顧客の利益に適っていても最善の利益には反し得ること

顧客の利益に適っていても最善の利益には反し得ること

森本紀行
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最善のものは、ある条件のもとで、たった一つに特定されます。逆に、条件が異なれば、各条件に応じて、最善のものは無数にあり得ます。さて、法律にいう「顧客等の最善の利益」とは何か。
 
 昨年に改正法として成立した「金融サービスの提供及び利用環境の整備等に関する法律」の第2条には、「金融サービスの提供等に係る業務を行う者」が負う義務として、「顧客等の最善の利益を勘案しつつ、顧客等に対して誠実かつ公正に、その業務を遂行しなければならない」とあります。
 後段の誠実公正義務については、もともと「金融商品取引法」等の他の法律にもあったのですが、今回の改正では、既存のものは全て廃されて、金融サービスの種類や業態に関係なく、対象が全ての金融サービスを提供する者に拡大されたうえで、この法律に一元化されたわけです。更には、金融庁の領域を超えて、新たに企業年金も対象になりました。
 前段の「顧客等の最善の利益を勘案しつつ」については、新設されたものですが、金融行政においては、フィデューシャリー・デューティー、あるいは顧客本位の業務運営の徹底が極めて重要な政策課題とされてきたなかで、その施策の主旨を法律上に明示するに際して、このような表現が与えられたのだと解されています。
 
法律の文言としては、あまりに抽象的にすぎないでしょうか。
 
 そもそも、元の誠実公正義務は、精神論的な規定であって、個別具体的に類型化され得る事態を想定したものではなく、事前には予見し得ないものながら、一見して明らかに不誠実かつ不公正な事態の出現に備えるものにすぎず、普通に発動されることは予定されていなかったと考えられますから、そこに「顧客等の最善の利益を勘案しつつ」との枕詞を付しても、内容が具体化したことにはなりません。
 しかしながら、逆にいえば、今後、「顧客等の最善の利益を勘案しつつ」の意味が明らかになるに連れて、精神論的な規定であった誠実公正義務は、具体的な行為規範へと内容が充実していき、その義務違反は、行政法的には、金融庁による行政処分の対象となり、民事法的には、不法行為による損害賠償請求の根拠になっていくのだと予想されます。
 
では、どのようにして、「顧客等の最善の利益」の意味が明らかになっていくのでしょうか。
 
 顧客等の利益について、最善という最上級の表現を使い得るためには、前提として、何らかの指標による比較可能性がなければならず、加えて、最善のものを選択するための基準がなければなりませんから、論点は、この比較指標と選択基準になります。
 簡単な例では、既に金融庁が指摘していることですが、投資信託の一物一価の問題があります。具体的には、同一の運用会社の内容が完全に同じ投資信託については、信託報酬は同一でなければならず、規模の違いを理由として、信託報酬の異なる投資信託が実在するとしたら、販売する側の義務として、最も報酬率の低いものを選択しなければならないということです。
 今後は、この一物一価の原則は、投資信託の運用と販売だけではなく、全ての金融サービスに適用されることになりますが、全ての金融機関の全ての領域において、徹底した検証が行われれば、多数の一物一価原則に反した事案が暴かれて、是正されるでしょう。そもそも、一物一価原則の徹底は基本中の基本であって、むしろ、それに反した事態が放置されてきたことが大きな問題なのです。
 
一物一価原則ほどに単純明快なことは稀ではないでしょうか。
 
 一物一価は、逆にいえば、多物多価、異物異価であって、価格が異なることについては、物が異なることを前提にしているのですから、比較指標とは、物の違いを比較する指標であり、選択基準とは、物の違いに応じて、最適なものを選択する基準となるわけです。そして、更に加えて、物の違いに応じた価格の違いの妥当性が問題となります。
 つまり、例えば、同一の投資信託を異なる販売手数料のもとで販売するとしたら、顧客の最善の利益に適うためには、手数料の差を正当化する販売方法の違いがなければならず、販売方法の選択においては、対象顧客の投資に関する知識経験などの基準が定められてあって、その基準と一致していなければならず、更に、役務の提供の対価としての手数料が妥当な水準に設定されていなければならないのです。
 実は、全ての金融サービスの提供において、こうした異物異価は普通のことであって、今後、顧客等の最善の利益の視点において、顧客特性に応じた適切な役務の提供、および役務の差に応じた価格設定の妥当性について総点検が行われれば、金融界の現状は大きく変貌するに違いありません。
 
しかし、決定的に重要なことは、提供されるべき金融サービスの選択ではないでしょうか。
 
 これまでは、提供されるべき金融サービスが適切に選択されている前提で、その提供のあり方について、顧客等の最善の利益に適うべきことを論じていたわけですが、より根源的には、その前提自体が問題であって、即ち、起点において、顧客等の最善の利益に適う金融サービスが選択されていることが決定的に重要なのです。
 この点については、顧客が自分自身の判断で金融サービスの選択を行う限り、法律上の義務違反は生じにくいでしょうが、金融機関は、多くの場合、程度の差こそあれ、何らかの勧誘行為のもとで、顧客への積極的な働きかけによって、金融サービスへの需要を開発している、あるいは、もっと強い表現を用いれば、需要を創造しているのですから、その営業姿勢の妥当性が極めて大きな問題になり得るわけです。
 
法律の文言からすれば、絶対的な意味での金融サービスの善し悪しは全く問題にならないということでしょうか。
 
 昨年、ちばぎん証券は、「顧客の投資方針や投資経験等の顧客属性を適時適切に把握しないまま、多数の顧客に対し、複雑な仕組債の勧誘を長期的・継続的に行っている状況が認められた」として、金融庁の行政処分を受けていますが、この場合、顧客の最善の利益に反しているのは、仕組債自体ではなくて、それを適合性のない顧客に販売したことです。実は、仕組債が適合する顧客類型も実在するので、そのような顧客に仕組債を販売することは、顧客の最善の利益に適い得るわけです。
 このことは、「会話がかみ合わない、数分前の会話を覚えていないなどといった顧客の様子から、顧客が少なくとも外国株式取引を行えるほどの認知判断能力を持ち合わせていないと認識」し得たのに、外国株式取引の勧誘を行っていたとして、昨年に三木証券が金融庁の行政処分を受けた例をみれば明らかです。外国株式取引自体に問題があるはずもないのです。
 
金融サービス提供の最善性は、顧客との関係で相対的に決まるということでしょうか。
 
 事業展開を顧客視点で構想するか、金融サービス視点で構想するかは、金融庁も認めているように、金融機関のビジネスモデルの問題です。単に、金融サービス視点で、仕組債の販売を行おうとするのならば、適合性のある顧客だけに販売するという厳格な規律が遵守されなければならず、顧客視点で、「数分前の会話を覚えていない」という認知判断能力の顧客に対して、何らかの金融サービスの提供を行おうとするのならば、金融サービス提供の必要性自体も含めて、選択の最適性に慎重な検討を要するというだけです。
 
顧客の利益に適っていても、最善の利益に反している場合もあるのではないでしょうか。
 
 投機を嗜む顧客に投機性の強い金融商品を販売しても、顧客の利益に反することにはなりませんが、過剰な投機は顧客の最善の利益に反する可能性があり、そこに投機を抑制させる助言義務が発生すると考えられます。また、認知判断能力の問題から、顧客の利益に反することを恐れて、高齢者への金融サービスの提供を行わないことも、顧客の最善の利益に反する場合があるでしょう。
 また、法律で顧客等という表現が用いられているのは、等のなかに企業年金の加入員と受給者を含めるためですが、ここで大きな問題となり得るのは、確定拠出企業年金における投資教育です。制度をもつ企業は、従業員の最善の利益の視点で、その投資対象選択が適正になされるように、教育する義務を負うのですが、今後、様々な企業の具体的な取り組みを通じて、最善の教育の内容が明らかになっていくわけです。
 ≪ 関連する論考をご紹介いたします ≫
前原誠司先生が明らかにした「売らぬも親切」の立法化の意義(2024.1.18掲載)
金融サービスの提供に関する法律等の改正は金融機関のみならず年金基金などまで忠実構成義務を拡大していますが、金融行政の方向性などを解説しています。

銀行には顧客を賢くする義務がある(2017.8.24掲載)
金融サービスの提供に関する法律等の改正において投資教育についての事項もありますが、フィデューシャリー・デューティーとの関係を深く解説しています。

顧客満足は顧客本位ではない(2017.1.12掲載)
顧客が満足していることと、最善の利益を勘案することは必ずしも一致しないことについてさらに解説しています。 
(文責:岸野)

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森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。