ではなく、人事処遇等に関する諸制度、雰囲気のような文化や風土、知名度や信用等の社会的評価などの無形のもので構成される目に見えない環境です。ただし、人的資本は、単なる働く環境ではなく、生産性の向上について持続的な効果をもつものだけです。
 さて、人的資本は、生産性の向上に持続的な効果をもつのなら、会計の理論からすれば、資産性を有するものとなり、適切な用語の使い方としては、人的資産と呼ばれるべきです。しかし、人的資本は、仮想的な貸借対照表において、人的資産の反対勘定にあるべきものとして、敢えて特別な意味をこめて、人的資本と呼ばれるのです。
 
無形の働く環境に対応するものとして、何があるべきなのでしょうか。
 
 人的資本は、企業の立場において、働く人に提供する働く環境ですから、それに対応するものは、働く人の立場において、働く環境を利用する態勢、即ち、態度なり、姿勢であって、現在の企業経営の用語でいえば、働く人のエンゲイジメント(engagement)なのです。エンゲイジメントとは、働く人が企業に関係をもつこと、あるいは参画することであり、人的資本とは、エンゲイジメントについて、貸借対照表の用語を借りて、自分自身を現物出資することに喩えた表現になるわけです。
 働く人は、自分自身を現物出資した以上は、出資に応じた利益を得なくてはなりませんが、その利益の額も、利益の形態も、現物出資の様態によって大きく異なるのであって、企業に深く関わるほど利益が大きく、浅く関わるほど利益が小さくなるのは、理の当然です。働き方とは、要は、この現物出資の様態の選択なのです。
 
現物出資の様態とは、どういうことでしょうか。
 
 人は企業のために働くとは限らないわけで、企業の外に自己実現の機会を求める人にとっては、企業は単に生活のための安定収入を得る場所ですから、企業に浅く関与しているのです。こうした人にとって、人的資本とは、自由度の高い働き方を許容する環境であり、企業にとって、人的資本の反対勘定にあるべきエンゲイジメントとは、決まった時間で決まった作業を高い効率で執行する働き方なのです。
 エンゲイジメントには、約束という意味があります。働く人にとって、この型のエンゲイジメントは、自分自身の現物出資としては、安定収入を得るための必要最小限のものであり、企業に対して一定の生産性を約束することにすぎません。つまり、働く人は、約束した仕事に対して、約束された報酬を得るだけであり、こうした人は、企業からすれば、人件費に見合った貢献を期待するものとして、いわば費用人材なのです。
 
人的資本は、企業にとっては、働く人から費用以上の貢献を得る仕組みではありませんか。
 
 企業の立場からすれば、報酬に見合った貢献を得るのは最低限のことにすぎず、報酬以上の貢献を得てこそ、人的資本に意味があるのです。そこで、経営の課題は、エンゲイジメントを高めること、即ち、生産性を高めることになり、その施策展開として、企業は、多様な人が多様な形態と方法で働けるように、働く環境としての人的資本を改善するわけです。
 つまり、エンゲイジメントには双務性があって、企業は働きやすさや、働く楽しさを約束し、働く人は報酬に見合った貢献を約束しているのですが、双方の約束の履行は最低限のことにすぎず、真のエンゲイジメントとは、人的資本としての働く環境を活性化して、よりよく約束を履行しようとする意識を双方において醸成する作用なのです。つまり、働く環境は、それ自体が人的資本ではなく、働く人と企業の双方のエンゲイジメントによって魂を吹き込まれることで、人的資本になるわけです。
 
企業の内での自己実現を目指す人の人的資本は、どのようなものでしょうか。
 
 当然のことながら、費用人材だけでは、企業は成立しないのであって、企業の主たる活動を担うのは、企業のなかで自己実現を目指す人なのです。そこで、企業は、企業のなかで自己実現するように、働く人を促し、動機付けるのであって、人的資本は、その動機付けの体系になるわけです。
 動機付けの体系とは、具体的には、人材の登用、処遇、教育、育成等に関する諸制度であり、とりわけ、大胆な登用と権限委譲、将来の貢献期待に対する報酬、企業の業績に連動した報酬、自己研鑽や研修の機会の提供、職場での対話などが重要になるのです。
 
この人的資本に対応するエンゲイジメントは、どのようなものでしょうか。
 
 この場合、働く人のエンゲイジメントには、二つの様態があり得ます。第一は、働く人が企業に対して能動的な関与を行わず、逆に、受動的に企業からの期待に応えようとすることです。ここでは、企業は、貢献への期待という形で、先に働く人に関与していて、働く人は、それに応えるのですが、働く人のエンゲイジメントは、企業からの期待が大きいほど大きく、それに応じて報酬も高くなるわけです。このような人は、企業からの期待を負債とみなして、負債人材と呼ばれ得るでしょう。
 第二は、全く逆の形態で、働く人が能動的に提案を行うことで、先に企業に関与し、企業は、受動的に提案を受け入れて、働く人に創造の機会を提供して、その活動を支援することです。明らかに、ここにおいてこそ、働く人の企業への現物出資という用語が生きてくるわけで、働く人のエンゲイジメントは非常に大きいのです。このような人は、企業のなかで起業家のように振舞うものとして、資本人材と呼ばれ得るでしょう。
 
働き方は働く人が選択するのでしょうか。
 
 働き方は、企業の立場からする働かせ方ではなく、働く人の立場からする働き方です。つまり、人的資本の根底にある発想は、企業が先にあって、働く人を雇うのではなく、働く人が先にあって、その集合として企業が組織されるというものなのです。しかし、働く前から、自分の働き方を選択できる人は稀であるはずで、現実的には、人は最初に受動的に雇われることから始めて、働く過程のなかで、能動的に働き方を選択していくと考えられます。
 そこで、人的資本は、第一に、働き方の選択を促すものであり、第二に、働く人の自由な選択を許容するものであり、第三に、選択の変更を随時に認めるものでなければなりません。とりわけ、働き方の任意な変更は重要で、そもそも、働き方以前の問題として、人には生き方があるわけですから、人生の航路上において働き方の選択が変わっていくことは自然なのです。
 
人的資本は、自然な生き方を許容することで、働く人を幸福にするものでしょうか。
 
 人的資本の背後には、人は幸福に働くときに、生産性が最も高くなるという仮定があるはずです。企業は、福祉事業として、働く人を幸福にするのではなく、働く人を幸福にすることで、高い生産性を実現しようとしているだけなのです。そして、生産性の向上だけではなく、人を幸福にする企業だからこそ、働く人を引き寄せ、引き付けることができる点も重要なのです。
 
人的資本が変革をもたらす仕組みであることも重要ではありませんか。
 
 変革には必ず現状を否定する要素を含むために、現状に肯定的な経営者のもとでは、変革は生じ得ません。つまり、変革は、経営者によっては、主導され得ないわけであり、また、そもそも、変革の生起には偶然性を伴うのであって、経営者の主導になじみません。そこで、資本人材が大きな意味をもつのです。つまり、多様な資本人材の働きは、それぞれが企業を変革させる可能性を内包していて、ある偶然の契機によって、その一つの可能性が現実化したときに、企業の変革が起きるのです。
 資本人材は稀少であり、また、企業を辞めて自己実現する機会を常に探しています。故に、人的資本においては、資本人材を引き付け、引き寄せて、企業内に埋もれている資本人材を発見して、大胆に創造の機会を与えて、資本人材を引き留めて、引き留め得ずして辞めた資本人材との関係を継続することが重要になるわけです。
 ≪ 関連する論考をご紹介いたします ≫
人的資本と費用人材、負債人材、資本人材(2025.2.13掲載)
働く人の働き方によって、費用人材、負債人材、資本人材の3種類に分類し、人的資本と資産人材について解説しています。

報酬の払方、先か今か後か(2013.9.5掲載)
仕事の価格が明確な場合は「今払い」が可能ですが、多くの企業では成果につながる行動への「先払い」や「後払い」が重要とされます。企業の中核人材(債務人材・資本人材)の報酬設計や成果につながらない行動の改善が企業にとっては課題になります。

人的資本の本質は働く人の行動から企業が学ぶことだ(2025.2.20掲載)
人的資本は、企業主体ではなく、企業と働く人の相互作用が重要だと論じています。
(文責:翁)

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森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。