住宅は使用により、また自然に経年劣化する耐久消費財です。故に、住宅が資産だとはいっても、会計上の資産と同じことで、耐用年数に応じて減価していく、即ち費用化していきます。そして、その費用化される金額が賃料を規定するのですから、住宅を買うことは賃料の一時払いを意味し、そこに住宅を買うことと借りることとの間の理論的な等価性、即ち住宅価格と将来賃料の現在価値との間の等価性があるわけです。
しかし、理論的に等価になるはずだとしても、実際には等価になりません。なぜなら、賃料と住宅価格の等価性には、金融費用、保険料、売買取引費用等の多数の要因が介在するほか、地価変動と住宅資材価格変動に関する不確実性が大きな影響を与えるからです。つまり、等価性は、現時点で将来を見通した期待における等価性にすぎず、現実は期待通りには展開しないのです。
故に、誰しも住宅の購入について悩むわけですか。
住宅を買うべきか、借りるべきか、買うとして、住宅ローンの金利は変動にすべきか、固定にすべきか、誰しも、生活、仕事、家計、家族構成、地価、金利などの様々な要素について、不確実な将来を様々に思い描きながら、意思決定していて、そうした様々に異なる個人の期待を集積した全体において、経済合理的な均衡として、買うことと借りることとの等価性が成立しているのです。つまり、住宅を買うことと借りることの期待費用は、社会全体としては同じでも、各個人においては異なるのです。
持ち家願望は非合理的ではないでしょうか。
消費は常に非合理的であり、住宅も、耐久消費財である限りは、持ち家願望や、住宅に対する趣味、好み、こだわり等の非合理な要素を含み、その価格は、非合理な要素を経済価値に合理的に換算したところで形成されるのですから、住むことの機能性だけを追求した場合に比較したときは、割高になる理屈です。
他方で、賃貸住宅の場合は、広い範囲の顧客を対象とする限りは、一般的に受容され易いように機能性が追求され、無駄を省いて建築費用の抑制が図られるので、賃料は割安になりそうですが、家族構成の変化に合わせて、また勤務地等の生活条件の変動に応じて、住み替えるのが容易ですから、その利便性の対価が賃料に含まれていて、逆に割高になっているようでもあります。
要は、住み方の選択基準について、優先されるべき要因が人によって大きく異なるわけですから、その要因に対して適正な対価が支払われている限り、割高でも割安でもないのですが、現実には、適正な対価は実現しにくいので、割高になったり割安になったりするのです。
どうすれば対価は適正になるのでしょうか。
それは理論的には簡単なことで、住宅の取引市場があって、効率的に機能していればいい、即ち、住宅が常に適正価格で売買され得て、かつ持ち家を適正賃料で即座に賃貸に供することができればいいのです。例えば、転居の必要が生じたときに、持ち家を即座に適正価格で売却できるか、あるいは即座に適正賃料で賃貸に供することができれば、持ち家にもかかわらず、賃貸と同じ利便性が得られるわけです。
市場原理を通じた経済の効率化ですか。
経済は、成長するにつれて限界成長率の低下を招き、必然的に成熟して、低成長が定着します。もっとも、政治的には、低成長という用語は使われずに、持続的成長と呼ばれています。持続的成長を実現するための経済政策は、成長期におけるものとは構造的に全く異なるものでなければならず、それを要言すれば、量から質への転換であって、これは住宅にも当てはまります。
住宅は、昭和の経済成長においては、耐久消費財として大量供給されることで重要な推進力として機能しましたが、その結果、現在では、住み捨てられた膨大な住宅の処理が問題になっているにもかかわらず、住宅の供給と保有の構造に大きな変化はなく、故に、政策的に改革が必要なのですが、方法としては、資産としての住宅が資産価値に応じた適正価格で取引される市場を整備し、その活性化によって市場原理を通じた供給と保有の効率化を図るほかないわけです。
資産価値を維持し、高める工夫も必要ではないでしょうか。
資産としての価値が維持されない限り、住宅の取引市場は活性化しませんから、安い住宅を住み捨てることから、高い住宅を定期的に改修しながら使い続けることに転換しなければなりませんが、そのためには二つのことが必要です。
第一に、住宅ローンについて、住宅購入者の所得による元利金の弁済を前提にした消費者ローンから、住宅の資産価値を弁済原資にしたローンへ改めることで、住宅とローンを一体のものとして取引できるようにし、第二に、住宅価値を維持し高める方向へ所有者の利益誘因を生じさせるために、賃貸に供することを前提とした所有が主流にならなくてはいけないのです。
そして、住宅とローンが一体化し、住宅の所有目的が賃貸に供することになれば、住宅を所有することは金融商品への投資と全く同じ地平に並ぶわけですから、投資対象として、他の選択肢との比較における判断が重要になります。つまり、住むことについては利便性を基準に判断され、住宅を所有することについては投資対象としての魅力度を基準に判断されるべきで、この二つは独立した意思決定になるべきなのです。
例えば、投資信託等で上手に資産運用しながら、利便性の高い賃貸住宅に住むということでしょうか。
住宅購入資金があるからといって、それで住宅を購入すれば、そこに資産が固定します。住宅に投資するよりも有利な投資機会があるときは、そこへ投資して賃貸住宅に住み、投資収益を賃料に回すことで、より安く、より利便性の高い居住生活を実現すべきですし、最終的に住宅を購入するにしても、投資成果が高ければ、より高価な住宅を入手できるのです。
そうした賢い住み方が定着するためには、土地神話からの解放が必要ではないでしょうか。
住宅は土地と建物が一体になったものですが、資産としての価値があるのは居住という効用を創出する建物だけであって、土地は建物を入れる箱として必要なだけで、それ自体としての価値はありません。しかし、経済成長期においては、一般に、物価が上昇し、土地利用の高度化の進展もあって、地価は上昇しますから、そこに価値が創出されたかのような錯覚を生じます。
この錯覚が土地神話ですが、これに住み捨てられて無価値化する建物が結合すると、住宅の価値は土地であるという思い込みが生じてしまうわけで、おそらくは、ここに、昭和において、マイホームの夢が語られ、持ち家願望が強かった理由があるのです。しかし、超成熟期に突入した日本の現実においては、国民意識のあり方として、土地神話からの解放と、建物に住むことの効用に基礎をおいた価値観の徹底が必要なのです。
住宅を所有する満足から、住む喜びと楽しさへの転換ですね。
住宅を所有すれば、不動の住宅に縛られて生活圏を狭くし、多くの人生の可能性を放棄せざるを得なくなり、他の有利な投資機会を逸するわけですから、そこで得られる満足は倒錯した満足です。そもそも、経済の成熟は人間の成熟でもあって、成熟した人生観のもとでは、人生の満足は、物の所有欲によってではなく、出来事を楽しむ精神的な時間の消費によって満たされるのです。
住宅の所有を投資と居住に明確に二分すれば、一方で、利便性を最大限に活かして、人生の諸段階に応じて住む喜びと楽しさを味わうことができ、他方で、投資収益を賃料に充当できるだけでなく、元本の保全を図りながら、その使途について、老後生活のための資産形成、住宅の取得などの自由度を確保できるわけです。
以上
次回更新は、11月12日(木)になります。
2020/09/24掲載「資産を所有して利用する人が資産価値を毀損するのだ」
2020/01/16掲載「お金を貯めて殖やして何が楽しいのだ」
2017/04/27掲載「住宅ローンを不要にする住み方改革のすすめ」
森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。