真のヘッジファンドは少しもヘッジファンド的ではない

真のヘッジファンドは少しもヘッジファンド的ではない

森本紀行
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金融に詳しくない人でも、ヘッジファンド的なものについて、危険な投機という非常に漠然とした理解をもっているでしょうが、実は、真のヘッジファンドは投機の対極にあるのです。
 
 ヘッジファンドという言葉は明らかにヘッジとファンドの合成語であり、ファンドは多数の投資家の資金を共同運用するための法律上の器のことですから、ヘッジファンドは間違いなく何らかの投資戦略です。そして、世界には、日本の投資信託も含めて、多種多様なファンドが存在するなかで、ヘッジファンドのファンドには何らかの特色があるにしても、より本質的なヘッジファンドの特色はヘッジのほうにあるはずです。
 ヘッジは垣根ですが、転じて防壁となり、不都合なことに対する防御策を意味するようになります。投資において不都合なことは、いうまでもなく、損失の発生であり、損失の発生する可能性はリスクと呼ばれます。ヘッジファンドのヘッジとは、リスクのヘッジ、即ち、損失の発生に対する何らかの防御策であることに間違いありません。
 
投資はリスクテイク、即ちリスクをとることですから、リスクをヘッジしたら投資にならいのではないでしょうか。
 
 投資は不確実な未来への賭けであり、賭けの結果は確率的に分布します。そこで、投資から得られる期待利益は、その分布の平均値として定義され、分布の特性として投資のリスクが定義されています。リスク特性として、賭けの結果が平均値、即ち、期待収益から遠く離れたゼロ点を超えた先にも厚く分布しているときは、損失の発生する可能性が高くなります。いうまでもなく、この状態をリスクが大きい、あるいはリスクが高いというのです。
 投資の対象となる賭け、即ち、不確実な経済事象は無数にあり、それぞれが異なる期待収益とリスク特性をもっていて、投資対象の特性は、そのリスク特性によって定義されますから、投資の世界の言葉使いとして、リスクは賭け自体の意味でも使われます。故に、投資はリスクテイクと呼ばれるのです。
 ところで、具体的な投資対象は、単純単一のリスクではなく、諸リスクの複合としてしか存在していません。そこで、投資戦略として、投資対象に含まれる諸リスクのうち、特定のリスクをリスクテイクの対象とし、リスクテイクの対象としたくないリスクを排除することが考えられます。この排除の技術がリスクヘッジですから、リスクテイクとリスクヘッジとは両立するのです。
 
例えば、米国の債券に投資して、ドルのリスクを除去するということですか。
 
 米国の債券への投資は、米国の金利変動、およびドルの為替変動という二つの不確実性に同時に賭けること、即ち、二つのリスクを同時にとること、あるいは二つのリスクテイクを同時に行うことですが、この二つは必然的に結合していて、分離できません。そこで、金利変動だけをリスクテイクの対象とするときは、何らかの手段を講じて、為替変動のリスクを除去することになります。そうすると、米国の金利変動に対するリスクテイクと、ドルの為替変動に対するリスクヘッジとを結合させた投資戦略になります。
 ここで利用されるヘッジ手段は、多くの場合、為替の予約取引を使って、先日付でドルを売却しておくことですが、このことは、金融取引としては、決済期日までの期間、ドルの借入れを行うことと同じで、金利費用を発生させます。こうして、一般に、リスクヘッジには、費用がかるわけです。
 
全てのリスクをヘッジしてしまうと、期待収益は、ヘッジ費用と相殺されて、ゼロになるということですか。
 
 米国の債券の例で、為替のリスクヘッジに加えて、金利のリスクをヘッジすることができて、その手段として利用されるのは、多くの場合、債券の先物取引です。
 債券先物の売建てにより、債券の金利リスクは先物の金利リスクによって相殺され、期待収益は短期金利に基づくものに変換されます。そして、この短期金利の期待収益は、為替のリスクヘッジに伴う金利費用と相殺されますから、両方のリスクをヘッジすると、理論的には、二つのリスクテイクが二つのリスクヘッジによって相殺されて消滅し、期待収益はゼロになって、投資すること自体の経済合理性が失われるわけです。
 
理論的にはという意味は、現実的にはゼロにならないのでしょうか。
 
 理論的には完全に相殺されるはずの二つの異なる取引は、実際に市場において実行されても、完全に相殺される、そのように仮定することは、効率市場仮説と呼ばれています。しかし、仮説とされるだけのことはあって、現実には、完全には相殺されない場合も多いのです。なぜなら、効率市場仮説は、取引者間の完全な情報の対称性や取引の無摩擦性など、非常に厳しい条件の充足を成立要件にしているからです。
 それでも、効率市場仮説が重要な意味をもつのは、市場の力学は、市場が効率化する方向に、即ち、効率市場仮説が成立する方向に働くと考えられ、また、実際にも、そうした市場力学の働きを観察できるからです。故に、市場が非効率であるとき、即ち、効率市場仮説が成立しないときには、リスクを全てヘッジしても、相殺が完全ではないために差損益が内包され、市場が効率化に向かう過程で、その差損益が実現していく可能性が残るわけです。
 当然に、ヘッジには、理論的な費用のほかに、手数料等の実務上の諸費用が伴いますが、その諸費用の額よりも、市場の非効率性に基づく差益が大きいと期待されれば、リスクを全てヘッジすることに経済合理性が生じます。投資の世界では、こうした状況を裁定機会と呼びます。
 
真のヘッジファンドとは、リスクを全てヘッジし、裁定機会における利益を追求する戦略なのですね。
 
 ヘッジファンドの典型的な戦略は、転換社債の裁定機会を狙ったものです。転換社債は、株式のコールオプションと社債との合成証券であって、その理論価格は、コールオプションの理論価格と社債の理論価格との合計値として算出可能ですから、算出された理論価格が実際に取引されている価格と異なるときは、何らかの非効率があり、裁定機会があると考えられるわけです。
 通常、転換社債のヘッジファンドが狙う裁定機会は、コールオプションの理論価格差です。つまり、コールオプションの理論価格には、転換社債の価格から推計されるものと、株価変動から推計されるものとがあり、理論的には両者は一致すべきですから、現実的に前者が後者よりも低いときは、転換社債に投資して、そこに内包されているリスクを全てヘッジすることにより、理論価格の差を利益化できるわけです。
 具体的には、最初に、転換社債を取得し、そこに内包されているコールオプションのリスクテイクを行います。次に、コールオプションの理論価値相当分について株式の空売りをすることで、コールオプションを複製してリスクヘッジを行います。こうすることで、転換社債に内包されているコールオプションと、株式の空売りで複製されたコールオプションとは相殺されて、両者の理論価格の差による利益を内包させるわけです。
 
まだ転換社債の社債部分のリスクテイクが残っていますね。
 
 転換社債を取得すれば、三つのリスクテイクを行うこと、即ち、株式のコールオプションのリスク、債券の金利リスク、債券の信用リスクをとることになります。株式のコールオプションにリスクヘッジをしたら、次は、金利リスクと信用リスクにヘッジしないといけませんが、それには、債券先物、クレジットデリバティブなどの多様なデリバティブ取引を駆使することになります。
 
複雑な取引が多すぎて、費用が嵩むだけでなく、リスクヘッジの失敗も起きやすいのではないでしょうか。
 
 ヘッジファンドの裁定取引においては、どの裁定機会を狙うにしても、この転換社債の例のように、極めて複雑な多くの取引を正確に、速やかに、低費用で、規律をもって執行する必要がありますから、最高水準の知性、技術、熟練が要求されますが、それほどの能力を備えた真のヘッジファンドは非常に少なく、ほとんど全てのヘッジファンドは似非ヘッジファンドなのです。
 似非ヘッジファンドにおいては、リスクヘッジを行うにしても、利益源泉はリスクテイクなのであって、投資の失敗は、リスクテイクもしくはリスクヘッジの失敗に起因しています。そして、世の人は、似非ヘッジファンドをもって、ヘッジファンドだと誤解しているわけです。
≪ 関連する論考をご紹介いたします ≫
ヘッジファンドなるものについて (2010.11.25掲載)
本稿では、明確な定義がないヘッジファンドについて、ヘッジとファンドに分割し、市場のボラティリティをヘッジした上で、意図している投資機会のみを取り出すことがヘッジファンドの原点であり、ボラティリティをヘッジするファンドをヘッジファンドと定義しています。

またまた、ヘッジファンドなるものについて (2010.12.9掲載)
本稿では、ヘッジファンドのファンドの概念について考察し、ファンドが備えている自由度の高さ、一定の秘匿性、レバレッジの3つの属性について解説しています。

リスクのテイクと管理を混同することなかれ (2018.4.12掲載) 
意図的なリスクテイクと、リスクテイクに付随するリスク管理を混同してはいけません。本稿では、リスクテイク戦略の確立と一貫性を監視するガバナンス、不随する諸リスクの適正な管理を優れた企業、金融機関の要件として、改革の必要性を論じています。

関連ウェビナー「ヘッジファンドの基礎編」「ヘッジファンドの応用編

(文責:翁)


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森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。