商業ビルは、完成して賃貸に供されたとき、賃料を生み始めると同時に、劣化を開始します。仮に、耐用年数を50年として均等に減価償却させ、その間の賃料収入と管理費用の変動がなく、修繕費等の追加的資本支出を無視し、50年後の除却費用が底地の売却代金で概ね相殺されるとすれば、毎年の賃料収入から減価償却費と管理費用を差し引いた金額は50年間一定となります。
つまり、商業ビルへの投資とは、耐用年数の期間にわたって、初期投資額を均等に回収することであり、いわば年金なのです。いうまでもなく、実際には、修繕費等の発生があり、また賃料や管理費用の変動があるわけですから、完全な均等回収とはなりませんが、不動産投資が構造的に年金型であることに変わりありません。そして、不動産投資に限らず、発電所、船舶や航空機等の輸送用機器などを対象とした実物資産投資と呼ばれる領域では、投資対象に耐用年数がある以上は、必ず年金型の投資になります。
また、固定金利の住宅ローンを投資対象として考えると、満期30年の場合、初期投資額は30年をかけて均等に回収されますから、これも年金です。更には、今日では、債券は満期時に一括償還にされるのが普通ですが、分割期前償還にすることも可能ですから、年金型の債券を作ることもできるのです。
年金こそ年金受給者にとっての最適な投資対象ではありませんか。
金融庁のいう資産形成とは、公的年金給付を補完して、より豊かな老後生活を送るための原資の形成を意味し、主として、若年勤労層による積立て型の投資の超長期継続が想定されているわけですが、他方で、現状の国民貯蓄は、既に年金生活に入っている高齢者層、および、その少し手前にいる高年齢層に偏在しているわけですから、その形成済みの資産が消費に充当されるために計画的に取り崩されることは、資産形成と並んで、あるいは、それ以上に重要なことなのです。
そこで、合理的な資産取り崩し方法の検討が政策課題として浮上してくるわけですが、年金生活者にとっては、追加の年金が必要なのですから、年金型の投資対象こそがふさわしく、年金型であれば、資産は、意図的に取り崩すまでもなく、自動的に取り崩されるのですから、非常に便利です。あからさまにいって、不動産等の投資対象の余命と年金生活者の余命が一致していれば、完全な投資になるわけです。
しかし、年金型の投資対象は種類が限られているのではないでしょうか。
かつて、経済成長期においては、産業界の資金需要が旺盛なのに比して、国民貯蓄の形成は十分ではなく、相対的に資金供給能力が不足していましたから、産業政策として、資金確保を図るために金融市場は高度に規制されていたのですが、資産形成の面では、金利が高かったのですから、それで特に不都合もなかったのです。
その後、経済の成熟に伴って事情は逆転し、現在では、産業界の資金需要に対して国民貯蓄は圧倒的に過剰になっていて、それが超低金利の超長期間にわたる定着に現れているのです。故に、金融行政の重要な課題として、貯蓄構造の改革を国民の安定的な資産形成として結実させ、資産効果から生じる消費需要をもって経済の持続的な成長を実現させることが目指されるのです。これが金融行政方針としての資産形成の真の意味です。
故に、金融界に対しては、政策課題に沿った対応が求められるはずですが、経済の需要優先の原理からして、年金型の投資対象に大きな潜在需要があるのであれば、産業界に対して、それに適合した資金調達の方法を提案すればいいのです。実際、工夫すれば多様な年金型の投資対象の創出は可能なのですし、創意工夫なくして金融界の発展もないわけです。
例えば、カーボンニュートラル化へのトランジション・ファイナンスですか。
産業界の環境対応のための投資資金調達について、国際資本市場協会(International Capital Market Association, ICMA)は、2020年12月に、「クライメート・トランジション・ファイナンス・ハンドブック(Climate Transition Finance Handbook 2020)」を公表しています。
当然に、ここでは環境負荷の少ない生産方法等の創造的開発のための資金調達が想定されているわけですが、他方で、石炭火力発電所に象徴されるように、環境負荷が大きいとされる設備の計画的廃棄も重要な課題です。
計画的廃棄とは、まず期限を切って新規建設が禁止され、その後、既存施設について一定の稼働猶予期間が定められることですから、この稼働猶予期間にある施設は、典型的な年金型の投資対象になります。例えば、電気事業者としては、こうして廃棄されることになった石炭火力発電所を投資家に売却すれば、環境負荷の少ない新たな電源開発のための資金を調達できるわけです。
要は、産業界には、必ず、滅び行くものと新たに創造されるものとの二側面があって、前者は、多くの場合、年金型の投資対象に構成し得るわけですね。
特異な例かもしれませんが、生命保険会社は、既契約の集合体という過去の側面と、新契約の創造という未来の側面をもっていて、理論的には両者は截然と分離され得ます。故に、生命保険会社の企業価値は過去分の価値と未来分の価値の合計として測定可能なのですが、さて、日本の業界の現状として、両者がともに正の価値をもつのか、それとも過去の正の価値を未来の負の価値が食い潰しているのかは極めて興味深い論点です。
実は、全ての企業について、過去の価値と未来の価値に分割した分析評価は可能です。生命保険の場合、事業の特殊性からして分析の精度が高くなるのですが、例えば電気事業者についても、現に保有している電源の価値と、未来に向けて建設される電源の価値とは、それなりに高い精度で測定され得るはずです。
そして、ここでの問題は、高い精度で測定され得る過去分の価値は、必ず年金型の投資対象として、回収され得ることです。廃棄される発電所だけでなく、生命保険の既契約も例外ではありません。ガソリン自動車の製造も、銀行がなくなるのならば銀行も、煙草が禁止されれば煙草の製造も面白い投資対象になると考えるのが金融における創造なのです。
過去分は高い精度で測定され得るというところが鍵なのですね。
年金生活者に年金型の投資対象が相応しいのは、単に形式的に年金型だからというわけではなく、それが本質的に過去の高い精度で測定された価値を回収するものだからであり、普通の言葉でいえばリスクが小さいからです。それに対して、未来の価値の測定には極めて大きな不確実性が伴うわけで、それを投資対象に構成すればリスクは高くなります。
通常、企業は、確度の高い過去の価値を保有し続けることで、未来に賭けていく大きなリスクを吸収しています。例えば、不動産会社は、開発済みの収益物件を保有し続けることで、新たな開発のための資金を調達し、同時に、その開発リスクを吸収しているわけです。
しかし、別な経営のあり方としては、収益物件を売却し、その代金を新規開発に充て、開発リスクを自己資本で吸収することもできます。実は、このリスク吸収こそ自己資本の機能であり、株式を発行していることの目的なのですから、株式は、その本来の機能に純化されるとき、最も価値が高くなるはずなのです。
標語的にいえば、過去への確度の高い投資は年金生活者に、未来への不確実な投資は若年勤労層に、ということですね。
金融界の使命は、真の意味での適合性を実現すること、即ち、投資資金の性格に対して適合した投資対象を提供することです。そして、同時に、そうすることで産業界の革新を促し、経済の持続的成長を実現することです。高齢者に自然に崩れる資産を提供することは、同時に、カーボンニュートラル化を実現し、株式市場の価値を高めることにもなるわけです。
以上
次回更新は1月14日(木)になります。
2020/12/03掲載「滅び行くものの投資対象としての魅力」
2020/11/26掲載「レガシーを上手に使わないと未来はないぞ」
2020/09/24掲載「資産を所有して利用する人が資産価値を毀損するのだ」
森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。